閑話ー2 ☆受付嬢の休日
医局は週に一日完全な休養日が設けられている。お洒落な喫茶店巡りを趣味としている私は今日、新装開店したお洒落な喫茶店に集まってつい最近出来た友人達とお喋りを楽しんでいる。王宮食堂で女給として働く同世代の三人と仲良くなったのはつい最近の事だった。
「王宮でしかも医局なのに、いつも犬がいるってどうなの」
犬が好きかどうか、今まで考えたことはなかった。猫を飼っている親戚はいたし、犬を飼っている人を見かけたこともある。小動物特有の可愛らしさは認識すれど、好き嫌いで判断したことはなかったのだ。
「最初は私もそう思ったけど、今はもうコタロウのいない職場なんて考えられないのー、態度悪い患者が来たら察して吠えてくれるんだよ、まるで騎士!」
私の熱弁に、女給その一が肩をすくめる。
「私達、あんまり騎士にいい思い出ないから」
「そうそう、警邏で一番大きい騎士、いるじゃない? ちょっと前の事だけど、セイラの態度を親切心で注意してたらさ、割り込んで来たの」
女給その二はしかめ面で声を低める。
「ああ、メルヴィンさんのこと? いい人じゃん」
「えー? どこが? うちらみたいなか弱い女給を脅して来たんだよ」
女給その三は鼻に皺を寄せて抗議の声を上げた。ルークが定期的に医局に来るようになってから、警邏の第一部隊の人が顔を出す頻度が増えている。メルヴィンさんもその一人。彼が診察に来たのは一度だけだけれど、休憩時間を利用してルークと一緒にコタロウの散歩をしてくれる。ローズ医師とルークに毒されているかもしれないけれど、犬好きに悪い人はいないと思うようになっている。
「セイラが弁えないから注意しただけなのに大げさに割り込んで来て、ものすごーく、感じ悪かったんだから!」
女給その一は不服そうに訴える。
「わかったわ、三人はメルヴィンさんにいい印象ないのね。まあ、セイラは確かに感じ悪いしねえ。その場にもう一人新人の騎士がいたでしょ? その子が良く医局に来るんだけど」
自分が悪く思っていない人の悪口には同調したくない。微妙に話を逸らすと
「ああ、もう一人細くて若い騎士もいた気がする。まあまあかわいい顔した」
女給その二が乗ってくれた。まだ十六才のルークは、筋肉などほとんどないのではないかと思うくらい細いし、コタロウと遊んでいる様子は家の弟達より子供っぽく見える時もある。
「メルヴィンさんといえば、セイラが彼にこっぴどく振られた話は聞いた?」
更に話をそらして話題の主導権を握るべく、底意地が悪そうな表情を作って話題を提供した。こちらの意図通り三人とも強い興味を覚えてくれたらしい。それぞれ私と似たような嫌味な笑顔が浮かんだ。
「本当に! やっぱりね、セイラみたいな貧相でおどおどした子じゃ、騎士とは釣り合わないよね」
「いつも悲劇のヒロインみたいな顔して男に縋ってさ、見てて気分悪いったら」
セイラ・ソーダは痩せていて暗い雰囲気の少女だ。医局に来た時、イーサン医師の診察を拒否したり、ローズ医師に対しても悪感情がありそうだったり、失礼な態度を取った。悪い意味で強い印象が残っていたセイラについて、ザリ、ヤリン、クシャナの三人が悪口を言っている場に通りかかる偶然があり、私から彼女達三人に声をかけて親しくなった。共通の敵がいたら急速に親しくなるのが若い女の子同士だと私は思っている。
「でも最近セイラって、ちょっと変わったんだよね。なんか、私達に媚びてるのか、笑顔で挨拶して来たり」
女給その一の言葉に、残りの二人も頷く。
「そうそう、サルエル様が来た時も、クシャナと接客の担当代わったし」
「クシャナの方がサルエル様と親しいって注意したの、ちゃんと覚えてたのかな」
