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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
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黒狼の選良騎士ー6

 見事に鍛え上げられた僧帽筋から広背筋にかけて、広範囲に赤い発疹が広がっている。軟膏を手に眉根を寄せているローズに、メルヴィンがため息交じりに言った。

「痒過ぎて、通り越して痛え」

「毛虫か何かの毒だと思う、この軟膏には痒み止めも成分も入っているから、治まるまで毎日塗ってください」

「わかった」

「今度はちゃんと言う事を聞いてよ?」

「さすがに聞くよ、てか、肩だってちゃんと紹介された医院で診て貰ってて、痛む事が減って来てる。せんせいの言う通りにして助かってる」

 素直に感謝を表明するメルヴィンの広い背に無遠慮に軟膏を刷り込んで、ローズは小さく鼻を鳴らす。

「医師は魔法使いじゃないし、薬だって万能薬じゃない。ただ、過去の医師や薬師達が積み重ねて来た成果を学んで、自分でも経験を積んだ上で、診療に当たってるから。医師は誰でも、患者さんに治って元気になって欲しいって思って、助言したり薬を処方したりしてるからね」

「お、おう」

 怒り交じりのローズの熱語りに、メルヴィンは普段見せない情けない表情で肩を竦めている。

「だいたい騎士だって、何の知識もなくって、過去からの学びもないままで、とか適当に仕事している人なんていないでしょう? 医師も同じよ、お、ん、な、じ、です」

「わかったって、本当に、悪かった」

 大きな身体で縮こまって謝罪するメルヴィンの肩を強めに叩いたローズは、静かに開いた扉方向へ視線を向けた。

「ローズせんせい、濡れたおしぼりをお持ちしました。手を拭くのに良いかと」

「あら、ありがとう、セイラ」

 かつての思い人が半裸を晒している姿を横目に、セイラはいそいそとローズに近づいておしぼりを差し出す。王宮女給だった彼女が、特別試験を受けて医局へ移動して今日で二日目だ。医局で対応しなくてはならない雑務が増え、受付兼助手を増やそうとして採用した。王宮下級使用人試験を八割以上の高得点で突破している事、所属部署責任者の推薦と移動承認を受けられる事、医師の指示を軽視しない事、細やかな気遣いが出来る等多岐に渡る条件全てに当てはまったのがセイラだった。王宮の使用人になるための試験は一年に一回しか行われないし、ターニャ以降医局で採用可能な適格者が出ていなかった。既に王宮勤めをしている者の中から移動希望者を募ってみてはどうか、と相談した王宮人事担当官吏に提案されて、セイラを採用となっている。

「医局での仕事はどうだ」

「まだ二日目ですけど、覚える事がたくさんです」

 医局の受付嬢はただ医局の入り口に座っていれば良い訳ではない。医師二人に指示された雑務は一手に引き受けねばならないし、患者を寄越す他部署との折衝もする。ターニャはコタロウを愛でながら気楽に仕事をしているように見えがちだが、王宮の下級使用人の中では実は相当優秀だった。

「セイラはメルさんと違って、私の言う事をしっかり聞いてくれるから、大丈夫よ」

「根に持ってんな、せんせい」

 苦笑するメルヴィンを大きな目を細めて睨み、ローズは軟膏を拭き終えたおしぼりをセイラへ戻す。ローズへの複雑な感情があったセイラが医局への移動を希望していると聞いた時は驚いたものの、応募した者の中で最も適任だった。以前受診した時の失礼については真摯に謝罪をしているし、態度も改めている。昨日の顔合わせの時のターニャは新人として紹介されたセイラに、納得の行かないオーラを発していたが、上司達に不平を表明したりはしなかった。

「あの、では、私は、イーサンせんせいの診療キャンセル連絡、行って来ます」

 診療予約については普段は医局担当の総務が引き受けているものの、今日は突然のキャンセルのため、直接各部門へ連絡する事になっている。ターニャは今日ルークの実家へヒースレッドの薬を届けにお使いに出ているため、医局勤め二日目であるセイラが早速動かねばならない。

