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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
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黒狼の選良騎士ー1

 王国騎士団近衛部は白竜隊と黒狼隊の2つに分かれている。王族や国賓、貴族議員など、人間を対象に護衛しているのが白竜隊で、王宮や議場の門番として立ったり、王宮内を巡回警備しているのが黒狼隊である。制服を見てすぐに区別できるよう、白竜隊の上着は白で黒狼隊は黒、警邏部は濃紺と決められている。甲冑の上に羽織る陣羽織(サーコート)も同様の色で作られており、式典や公式訓練時の騎士の騎乗姿を堂々として凛々しく見せた。

 黒狼隊に配属されてから半年余り、ヒースレッドの制服の上着はまだ真新しく、黒光りすらしている。彼は王宮本殿へ通じる連絡通路の扉を守る門番や、表庭やロビーの巡回などを担っている。黒狼隊の新人騎士は、必ず最初に王宮の顔とも言える一階を担当する事が伝統になっていた。

「ヒースレッド、おい、演奏は終わったぞ。移動する」

 黒狼隊の黒い制服を着た先輩騎士が、ヒースレッドの肩を叩く。議会のない時期に限り、王宮のロビーは文化的催しが開催出来る。今日は弦楽四重奏の演奏会が開かれていた。

「申し訳ありません、聞こえにくくて」

「大丈夫か」

 演奏が終わって主催の貴族議員とその関係者兼観客達が拍手している中、ヒースレッドは己の耳を手で押さえては離し、首を左右に振っている。曲の途中からやけに音が遠く聞こえる気がしていた。先輩騎士の口の動きを見て話している内容を判断している事実に気付いて、愕然とした。弦楽器の四重奏なので、耳を傷めるような大音量ではない。人や物とも接触すらしておらず、突然外界から遠ざけられたような、奇妙で不安な心地だった。

「ここはいいから、すぐに詰所へ行って報告しろ」

 心配も露わな先輩騎士は大きく口を開けて話しているが、ヒースレッドの耳には途切れ途切れにしか届かない。人差し指を上に向けている事から、4階にある詰所へ戻るよう指示されていると判断し、彼は頷いて頭を下げた。心もとない内心を隠すよう、足取りだけは確かに裏階段を上り始めた彼は、途中で見知った顔に出くわす。

「お、ヒース、お疲れ」

 笑顔で話しかけて来る相手が同期で気安いルークである事に安堵して、ヒースレッドは眉尻を下げて頷いた。

「ん? 変な顔してどうした」

「耳が聞こえにくいんだ。急に」

「え、大丈夫か」

「口の動きでなんとなく言っている事がわかるが、水の中にいるみたいで」

「なんか、まずそうだな。勤務中――き・ん・む・ちゅう、だろ!!」

 気を使って大声で問いかけて来るルークに、ヒースレッドは苦笑する。

「これから隊長に報告して……医師に診て貰う必要があると思う」

「あ、なら、俺、今すぐ医局に戻ってせんせいに相談してくる。今日はもう予約ないって言ってたし、すぐ診て貰えると思う」

 自分の考えに納得したせいか、ゆっくり話すという気遣いを一瞬で忘れ去ったルークは、親指を立てて良い笑顔になり、踵を返して5階の医局へ駆け上る。

「おい、ルーク、そんなに走るな!」

 自分の声がどれくらい大きく出せているか把握出来ず、小声になってしまったヒースレッドの注意は、ルークには届かなかった。暫し立ち止まって逡巡したものの、当初の予定通り4階を目指す。近衛詰所には、隊長か副長、それぞれの補佐官いずれか必ず一人は常駐しているはずだ。