「もしかして、サルエル様って、財務部の官吏の人?」
つい最近ローズ医師から聞いた逢引き相手と同じ名前に驚いて問いかけると、三人は顔を見合わせて頷いた。
「知ってるの?」
頷いてから暫し腕を組んで考える。大事な医師に関わる情報を、悪い方向へ取られないようにはどう話せば良いだろうか。
「ほら……ええと、サルエル様と医局のローズ医師のお母さまが知り合いで……一回だけ試しに食事でもって」
「ええ! 嫌だ、医局の薔薇が相手じゃ分が悪いんじゃないの」
女給その一が意地悪そうな笑みを浮かべて弾んだ声を出す。
「医師のローズっていえば、食堂には来ないけど、調理人達の間でもいい女だって噂になってた」
女給その二も嬉しそうに捕捉した。
「でもでも、もう、二十代半ば過ぎてるじゃん。女だてらに医師なんて生意気そうだし、サルエル様だって若い方がいいってすぐ飽きるわよ」
女給その三は顎を突き上げて得意げに鼻を鳴らす。セイラや三人で潰し合う悪口は良いが、身内の悪口は気に入らない。
「医師の人気が高いのは、見た目が綺麗なだけじゃなくて、すごく優しい方だからよ。どんな人が相手でも態度を変えたりしないし、私みたいな小娘の話だっていつでも真面目に聞いて下さるし!」
突然熱語りする私に、三人が目を瞬かせて顔を見合わせる。
「……ごめんなさい、ローズ医師にはすごくお世話になっているから、ちょっと熱くなっちゃった……大丈夫よ、クシャナ。サルエル様と医師が二人でお出かけする事はないって言ってたもの。若い、クシャナの方がサルエル様にはお似合いよ」
二人で食事に行こうとして捕り物に巻き込まれた時、腰を抜かしたサルエル・スケルトンをローズ医師が庇った話は聞いている。私の中でローズ医師への尊敬の念が高くなった出来事だ。詳細を明かして悪い噂にでもなったら困る。嫌味交じりに取り繕った。
「ターニャがそう聞いたって言うなら、信じるけど……まあじゃあ、クシャナ、頑張って。セイラになんか負けないで」
「そうね、しっかりやるのよ、クシャナ!」
「ええ、ターニャも応援してくれるみたいだし」
三人は私の誤魔化しに乗ってくれて、阿るよう口々に言う。後で三人だけで私への不満や悪口大会となるのだろうが、織り込み済みだ。私の父は貴族議員の秘書である。私は医局の受付嬢という使用人の中では中位である立場、まだ十八才の小娘であることも利用して、王宮の使用人達の不平不満や、噂話などを集めるよう命じられていた。父の上司が気に入りそうな出来事を報告すると、特別手当としてお小遣いを貰える。頭の出来も容姿も平凡で特に打ち込める特技もないが、幼い頃から様々な噂を集めるのが好きだった。
「クシャナはサルエル様がいるからいいとして、ねえ、ターニャあ、ヤリンと私にも誰か良さそうな方を紹介してくれない?」
そんな訳で、王宮の様々な部門に友人未満の知人がいる私に、異性を紹介してくれと頼んで来る輩は多い。
「そうねえ、でも、騎士は苦手なんでしょ?」
「警邏の騎士はね、近衛ならいいわ」
鼻息荒く主張する女給その二に、私は首を傾げて見せる。近衛は王族貴族来賓の警護や王宮警備を担当する騎士だ。無駄に軋轢を生まないため、貴族議員の縁者や政変前から代々騎士を輩出している上流階級を多く採用すると父から聞いている。
「近衛の知り合いねえ、どうだったかしら。医局に近衛騎士が来た事はほとんどないわ」
実は議員を護衛する近衛白竜隊の騎士数名とは言葉を交わした事もあるが、彼女達と話が合うとは思えない。本音で言うと、近衛も女給もどちらもあまり好感が持てる相手ではないので、勝手に出会って縁を結んでくれる分には構わないが、仲人役は引き受けたくない。お茶をして情報交換をするにはやぶさかではないが、面倒ごとを進んで買って出るほど親しい友人にはなり得ない。
