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王宮食堂の女給ー11

 優しげな亜麻色の瞳に見つめられ、中年の男が柄にもなく頬を染める。

「そういう色っぽい目で俺を見るのは止してくださいよ、ミシェル」

「ああ、ごめん。流し目をする癖がついていてね。そっちの趣味はないから安心して。はい、これ」

 艶のある黒いくせ毛を緩くまとめ、全身黒一色で怪しくもあか抜けた雰囲気のミシェルは、生成りの袋の口を開いて中年の男に中身を確認するよう促した。

「確かに。一包だけ貰ったのを女房で試したら、欲しがって困っちまいます」

 男の発言に端正な眉をしかめ、ミシェルはゆっくり首を左右に振る。

「奥さんに使ったの? 結構効果が強いモノだから、自分達がはまってしまったら、商売にならなくなるよ」

「大丈夫っすよ、どうしてもやらねえと我慢できねえってなったら、裏へ落としますんで」

「悪い旦那だねえ。子どもだって何人もいるんだろう? 簡単に捨てるなんて言うもんじゃないよ」

「へっ、ミシェルみてえな色男じゃありませんが、寄って来る女には困ってねえんで」

 下卑た笑みを浮かべながら、中年の男は袋の口を縛って受け取り、自分が抱えていた硬貨の袋を卓の上に置いた。

「それがさばけたら、次の納品も花街経由で知らせるから」

 杯の中身を飲み干して、重そうな硬貨の入った袋を持ち立ち上がるミシェルに、男は嫌らしい笑みで何度も頷く。手足が長く目を引く均整の取れた身体つきをしたミシェルを見送ったのは、袋を受け取った男だけではなかった。

 薄暗い店内で息を殺していた騎士達は、残された男の動向に目を光らせている。

「気づかれたかもしれん」

 つぶやくランスロットに、メルヴィンは片眉を跳ね上げ低く答えた。

「あいつ、一度もこっちを見てなかったぞ」

「だからだ。後ろ暗い取引なのに、店内の様子をほとんど確認すらしていなかった」

「だとしても、ミシェル・ムーには第三と第四の奴らが尾行に付いてるだろ」

「……四年前も、監視が付いていたのに逃げおおせている」

 鮮やかともいえる逃亡を見せたミシェル・ムーを捕縛せず泳がせている理由は、彼が麻薬と思しき薬を入手しているルートが判明していないからだった。騎士二人の監視に気付かず薬らしき袋を受け取った、末端ともいえるセイラの父親は、退店直後の捕縛が決まっている。ルークやガンメタールを含めた第一部隊の騎士も店の外で待機している。諸悪の根源である父親が麻薬密売の罪で捕縛されて長期間の労役となれば、セイラや彼女の弟妹の生活も改善されるだろう、メルヴィンが先日振った少女について思いを馳せた時、店の扉が大きな音を立てて開閉した。