「失礼致します」

 聞こえにくいので定かではないものの、普段通りを心がけて挨拶をしたヒースレッドは、詰所に置かれた机に向かうアッシュグリーンの頭を見つけて背筋を伸ばす。

「ん? ヒースレッドか、どうした」

 顔を上げた黒狼隊副長パーシバルの声が遠くに聞こえる。ヒースレッドは滅多に見せない険しい表情で副長の机に近づいた。

「申し訳ございませんが、何の前触れもなく、耳が遠くなりました」

「遠く? 聞こえないのか」

 頭を近づけて聞こうとするヒースレッドに、パーシバルはゆっくり繰り返す。

「俺の声も聞こえないのか」

「……微かに聞こえます。口の動きでだいたい仰っている内容は理解できます」

 パーシバルは素早くメモ用紙を取り出した。

「殴られたりぶつかったり鼓膜が破れたりしたのか」

 言いながら走り書いた文字を見せる副長に、ヒースレッドは首を横に振る。

「演奏会の警備をしている途中で、突然楽器の音色が遠くに聞こえるようになりました」

「何もなく急にか。持病なんかはないよな?」

 再度メモ用紙を見せられて同じように首を横に振る部下に、パーシバルは腕を組んで逡巡した。

「何もなくて急に音が聞こえなくなる」

 つぶやいた彼の耳に扉を叩く音が聞こえる。

「どうぞ」

 考えながらも入室を許可した彼は、予想外の人物二人の来訪に目を瞬かせた。

「失礼致します、警邏部第一部隊、ルーク・レコメンドと申します。ヒースレッド君とは先ほど階段ですれ違いざまに不調を聞きまして、医局の医師をお連れしました」

「え、早いな」

 ヒースレッドとルークの顔を見比べていたパーシバルは、眉根を下げた困惑気味の表情で会釈をする女性医師を凝視する。医局に女性医師がいる事実は知っていたが、妙齢の美女である事実に純粋に驚いた。

「初めまして、医局のローズ・ワーロングです」

「ご挨拶ありがとうございます。黒狼隊副長のパーシバル・ハリアーです」

「本来でしたら予約して貰ってから診察に来て頂くんですけど、手が空いていたので参りました」

「わざわざご足労おかけいたしました。ちょうどいいから、診て貰いなさい、ヒースレッド、ああ、待て、今書く」

 走り書きを読んでから、丁寧に腰を折るヒースレッドに目を瞬かせたローズは、小首を傾げて問いかける。

「医局へ来て貰えますか? 事務手続きは後ほどで結構です」

「……ワーロング医師、差支えなければ、この場で私も同席した状態で診察は可能でしょうか? 突然耳が聞こえにくくなる病気は聞いた事がないし、心配だ」

 メモとペンを手にローズに答えながらもヒースレッドに頷いて見せるパーシバルに、ヒースレッドは戸惑いの表情で浅く頷いた。実家のお抱え医師に診察して貰おうと考えていたヒースレッドは、ルークに連れられて現れた女性医師が自分に優しく微笑み掛けて来るのに、困惑している。

「あちらの長椅子へどうぞ。ルーク・レコメンド、だったか。医師を連れて来てくれて感謝する。君は……とりあえず退室しなさい」

「はい、せんせい、ヒースをお願いします」

 心配そうな表情のルークに、ヒースレッドは困惑したまま目礼し、ローズは苦笑して頷いた。ルークが出て行くのとほぼ同時に部屋の隅に設置された応接空間(長椅子と卓)へ着いた三人は、互いにそれぞれの顔を見比べる。

「先にお断りしておきますが、普段は往診はしておりません」

「近衛騎士はお抱えの医師がいる者が多いので、医局へ診察依頼を出すのは稀ですが、承知しております」

 ヒースレッドは未だ音が聞こえにくいので、二人のやり取りと何とか聞き取ろうと神妙な表情で集中していた。

「まずはお名前をフルネームでお願いします」

 ローズの問いをパーシバルが走り書きで伝える。

「ヒースレッド・ホワイト・フェリーチェです」

 ローズもスカートのポケットから小さなメモ用紙を取り出す。ブラウスの胸ポケットに刺さったペンを抜いて、ヒースレッドの名を綴る。

「耳を叩かれたり、ぶつかったりはしていませんか、高熱が出るような感染症にかかったとか、何かご自分で原因かもしれないと思う事があれば教えてください」

 メモ帳に書いた単語を指さしながら、ゆっくり大きな声で問われたので、朧気ながら内容が把握出来たヒースレッドは静かに首を左右に振って答えた。

「熱は出ていませんし出そうな感じもありません。演奏会の警備をしている途中で聞こえにくくなりました。誰とも接触していませんし、ぶつかってもいません」

「頭はどうでしょう、強く打ったりはありますか」

 近衛の詰所で過去に例のない優しい高い声が大きく響いている。パーシバルは部下が困ったら手助けしようと固唾を飲んで見守った。

「ありません」

「ここ数日の訓練でも耳や頭に衝撃を受けていませんか」

 ローズより先にパーシバルが走り書きを綴り、ヒースレッドに見せる。彼は藍色(サファイアブルー)の目を伏せて、低く答える。

「肩や腕は打たれましたが、頭や耳には受けていません」

 ローズはヒースレッドから聞いた内容を書き付けた後で、暫し無言で考えを纏める。急いで連れて来られたからだろう、彼女のこめかみから汗が一筋流れて行くのを、近衛騎士二名が静かに見守った。