「そっか、あ、じゃあ、ターニャのお父様のお仕事のお知り合いとかではいないかな」
女給その一の言葉に考えるようなそぶりを見せておいて、私は緩く笑った。
「知り合いにいたかなあ、すぐには思いつかないわ。でも、父に聞いてみるわね」
いい加減な約束をする私に、意中の相手がいる女給その三以外の二人が目を輝かせる。彼女達が玉の輿に乗りたいという気持ちを否定はしないが、自分にも決まった相手がいないのに、他人に斡旋している場合ではない。
夕方になって喫茶店を出た私は、三人と別れて二ヶ月に一度開かれる、問屋街夜市に足を延ばした。ガス灯の点灯夫が忙しなく街灯に灯を灯して行くのを横目に、所せましと並んだ雑多な屋台を冷やかして歩く。ルークやメルヴィンさん達警邏の騎士のお陰で王都の治安は悪くないけれど、さすがに日暮れ後に一人で夜道を歩く度胸はない。次回の夜市は、父に頼んで誰かと一緒に廻りたいと、目線を動かした私の耳に聞き慣れた息遣いが届く。
「ワフワフ、キャン」
「あれ、コタロウ?」
足元にやって来た柴犬のリードは屋台の柱に繋がっている。柱の横に並んだ椅子に座る人を見て、自然と口角が上がった。
「医師!」
手を振るローズ医師の隣には、
「イーサン医師も」
イーサン医師が座っている。
「ターニャ君にまで会えるなんて、嬉しい偶然が重なったね」
「偶然、会ったんですか」
「そうなの、親友が初めて夜市に屋台を出すって言うからコタロウを連れて遊びに来たのよ」
屋台の主だろう、野菜を切っていた黒髪の女性が顔を上げて薄っすら笑みを浮かべる。ローズ医師が親友と称した彼女は、異国的な雰囲気のスラリとした美女だった。
「良かったら、ローズの隣へどうぞ」
「あ、はい」
ローズ医師の隣に腰を下ろした私の足元に、コタロウがやって来る。普段のように顎の下を撫でてやると耳を寝かせて目を細めた。コタロウが嬉しい時にする仕草に癒されていると、ローズ医師が小さく笑い声を上げる。
「ふふ、ターニャったらすっかりコタロウの扱いが上手になったわね」
「医師が診察中は私と一緒に受付にいますからね」
くすぐったい気分で答える私に、碧色の目を細めて優しく微笑むローズ医師に、彼女の向こう隣のイーサン医師が見惚れている。ローズ支持者の騎士達をけん制するような発言をするイーサン医師も、時々彼女に熱いまなざしを注いでいた。本人には気づかれないようにしているようだが、私の目は誤魔化し切れていない。色恋に関する噂大好き、な受付嬢を甘く見て貰っては困るのだ。
「ターニャに撫でられて猫みたいなコタロウもかわいいわあ」
声高に愛玩への気持ちを吐露するローズ医師に、屋台の主である女性が呆れたような声を挟んだ。
「コタロウだったら何でもかわいいんじゃない、ローズは」
「ふふ、そうだけど。そうだ、シア、ターニャにも何か飲み物を出してあげて。お酒は飲まないのよね?」
「はい、まだ、外では飲むな、と父に止められています」
「じゃあ、炭酸水で良いかしら」
シアと呼ばれた黒髪の美女店主は素早い手つきで炭酸水を杯へ注ぐ。
「あ、でもそろそろ日が暮れちゃうから、一杯だけで」
炭酸が喉を抜けていく清涼感と同時に、晩夏の涼風も頬を撫でて行った。
「ターニャは城外に住んでいるものね」
「医師は帰りどうするんですか、家、結構遠くないですか」
目立たないようすっぽりフード付きローブを着て行き来している、とは聞いているが、問屋街から住宅街は女性が歩いて帰れる距離ではない。
