黒狼の選良騎士ー3
ローズが慌ただしく出て行って暫くして、ターニャは溜めておいた書類を全て書き終えて今日の仕事を終えた。
「さて、そろそろ、休憩室に様子を見に行った方がいいかしら」
コタロウにリードを付けて抱き上げたターニャは、丁度良く姿を見せたルークに笑顔を向ける。仮眠しておくように命じられたヒースレッドの様子を見に行って、コタロウも連れてローズの帰りを待つように。ターニャが頼まれた今日の残業である。ルークも友人が心配だからと訴えると、ターニャと一緒に様子を見に行くよう許可を得ている。彼は彼女が抱え上げたコタロウに手を伸ばした。
「代わろうか」
「ルークがもふもふしたいだけでしょ」
「そう」
「近衛の騎士様、まだ、寝ていてくれたらいいけど」
悪びれない笑顔のルークにコタロウを託したターニャは、受付を片付けて小さくため息を吐く。
「どういう意味」
「近衛の人って苦手」
「そうなんか」
ルークと一緒に階下の休憩室へ向かうべく歩き出したターニャの水色の瞳は曇っていた。
「しかも、フェリーチェ家のご子息でしょ、気が重いわ」
「なんで」
気安い間柄になった同世代の二人は、言葉遣いから遠慮が消えている。
「父の仕事の関係で何人か近衛の騎士と話した事があるんだけど、気取ってて、偉そうで、なんていうか、こっちの事見下してるような感じの人ばっかりだった」
貴族議員は、王宮外の公務の際に白竜隊の近衛騎士が護衛に就いている。議員秘書であるターニャの父は当然同行しているため、近衛騎士とも顔見知りになり、同世代の騎士数名と会って話した事があった。ターニャの父は娘の事を、消極的情報屋扱いしているため、知り合いを増やす意味で近衛騎士達を紹介しただけなのだが、騎士の方は議員秘書が娘を売り込んでいると勘違いをした。
「そうなん。白竜隊ってお上品な奴らが多いから、人を見下すみたいなそんな感じ受けた事ねえけど、まあ、どこにでも嫌な奴はいるけどさ」
ルークの腕の中で大人しくしているコタロウの頭を撫でて、ターニャは大きく同意する。
「そういうどこにでもいる嫌な奴が多いのよ、近衛って。女の子だったら誰でも近衛と結婚したい訳じゃないっての」
ターニャも彼女の父も進んで貴族と縁を結ぼうとは考えていないのだが、紹介された白竜隊の若い近衛騎士には伝わっていない。交際してやってもかまわないくらいの横柄な態度で会話しようとする近衛騎士と、今後の情報収集のための知り合い以上友人未満くらいの仲を構築したいターニャ、それぞれ互いに齟齬が生じ、ターニャは近衛騎士が苦手になった。
「アハハ、うちの爺様が騎士だったから、騎士の奥さんって大変だって婆様も言ってた」
「それとはまた違うと思うけど」
ターニャの中で燻る悪感情を、意図せず掃ってしまうような邪気のなさがルークにはある。苦笑して肩をすくめたターニャの赤毛のつむじを見下ろして、ルークは悪戯っぽく笑った。
「ヒースは護衛の白竜じゃなくて警備の黒狼だし。白竜よりは黒狼の方が気取ってねえってメル先輩も言ってた。ヒースはさ、確かに超名家の出だけど、全然偉ぶってねえし。すげえ真面目でいい奴だよ」
「ルークに比べたら誰だって真面目でしょ」
「酷えよ、ターニャちゃん、俺ってば、最近は遅刻なしよ?」
「朝の勤務じゃないからじゃない。ローズせんせいのお陰で」
「まあね、本当に、せんせいと部隊長には感謝しかないわー」
のんきな口調のルークの碧眼を見上げて、ターニャは既視感を覚える。
「ルークの目って良く見たらローズせんせいと良く似た色だね」
「そう? 父親と同じ。顔は母親に似てるって言われるけど」
「ああ、そういえばルークはかわいい顔してるって、誰かが言ってたわ」
柔和な童顔で高身長ではあるが痩せていて威圧感の薄いルークは、気さくな質も相まって、男女問わず年長者から可愛がられる事が多い。王国騎士団の入団資格最低年齢で入団試験に一発合格しているし、実は文武両道な少年なのだが、ターニャは気づいていない。