「耳を見せてください」

 立ち上がって卓を回って隣へ寄って来るローズに身を固くする少年騎士の肩に、優しく手が乗る。

「大丈夫、耳を、診ますね」

 女性医師の両手が耳朶に触れて、頭に血が上る感覚がしたが、身じろぎをせずに耐えた。

「すみません、カーテンを開けて貰えますか、暗くて見えにくい」

「承知しました」

 素早く立ち上がる副長の長い脚を横目に、ヒースレッドはローズから漂う華やかな香りを嗅がないよう息を止める。ローズに失礼がないよう接しようと緊張しているお陰で、耳が聞こえにくい不安が僅かに遠のいた。

「ありがとうございます、ハリアー副長」

 つぶやきながらヒースレッドの耳を引っ張って中を覗き込んだローズは、小さく唸って戻って来たパーシバルを見上げる。

「良く見えないなあ、ヒースレッド君、ちょっと窓辺へ行ってもらってよいですか」

 窓辺を指し示すローズを気遣って、パーシバルがヒースレッドを誘導した。西日の眩しさに目を細めるヒースの肩に手を置いてローズは彼より頭一つ高い位置で待機するパーシバルに言う。

「頭を傾けて押さえて貰って良いですか、はい、そうです。そのまま」

 されるがままのヒースレッドの首辺りに何か呟いたローズの吐息がかかるが、聞こえにくいので何と言われたかはわからない。

「戻りましょう」

 両耳同じように確認したローズは、二人の近衛騎士を長椅子へ誘導し、再び三人は腰を下ろして一息吐いた。

「耳垢も詰まっていないし、おそらくですが鼓膜も大丈夫そうです。もう少し質問しますね」

 ローズの意図を酌んだ見事な助手ぶりを発揮するパーシバルは、彼女の言葉を走り書きしてヒースレッドに見せる。幾分かぐったりした様相のヒースレッドは、静かに頷いてローズの丸い頬辺りをぼんやり眺めた。

「最近、寝不足が続いていたり、何か……辛いとか悲しい出来事があったりしましたか」

 パーシバルは形の良い眉をしかめて医師の質問を文字へと起こす。隣で書かれる本人同様流麗な文字を見て、ヒースレッドはため息を飲み込んだ。

「十日程前でしょうか、身近な騎士が、亡くなりました」

 目を伏せて答えるヒースレッドを、ローズは静かに眺めている。ヒースレッドが黒狼隊に配属されてから指導係かつ相棒として日々、共に勤務していた先輩近衛騎士が死亡した。近衛騎士は城外に実家がある者多いが、死亡した騎士も同様で、王宮へ戻る途中で昏倒しその後死亡した。彼を慕っていたヒースレッドが受けた衝撃は大きい。

「なるほど、それは辛かったでしょうね。睡眠はとれていますか」

 優しい声の雰囲気だけは遠くに聞こえて、泣き出したいような気持になったヒースレッドは何度も瞬きをして気持ちを抑え込む。

「あまり眠れていないのか」

 パーシバルがヒースレッドにも聞こえるようにと大声で割り込んだ。

「申し訳ございません」

 不甲斐なさに唇を噛む部下の背を叩き、黒狼副長は首を横に振る。

「ストレスや寝不足で耳が聞こえにくくなったりするのですか」

「そういう事もあります。いい薬があるのですが、生憎医局に在庫がないので、そうですね……知り合いの薬屋へ行ってみます。早く飲んだ方が効くので、すぐに行ってきます」

「薬屋は問屋街にありますか? 馬車を手配しましょう」

 二人の会話の内容を聞きかじり、ヒースレッドは困った顔で言う。

「自分で買いに行きます」

「市販されていない薬なの。処方箋を書いて取り寄せて貰ってたら遅いわ。私が行ったらすぐに買えるから。二日以内に飲んだら、元通り聞こえるようになる確率が格段に跳ね上がるの」

「そうなんですね、承知しました。ヒースレッド、貴殿は休憩室を手配させる、余計なことは考えず、のんびり寝て待て」

 言い聞かせるようなパーシバルの言葉に、ヒースレッドは納得行かないながらも頷いて従った。

「表門前の馬車留まりに、馬車を用意させます」

「ええ、わかりました。一度医局に戻ってすぐに出立できるよう準備します」

 慌ただしく退室しようとするローズの背に、ヒースレッドが声を掛ける。

「あの、せんせい、ご迷惑をおかけします」

「薬を飲んだら治ると信じて、頑張りましょう」

 明るい笑顔でローズが言った言葉は聞き取れなかったが、励まされた事は理解したヒースレッドは小さく頷いた。

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