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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
28/105

黒狼の選良騎士ー5

 王宮から繁華街を通り過ぎ、東西に広がる住宅街を抜けると郊外と呼ばれる地域になる。森林や湖がある長閑で自然豊かな一帯は、王立公園として管理されている。王宮から馬車で三時間弱、郊外の集落の中に一際目立つ邸宅がある。王立公園として指定された湖や森林も含んだ郊外一帯の地主だったレコメンド家は、政変の際に辺境領に恭順を示すべく、自分達が運営している道場と自宅以外の土地を献上した。自然の管理は費用と労力が多くかかるため、王立公園として国に運営して貰った方がありがたいという思惑もあった。

「相変わらず長閑でいいところだな」

 清潔に整えられた金髪と深い藍色の瞳、鼻梁は上品に整っており、中肉中背ながら伸びた背筋は育ちの良さを感じさせる。湖のほとりをのんびり歩むヒースレッドは、遅れて追いついて来た友人を見上げた。

「まあね、王宮も王都も人が多くてゴミゴミしてるから、帰って来るとほっとする」

 ヒースレッドの聴力の回復傾向は、休暇に入って三日の間、一進一退を繰り返している。ルークは意識して大きな声で話しており、幸いにも友人の言葉を聞き返さずに済んだヒースレッドは、口元を緩めた。

「朝から散歩に付き合わせて悪いな」

「休みだからって寝坊してたら親が煩いから、ちょうど良かったよ、気にすんな」

 王国騎士団の騎士には、一年間に三回の長期休暇があり、交代で取れる。休暇は十日間取得可能であり、ヒースレッドは突然の難聴に罹った翌日から休暇に入った。

「薬が効いているのか、だんだん耳も聞こえる事が増えている。もう少し回復したら、お父上に稽古をつけて頂きたい」

「おう、そうだな、俺も久しぶりに父さんにびしばしっとやられとくかなあ」

「新旧の長所を活かした(かた)は、学びが多いな。騎士となって改めてお父上の形を見たら、ルークの強さの理由がわかった気がするよ」

 ルークの祖父と父は道場を営んでいる。学園時代も何度か、短い休暇で世話になった経験があるため、ルークの家族とは気心が知れている。ヒースレッドの実家は馬車で数日かかるし、城外にある兄の邸宅は幼児がいるし迷惑をかけられない。せっかくの休暇に宿舎に留まるなんて馬鹿げていると説得されたヒースレッドは、自分と同じ日程の休暇をもぎ取ってくれたルークの好意に甘えて、彼の実家で厄介になる事にした。

「そうか? ヒースとはだいたい互角じゃん」

「私は負けないだけで勝ちを獲るのは苦手だ」

 そっと目を伏せるヒースレッドに、ルークはそれ以上言葉をかけるのはやめた。彼が後ろ向きな発言をしたら、肯定も否定もせずにただ話を聞いてあげて、とローズから助言されている。思春期の少年同士照れもあり、心の細部をさらけ出すような会話を交わした事はない。互いに尊敬と信頼はあるが、表立って言葉にしたこともない。ヒースレッドの心身が窮地に追い込まれているとも言える状態の今、ルークは学園時代とは異なる接し方も受け入れて、友人を助けたいと考えていた。

「泣き言なんて情けないか」

 心もとないつぶやきと共に足を止めたヒースレッドは、湖面を眺めて拳を握りしめる。初秋の爽やかな風が寝ぐせのついたルークの赤みがかった茶色の髪を揺らした。

「俺なんか先輩にも愚痴ってるぞ」

「君は人懐こいからな、誰からも好かれる」

 淡々と告げられた言葉でルークは、先日休憩室を強襲した正気を失った近衛騎士の言動を思い出す。

「この前の明らかに異常だったヤツの言った事、気にしてんのか」

「何を言っていたのか良く聞こえなかったから、推測だが、私が優遇されている点に関しての苦言だろう」

「そうなんか」

「ああ、最初は新人が課せられるはずの雑務を免除されていた。代わりに亡くなった先輩騎士がやってくれていたんだ。後から気付いて交代したが……黒狼の隊長は政変前の実家と繋がりがある貴族家の方なんだ。私は特別扱いされるなんて想像もしていなかったが、兄には少し考えれば想像可能だと、浅はか過ぎると……叱られたよ」