「ああ、いた、ねえ、ねえ、あなた、例のお薬、手に入れたんでしょう」

「おい、黙れ」

 妻の手を掴んで座らせた夫は、周囲を見回して声を潜める。

「ねえ、早くちょうだい。背中がじくじく痛むのよ、飲んだらまた、鞭で打っていいからあ」

「黙れって言ってるだろうが」

「あなたあ」

 大きく舌打ちしたセイラの父親は、懐から出した硬貨を卓の上に置き、薬の入った生成りの袋をベルトに括り付けた。

「金は置いた、釣りはいらん」

「はい」

 店員に声を掛けて店の扉を開けたセイラの父親は、ちょうど入店しようとしていた身形の良い男と衝突する。

「痛っ、何しやがる!」

 苛立ちも露わに声を上げたセイラの父親に、絡まれた男が眉をしかめた。

「失礼、だが、貴殿が扉の外を見ていなかったせいではないか」

「あんだと? ははあ、女の前で粋がってやがるな!」

 男の背後で一歩後ずさった影を見て、セイラの父親は声を大きくする。

「ねえ、あなた、いいから早く行こう」

「さっきからうるせえんだよ」

「ごめんなさい、あなた、怒らないで、後でいくらでもやっていいから」

 不穏な女の台詞に目を瞬かせる男女二人連れは、セイラの父親の勢いに押されて店の外へ追いやられた。

「なあ、あんた、ちょっといいブツがあるんだ、買うならすぐに消えてやるぜ」

 低く脅し交じりに提案して来るセイラの父親に、身形の良い男は顔をしかめて首を左右に振った。

「結構だ、やめたまえ」

 店に入るのを諦め、因縁をつけて来る輩から逃れようと連れの女性の背を押して歩き出す男に、セイラの父親は執拗についていく。

「女をいくら傷めつけてもそれが逆に快い気持ちになっちまうってモノだ、ちょいと高いが効果は保証するぜ」

「それって、よからぬ薬じゃないんですか」

 落ち着いた声で割って入った女を初めてまじまじと見たセイラの父親は、舌なめずりでもしそうな顔になる。

「おいおい、随分いい女を連れてんじゃねえか」

「あなた、もう、帰りましょう、ねえ」

「だから、うるせえよ!」

 言いながら、縋る自分の妻を再び突き飛ばす。

「ちょっといい加減にしたらどう?」

 身形の良い男と連れ立った美女、ローズは抗議の声を上げて突き飛ばされ、尻餅をついたたセイラの母親へ駆け寄って助け起こそうとした。

「大丈夫ですか?」

「関係ないでしょ、離して!」

 ローズは振り払われた手を見てため息交じりに、本日の食事デートのお相手である財務官吏サルエルに声を掛ける。

「話が通じなさそうですね。サルエルさん、騎士の詰所に行きましょう」

「おいおい、待てよ、行かせねえよ」

「あ、やめ、やめたま、え」

 セイラの父親がベルトから引き抜いた短刀(ナイフ)が西日を反射して光った。生粋の文官で運動すら苦手なサルエルは、遠巻きかつ足早に通り過ぎる人々に縋るような目を向ける以外に咄嗟の対処が思いつかずにいる。