「私はシアのお店の片付けを手伝って、一緒に帰るから大丈夫」
「ターニャ君、良かったら私が送ろう。馬車を借りているんだ」
「そういえば、イーサン医師がいるなんて驚きです。お休みの日はお子さんの看病で付きっ切りって聞いてたから」
彼には亡き妻との間に、十才になる娘がいて原因も治療法も不明な病に罹患している。二年前に発症して以来徐々に弱って、今では日常生活もままならないらしい。ここ一ヶ月くらいは激しい痛みに眠れない夜もあるとか。昼間は雇っている家政婦兼乳母が面倒を看ているが、夜はイーサン医師が看なくてはならない。笑うと消えてしまう細目の下の隈が消えなくなって久しい。
「今日は母が来ていていね、娘を看てくれているんだ。たまには気晴らしに夜市にでも行って来いって追い出されてね」
「ええ、じゃあ、なおさらゆっくりして行ってくださいよ」
イーサン医師は、引き締まった体つきで細い目の優しい顔立ちで確かこの間四十才になったと言っていた。性格は温厚で王宮の医師として信頼と尊敬も集めている彼は、ローズ医師の恋人候補として悪くないと私は勝手に思っている。
「そうだ、ターニャ。さっきイーサン医師には言ったんだけど、今日は私とシアは私の実家に泊まる予定だから明日は少し遅れて出勤するわ。母もコタロウを気に入ってしまってね、休みの日を合わせるから絶対連れて来いってうるさくて」
「え、そうなんですか」
ローズ医師とシアさんの顔を見比べる私に、シアさんは肩をすくめて薄く笑った。
「ローズの母親だもの、想像つくでしょう?」
「コタロウがかわいくて仕方ないって感じですか」
「そうよ、ターニャさんだったっけ? ローズのこと、良くわかってるわね」
「ええ、すごく褒められちゃった」
シアさんの発言に照れていると、二人の医師に苦笑された。
「私の事をわかってるのが誉め言葉って意味不明だわ」
「ターニャ君はローズ君が好きだからねえ」
イーサン医師の台詞に、内心であなたもですよね、と言いつつ、私は炭酸水を飲み干す。
「じゃあ、ごちそうさまでした。おいくらですか」
「ごちそうするよ」
「わあ、ありがとうございます。では、帰ります。コタロウ、また明日ね」
イーサン医師にお礼を言って、丸まって休憩中のコタロウにも声を掛けて席を立った。問屋街の馬車乗り場から、王宮行きの最終馬車が出ている。御者にあらかじめ頼んでおけば、私の自宅がある途中の城外で下ろして貰えるのだ。
「馬車乗り場まで送って行こう」
「いえ、大丈夫ですよ」
遠慮する私に有無を言わさず、イーサン医師は隣に並んだ。等間隔に並ぶガス灯に照らされながら、賑やかな人の波に紛れる。
「誤解しているようだから言っておくよ、ターニャ君」
「誤解、ですか」
「私はもう恋人を作ったり、妻を迎えたりするつもりはないんだ」
「え……そう、なんですか」
硬い声で語られた話に口ごもる私の頭に、イーサン医師がそっと手を置いた。
「娘にね、最後まで寄り添いたいんだ。他に気を逸らしている余裕はない」
「娘さん、かなり、悪いんですか」
いつになく暗い声で語られる事実に胸が痛い。私の問いに医師は静かに首肯する。医師の意思を無視してまで、二人を近づけたい訳ではない。
「私はただ、イーサン医師とローズ医師はお似合いだなって思って」
「私も良い年だし、ローズ君にはもっと若い人が似合うよ」
「イーサン医師はお若いです!うちの父なんて医師と同じ年ですけどお腹も出てるし時々臭うし」
「アハハ、ターニャ君。お父上を落としてまで私を持ち上げなくていいよ、気遣い、ありがとう」
優しく笑う彼に何だか泣きたくなった。イーサン医師の娘の病気が快復する奇跡を、瞬き始めた宵の星空に願った。