 堰を切ったように語り出すヒースレッドに、ルークは静かな相槌を打った。

「うん」

「亡くなった先輩は、私の謝罪を快く受け入れてくれて、変わらぬ態度で指導もしてくれた」

「ああ」

「先輩の指導のお陰で騎士としての職責を果たせるようになったと思う。彼の指導で騎士らしく動けるようにもなって来たところだった。これからも、見てもらい、た、かった」

 嗚咽を堪えるヒースレッドの背を、ルークはそっと叩く。親しい人間との死別を経験したことのないルークに、友人へかける慰めの言葉は見つからなかった。ヒースレッドの鼻を啜る音が止んで、彼は照れ臭そうに微笑んだ。

「気が抜けて情けない事ばかり話してしまうな」

「いいって。誰かに気持ちを話すのはいい毒出しになるってローズ|せんせいも良く言ってる」

「そうなの、か」

「うん、ヒースは頑張り過ぎなんだよ。家のせいで特別扱いされるなんてさ、そんなんわかってなくちゃダメとか無理だよ、普通。ヒース兄がすげえ頭回るってだけでさ」

「アハハ、確かに兄は怖いくらい頭の回転が速いよ」

「間違ったり失敗したらやり直せばいいって、メル先輩にも良く言われる。新人のうちは許されるんだから、やらかしは今のうちに飽きるくらいしとけって」

「そうか、いい先輩だな」

「おう。きっと、亡くなった先輩もいい先輩だったんだろ、だから、辛いんだよな」

「……ああ、そうだな」

 低く答えるヒースレッドは憑き物が落ちたような晴々とした眼差しになっていた。散歩を再開した二人は、朝の澄んだ空気が漂う湖畔を殊更ゆっくり歩いて、ルークの実家である道場へ戻る。広大な敷地に足を踏み入れた彼らは、散歩に出た時はなかった馬車が停まっているのを見つけて顔を見合わせた。

「誰か来たのかな、朝っぱらから」

 首を傾げながら邸内へ入ると、白髪を短く刈り込んだ偉丈夫が出迎えてくれる。

「帰ったか、ルーク、ヒース。客人がいらしている、広間へ通してある」

「客って俺たちに?」

「お前たちというより、ヒースにだな。可愛らしいお嬢さんだ」

 ルークと同じ碧色ながら、息子とは異なり鋭い目の眦を下げた父親は、二人を来客対応や大勢での食事会に利用している食堂兼広間へ案内した。

「あれ、ターニャちゃんじゃん」

 七~八人は着けるだろう長い卓の端に座っていた少女が、見知った顔の登場に破顔して立ち上がる。

「ルーク! おはよう」

「うん、おはよ。客ってターニャちゃんだったんだ。朝から馬車で来たの?」

「そう、ヒースレッドさんに追加の薬を届けに来ました」

 ヒースレッドへ視線を向けて会釈をするターニャに、彼も軽く頭を下げた。

「今、朝食の準備をさせている。お嬢さんも一緒にどうかな」

「あら、いいんですか、では、お言葉に甘えて」

 嬉しそうなターニャの正面の席に、ルークとヒースレッドが並んで腰を下ろす。ルークの父であるリチャードは、三人から少し離れた席の椅子を引いた。

「そうそう、ヒースレッドさん、追加のお薬なんですけど、東方の漢方薬という種類のお薬なんですけど、人によって、合う合わないがあるみたいなんです。ローズ|せんせいが、何か体調に良くない変化があったら、服用をやめるように、と仰ってました」

「聞こえたか」

 リチャードの気遣いの込められた問いに、ヒースレッドは大きく頷く。

「わかりました、ターニャ、さん、と呼んでいいのだろうか、ありがとう、ございます」

「はい、ターニャと呼んでください。家名で呼ばれるのは慣れていないので」

「わかりました。薬の件は、承知しました」

「食事の前に飲んでくださいね」

 紙袋に入れた漢方薬をターニャが差し出すと、レコメンド家の門弟兼使用人が素早く水が入った杯を運んで来た。一部の専門職を除いて門弟が使用人も兼ねているため、レコメンド家では動きが機敏で闊達な雰囲気を有した者が多い。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 薬を口へ含んだ途端に咽そうになるほど苦かったが、ヒースレッドは我慢して飲み込んだ。

「あ、すごく苦いって、|せんせいが言っていました。先に言えば良かったですね」

 大きく表情を崩したつもりはなかったヒースレッドは、己が苦いと感じている事を感知したターニャに驚く。

「苦いのか、平気で飲んでるように見えるけど」

 ルークの問いにヒースレッドは苦笑した。

「今まで口にした物の中で一番苦い」

「それはすごい。東方の漢方薬は効く者には特効薬のような効果が出るそうだ、頑張れ、ヒース」

 子供達の様子を見守っていたリチャードの応援に、ヒースレッドは苦笑のまま頷く。服薬が完了した様子を見守っていた使用人が音もなく広間を出ると、代わりに待機していたであろう給仕役の門弟が、朝食を乗せたお盆を運んで入室した。