「ええ、お願いね。どうしても診て欲しいって場合だけ、持ち帰って私に相談して」

「はい」

 丁寧に頭を下げて退室するセイラを見送って、ローズはシャツを羽織るメルヴィンへ視線を戻す。

「ミシェルは見つかったの」

「いや、せんせいが見かけた時に繁華街中心に探したが見つかっていない。アンタに会いに来るかもしれねえから、一人にはなるなよ、ってランスから伝言だ」

「わかってる。見間違いではなかったと思うけど」

 濃い睫毛が碧色の瞳に影を落とし、上着に袖を通し終えたメルヴィンも小さく首を左右に振った。

「特徴のある男だから、見間違うって事はねえだろ。どうも、薬の過剰摂取によると思われる事案も増えてるし、まだ、薬も出回ってるみてえだから、ミシェル・ムーはまだ王都にいると思う」

 一度口を開いて発言しようとしたローズは、静かに首を振って黙り込んだ。元恋人に未練はないが、彼が罪を重ねている事実が重くのしかかる。

「そういや、イーサン医師は帰ったのか? 例のボロ馬車で?」

「速達が来たの。娘さんが急変して」

「そうか、かなり悪いんだったな。帰りはどうするんだ?」

 ここ二十日ほどでイーサンの娘の具合が悪化してしまい、一度は危篤状態に陥っている。彼はいつでも帰れるよう、王宮からお払い箱寸前の馬車を安く買い取った。御者と馬車馬は医局の予算がついて、騎士団から貸し出されている。突然問屋街の薬屋へ行かねばならない時にも利用できるし、イーサンとローズとターニャは毎日メルヴィン曰くのボロ馬車で帰宅している。ローズはミシェルの事があるまでは繁華街行きの馬車に乗り、そこから歩いて自宅のある住宅街まで帰っていた。

「繁華街からは歩いて帰る事になるわね、朝は近所の人が似たような時間に出勤だから、一人にはならないんだけど、夜は誰かに送って貰わないとダメね」

「ああ、今日はランスがいるから、声を掛けとく」

「どういう事?」

「今日は隊長級会議があるから、ランスも王宮にいる。会議は時間通りに終わるだろうからその後手が空くだろ」

「ランスさんに頼めって事?」

「一人になんなって言ってるのは俺達だからな、部隊長自ら送迎くらいするさ」

 嬉しそうな笑顔で告げられ、ローズは眉間に皺を寄せる。

「メルさんもルーク君も、やけにランスさんと私に接点を作らせようとするわよね」

「ええ? いやいや、そんな事ねえよ。今日はたまたま、ランスが空いてたってだけ」

「部隊長さん自ら護衛して貰わなくちゃならないくらい、って事?」

「せんせいに騎士の護衛は付いてる。ずっとじゃねえけど、行く先を把握するくらいには。積極的に姿を見せたりはしねえけどな」

「それって私に明かして大丈夫なの」

「もう、それこそ今更だろ。理由もわからずただ、一人になるな、だの、情報寄越せ、だの、それこそいざって時に知らねえ騎士が跳んで来たら、せんせいもどうしたらいいか困るだろ」

 ミシェル・ムーと薬物関連の事件に関して、ローズへの情報開示はランスロットが捜査方針として奏上し警邏部大将を兼任している騎士団副団長から許可を得ている。ちなみに、騎士団長は近衛大将を兼任している。

「何だか大ごとだわ、ミシェルに会ったらいいからすぐに自首しろって言う。絶対言う」

 うんざりした調子のローズに、メルヴィンは苦笑した。

「ミシェル・ムーがせんせいの言う事、聞いてくれっといいけどな」

 横目で自分を睨むローズに悪戯っ子の笑みを見せたメルヴィンは、

「じゃあ、また」

 軽く手を挙げてから退室した。受付に誰もいない事を思い出して慌てて後を追ったローズは、奥から顔を出して尻尾を振ってメルヴィンを見送るコタロウに和んで、もやもやとした気持ちを吹き飛ばした。

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