「かわいいってさ、褒めてんの、それ」
「さあ、私はかわいいよりかっこいい方がいいわ」
「冷てえ。ターニャちゃんがつれないよ、コタロウ」
ルークがふざけてコタロウの背に顔を擦り付けると、コタロウは小さく鼻を鳴らして鳴いた。
「かわいさもかっこよさもコタロウの方が上だよね」
「ワフ」
会話の内容を理解しているかの如くコタロウが声を上げる。二人は顔を見合わせて笑い出した。
「いい加減にしろって言ってんだよ!」
和やかに会話して気楽な気分になっていた二人の耳に、目的地である休憩室から怒声が届く。開け放たれた扉から慌てて入室すると、簡易寝台に腰かけた寝ぼけ眼のヒースレッドの前で、黒衣の騎士が、鬼のような形相で仁王立ちしていた。
「貴様が入団したからアイツは死んだんだ!」
ルークはコタロウをターニャに預けると素早くヒースレッドの前に滑り込んだ。
「ちょっと、落ち着きましょう」
「なんだ、警邏には関係ない」
「いやあの、外まで声が響いてましたけど、大丈夫っすか」
「僕は後輩に指導していただけだ」
若干声量が下がったものの、ヒースレッドの先輩であろう黒狼隊騎士の目は血走っており、見開いているのに焦点が合っていない異常な形相のままである。
「ヒースは今、体調が悪いんですよ。指導は後日にしてください」
「差し出口はやめろ! やめろ!!」
「いやいや、だから、落ち着いてください」
「そこをどけ! 口で言ってわからないなら」
激昂して踏み出した騎士の肩を、ルークが両手で押しとどめた。固唾を飲んで様子を見守っていたターニャの手から、コタロウが躍り出る。
「あ、コタロウ、ダメ!」
「ワンワンワンワン!!!!」
大声で吠えるコタロウをリードを引いて捕まえようとするが、興奮した柴犬は素早い身のこなしですり抜けた。
「犬なんぞ連れ込んで、女まで連れ込んで、どこまで好き勝手するつもりだ!」
目にした情報全てに関して怒鳴り散らす黒狼騎士を、警邏の新人騎士が無言のまま押しとどめようとしている。ヒースレッドはルークの背中を見ながら立ち上がり、部屋の入り口で跳躍しながら吠えているコタロウへ近寄る。
「大丈夫、大丈夫だ」
屈んでコタロウを捕まえたヒースレッドは、戸惑うターニャに真剣なまなざしを向けて、リードを引き取った。
「私が抱えておきます」
「あ、はい、お願い、します」
面食らって答えるターニャの耳に、激昂する騎士の大声がまた飛び込んで来る。
「僕を無視するなああああ」
顔色が紫がかって明らかに正気を失っている騎士だったが、ルークは冷静に危なげなく長い手足で拘束した。仮眠設備も付いた休憩室は王宮本殿の二階にある。常に人の出入りがある一階や離宮への連絡通路がある四階は、黒狼隊の騎士の誰かしらが二十四時間警備として常駐しているが、議会閉会中の現在の二階は行き交う人々の影もなく閑散としていた。
「ヒース、この先輩、落としていい? ああ、聞こえないんだよな。勝手にやるわ」
「ワンワンワン、ワンワンワン!!」
再びコタロウが人の手から飛び降りて吠える。ヒースレッドはリードを引いてコタロウの移動域を狭めたものの、抱えるのはやめて吠えるに任せた。一方、ジタバタと暴れる黒狼騎士を絞めて気絶せしめたルークは、周囲を見回して寝具からシーツをはがす。
「どうするの、ルーク、大丈夫?」
「とりあえず、動けないようにしておこう」
シーツで簀巻きにされた騎士を床に転がしたルークは、コタロウを抱えて安堵の息を吐いているヒースレッドを見た。
「すまない、ルーク」
「まだ、聞こえないのか、聞こえなさそうだな。だ、い、じょ、う、ぶだ」
最後に大声で伝えると、ヒースレッドは頷く。
「誰か呼んで来た方がいいわよね」
「そうだね、どうすっかな」
迷いながら互いの顔を見合わせるルークとターニャに挟まれて、ヒースレッドは居心地悪そうに身じろぎをした。