「痛い目を見たくないだろ?」

「ひいい」

 悲鳴を上げて顔を庇うよう腕を振り上げたサルエルに、セイラの父親が短刀(ナイフ)を振り下ろす動作をして見せる。周囲を見回したローズは、大きな声で叫んだ。

「誰か、武器を貸して!」

 遠目に様子を伺っていた人々の中の一人が、ローズの叫びに応じて杖を投げて寄越す。ローズは弧を描いて落ちて来た杖を拾い上げて、下段に構えた。

「女がなんだ? 引っ込んでろ」

 腰を抜かしてへたり込むサルエルを庇うよう間に入り込み、杖を剣のように構えて中年の男を睥睨するローズに、周囲から拍手が上がった。

「ふ、たああ!」

 踵の高いサンダルで地面を滑るよう移動した彼女は、短刀(ナイフ)を狙って杖を突き出す。

「しゃらくせえ、クソが!」

 無造作に腕を振り回す男に、

「クソはどっちよ」

 低く言い返したローズが大きく踏み込む。セイラの父親は短刀(ナイフ)で受け止めようとするが、杖の先が二の腕裏側を強く突いた。

「痛え! この女あ!!」

 叫んで跳び上がって後退する男のみぞおちと腹に、杖が二突、三突とぶつかって行く。彼女が杖で突きの動作をする度に、ロングスカートの裾が一定の方向へ揺れ動いた。

「あなたあああ」

 夫の危機とばかりに叫んで割って入ろうとしたセイラの母親は、ローズに辿り着く前に別の人間によって制された。

「確保しろ! ローズ医師(せんせい)、下がってください」

 ランスロットの号令によって、濃紺の制服に身を包んだ警邏部の騎士達がセイラの父親を包囲して凶器を奪い取り、危なげなく捕縛する。

「無茶すんなよ、医師(せんせい)、杖はフルーレじゃねえぞ」

 大きく息を吐き出して胸を撫でおろすローズに、メルヴィンが軽口を叩いた。

「ふぉっふぉ、杖が役に立ったのう」

 求めに応じて杖を投げたのは、老人に扮していたガンメタールだったようだ。

「ガンメタールさん……こんなにたくさん騎士がいるって事は、この人達を捕まえようとしてたって事?」

 抗議を含んで問いかけるローズに、サルエルを助け起こしたランスロットが硬い声で謝罪する。

「申し訳ございません、別の問題が起こってしまい、捕縛の命令が遅れました」

 セイラの父親が店を出た直後、ランスロットの懸念が当たってしまった。ミシェルを見失ったと報告に来た騎士に対応していた一瞬の隙に、ローズ達が絡まれる事態に発展してしまった。

医師(せんせい)、本当にすみませんでした、どこも斬られてませんか!!」

 店の外で様子を伺っていた捕縛待機組の中で、飛び出そうとしたのを先輩騎士達に制止されていたルークは、心配そうな顔で声を掛けて来る。

「全ては部隊長である自分の責任です、申し訳ありません」

 ランスロットはまだ謝罪を続けそうだし、ルークはローズに怪我がないか凝視して来るしで、ばつが悪くなったローズは、首を左右に振って二人を止めた。

「いえあの、怪我もないし、二人ともそれ以上はやめてください。こちらこそ、お仕事に割り込んだみたいになってすみません……私達、詰所へ同行しての事情聴取が必要ですか」

 ローズは話を逸らそうと、青ざめて黙り込んだ状態から変化のない連れに視線を向ける。

「いえ、一部始終立ち会っておりますので、今日のところは、同行をお願いする事はありません」

 視点の定まらないサルエルと、眉間に皺を寄せて口を尖らせているローズを見比べて、ランスロットは硬い声で答えた。メルヴィンも含めた他の騎士達は野次馬を追い散らしながら、セイラの両親を連れて行こうとしている。

「だそうです。サルエルさん、どうします? 別の場所に食事に行きますか」

「……いえ、今日は、帰らせていただきたい」

「そう、ですか、わかりました」

 黄昏色の空を見上げて、サルエルは悄然とした後ろ姿で去って行った。

「ルーク、医師(せんせい)を送り届けろ」

 ランスロットの命にルークが返事をする前に、罪人の縄を別の騎士に預けたメルヴィンが寄って来て口を挟んだ。

「ランスが行けよ。こっちはもう手はず通りに進めるだけだし、医師(せんせい)に聞いといた方がいい事もあるだろ」

 意味深なメルヴィンの言葉に首を傾げるローズとは異なり、ルークとランスロットは互いに目配せを交わす。

医師(せんせい)、ご自宅まで自分に送らせていただけますか」

「実家に、コタロウ、犬を……迎えに行こうと思ってるんですけど」

 安堵とともにこみ上げて来た震えを隠そうと両手を握って視線を落としたローズに、三人の騎士達は気づいた。

「そうですか、では、ご実家まで送ります」

「……じゃあ、お願いします」

 断り切れなかったものの、震えてしまっている状態は隠したいし脱したい。ローズは強く意識して大きく胸を張って大股で歩き出す。彼女の背に導かれるよう手を伸ばしたランスロットは、触れる直前でさっと手を引っ込めた。二人を見守っていたメルヴィンとルークは顔を見合わせる。

「うちの部隊長は純情だな」

「そうっすね、まあ、相手がローズ医師(せんせい)っすから」

「だからさ、お前のその、ローズ支持は一体何なん」

 呆れた声を出すメルヴィンを他所に、ルークは内心で部隊長へ応援(エール)を送った。

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