「東方繋がりになったな、朝は消化に良い粥を準備した。ルークは食べ慣れているが、ヒースとお嬢さんは初めてかな」

 小魚と海老の干物が乗った粥を見て、ターニャは目を見開いているが、ヒースレッドは礼儀として口元に微笑を浮かべている。

「あんま旨そうじゃないけど、食べたら染みるから」

 ルークは悪戯っぽい笑いを含んだ声で告げた。

「口に合わないようだったら、別に用意させるから言ってくれ、頂こう」

 リチャードの一声で静かに食事が始まり、初めて粥を見る二人は、先に添えられた野菜の漬物へ手を伸ばす。酸味を想像した漬物の味が想像以上に塩辛く、ターニャは口をすぼめた。

「ターニャちゃん、粥食べて、粥。そうすっと丁度良いから」

 薦められるままに粥をすくったターニャは、塩味と柔らかな米の甘さに小さく頷く。

「口の中で美味しくなったわ」

 飲み込んでから感想を述べたターニャに、リチャードとルークの親子は揃って嬉しそうに視線を向けた。

「東方の料理は初めて食べました。食欲のない時も喉を通りそうです」

 ヒースレッドも感想を述べ、小首を傾げて問いかける。

「リチャード殿は東方のご出身なのでしょうか?」

「いや、俺はおそらくこの国か隣国の出身だと思う。門弟に東方出身の料理人がいてね、腕を振るってくれているんだ」

 リチャードの言葉を聞いて、今度はターニャが小首を傾げた。

「出生地が定かではないんですか」

「ああ、天涯孤独の身でね、行き倒れていたところを、ルークの祖父に当たる現師範に拾って貰ったんだ」

「父さんて生活能力ないからな、爺様に拾われてなかったら、辺境の山で熊にやられてたかもね」

 息子の辛辣な揶揄に、父は目を細めて抗議する。

「俺が熊に食われていたら、お前は生まれていないぞ、ルーク」

 肩をすくめて舌を出すルークの幼い行動に、ターニャはクスクス小さな笑い声を上げた。

「辺境領にいらっしゃったんですね、では、新式の形はこちらで師範に教授されたんですか?」

 ヒースレッドの問いに、リチャードは眉根を寄せて困った表情になる。

「いや……俺は新式の形の方こそ、王都に来てから教わったんだ。辺境にいた頃は、剣術を嗜んでいなかったらしい」

「そうなの、ですか」

 曖昧な返答に終始するリチャードを不思議に思いながら、ターニャが口を挟んだ。

「辺境にいた頃の事はあまり思い出したくないんですか」

 助け船のつもりでの気遣いを含んだ少女の問いに、リチャードはますます困惑の表情になり、ルークも渋い顔になる。

「ごめんな、ターニャちゃん。朝食にはちょっと重い話かもしれねえけど、父さんはさ、爺様に拾われる前の記憶がないんだ」

 唇の動きと話の流れで理解していた会話が急に遠くなったようで、ヒースレッドが聞き返した。

「リチャード殿は辺境にいらっしゃらなかったんでしょうか」

「いや、辺境領のナクシ丘陵にいたんだ。大怪我をして昏倒しているところを、義父に救われてね」

 ゆっくり大きな声で繰り返される事実に、ヒースレッドもターニャも驚いて食事の手が止まっている。

「遠い昔の話だから、そんなに集中して聞こうとせず食事を続けて」

 リチャード本人に促され、二人は思わず視線を見合わせて、ターニャは薄っすら頬を染め、ヒースレッドも僅かに視線を落とした。親しいとは言い難い同士なのに、がっちり視線を絡めてしまって互いに照れと気まずさがある。

「爺様は政変が起こったって聞いて、隣国に留学してた母さんを慌てて迎えに行ったんだって。その帰りに、父さんを助けたんだよな」

「ああ、何か月も生死の境をさまよった俺を、義父と妻が献身的に看病してくれて、とうとうかわいい息子まで授けてくれたんだ」

「あら、かわいい息子ですって、ルーク、良かったわね」

 固くなってしまった空気を和ませようと、朗らかな声で揶揄するターニャに、ルークは口を尖らせて小さく鼻を鳴らした。

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