王宮食堂の女給ー8
王宮食堂を統括する厨房長は、呼び出した女給の顔色の悪さに目を見張る。
「顔色が悪いな。体調が悪いのか」
「いえ、少し寝不足なだけです。申し訳ありません」
「ちょうど良い。君の両親が来ている。ロビーにいるから、休憩がてら会って来ると良い。緊急だそうだ」
白い顔を更に青ざめさせたセイラは、黙って頷いて前掛けを外した。これ見よがしに陰口を叩く先輩女給を横目に、セイラは食堂を出てロビーへ向かった。王宮の表庭は議会や来賓などの日程がない時は一般開放されているが、王宮建物内は自由に出入り出来ない。近衛騎士に付き添われて所在なさそうに立っている両親を見つけたセイラは、身体が酷く重くなった気がした。
「ああ、セイラ。大変なのよ」
最近流行りの女性らしい身体の線を強調するワンピースをひらめかせ、母親が駆け寄って来る。
「お母さん」
つぶやくセイラに、付き添っていた近衛騎士が声を掛けた。
「セイラ・ソーダさんで相違ありませんか?」
「あ、はい」
「ご両親ですが、今回は特別に本殿内へご案内しましたが、次回からは表庭で面会するか、手続きを踏んで下さい」
「ごめんなさ、申し訳、ございません」
「二階の個室が一つ空いていますので、どうぞご利用ください」
「ありがとう、ございます」
注意されたセイラを気遣う様子もない母親と、不貞腐れた表情を隠そうともしない父親に失望を感じながら、セイラは二人を促してへ階段へ向かう。
「ご両親を送り出す際は、騎士棟への連絡通路にいる私まで、一声をおかけください」
セイラは振り返って深く頭を下げた。
「わかりました」
何度も振り返って頭を下げるセイラの腕は、母親に掴まれ引っ張られて、父親は黙って後ろに続いて階段を上がって行く。女給の骨ばった細すぎる背を暫く眺めていた近衛騎士、ヒースレッドは、音もなく隣に来た騎士を静かに見上げた。
「これでよろしいでしょうか」
黒と白を基調とした近衛の制服とは異なり、濃紺の警邏の制服に身を包んだランスロットは、感情の見えない藍色の瞳で頷く。
「ああ、礼を言う」
「では、私は職務に戻ります。二人が出て行ったら、すぐにルークに知らせる、でよろしいでしょうか」
「頼んだ」
ランスロットは短く答えてセイラと両親を追って階段を上った。王宮の二階には、議員の待機室、来賓待機室など多くの個室がある。使用人が家族との面会などに利用出来る多目的室もあり、セイラ達家族は階段を上ってすぐに近づいて来た侍女により、案内されて入室した。小さな卓と椅子が四脚置かれただけの簡素な部屋は窓も小さく、ひんやりとしており薄暗い。
「お茶をお持ちしますか」
「ええ、お願い」
「いえ、いりません、お母さん、私は仕事中だから、のんびりできないの」
「茶ぐらい飲ませろ」
不機嫌な父親の声色にびくりと肩を震わせるセイラを見て、侍女は静かに礼をして退室した。わざとらしく大きな音を立てて椅子を引く父親の顔色を伺いながら、母親が隣に腰を下ろした。セイラは音を立てないよう慎重に椅子を引く。
「緊急の話って? お父さんもお母さんもいなかったから、妹たちに一週間分の食料は渡したけれど」
「ああん? はした金しか稼いでねえくせに偉そうに」
「セイラ、生意気はダメよ」
「生意気なんて……お父さんとお母さんがお金も食べ物もないままあの子たちを放っておくから、私が買っただけ」
俯いて小声で抗議するセイラを見ようともせず、父親は向かいの椅子を蹴り飛ばす。
「やめて、王宮の、物だから」
「けっ、こんな粗末な部屋しかねえんだ、王宮だなんだってしけてやがる」
「本当ね、セイラ、あなた、もっと稼げる仕事を探した方が良いんじゃないの」
乱暴な父親と決して子供を庇わない母親を光のない眼差しで眺め、セイラは静かに頭を左右に振った。
「もういいわ。なんの話ですか、お金なら、次の給料日までない」
淡々とした宣言に、両親は顔を見合わせた。
「前借りしろ」
「そんなこと……できない」
唇を噛みしめて俯くセイラの方に身を乗り出し、母親が猫なで声を出す。
「あのね、セイラ、お父さんにすごく良いお仕事の話が来ているの。高く売れる品物があって、仕入れにお金が必要なの。すぐお金を渡さないとダメなのよ。お母さんも少しは稼いだけど足りなくて」
疑いの目で両親の顔を見比べるセイラに、父親が笑みを浮かべて見せた。
「こいつの言う通りだ。妹や弟にたっぷり飯を食わせてやれるようになる。金を出すか、妹を学校へやるのはやめて働かせるか」
「わかった! お金は借りてでも出すから、あの子を働きに出すのはやめて。妹たちを学校にやるって約束で仕送りをしているのに」
泣き出しそうな声を出すセイラに、父親は鼻を鳴らす。
「ふん、最初から素直に出せばいいんだ、お前の教育が悪いぞ」
「ごめんなさい、あなた。セイラ、あなたが頑張れば、お父さんも妹も弟も幸せになれるわ、お願いね」
諦めの境地で頷くセイラはか細い声で聞いた。
「高く売れる品物ってなあに」
「お薬よ」
「薬……」
「ええ、お父さんのお友達が安くたくさん譲ってくれるんですって」
「おい、セイラになんぞ余計な事は話さなくていい」
得意げな母親をまんざらでもなさそうに制し、父親は口の端片方だけ持ち上げる歪な笑みを浮かべる。
「娘なら俺の役に立て、セイラ。いいな。出来るだけ多く前借りしろ」
「わかった。後で……家に届けるから」
「せっかく来たんだ、今すぐ借りて来い」
「それは、そんなの、無理だよ。上の人と簡単には会えないし、前借りなんて、したことないし」
父親がまた正面の椅子を強く蹴ったところで、扉をノックする音が響いた。
「お茶をお持ちしました」
セイラが扉を開けると、先ほど家族を案内してくれた侍女がお茶を載せたお盆を手に立っている。
「ありがとう、ございます」
「大丈夫ですか? 何か大きな音が聞こえましたが」
中を覗き込む侍女からお盆を受け取り、セイラは背を丸めて謝罪した。
「ごめんなさい、椅子にぶつかってしまって」
「そう、ですか。食器はそのまま卓の上に置いておいてください。では」
心配そうにセイラを見上げたものの、それ以上は何も言わず侍女は去った。
「酷え」
セイラ達三人が通された多目的室の隣室で、彼らの会話に聞き耳を立てて潜めた声で会話する者達がいた。
「薬を売ると言っていたな、ミシェル・ムーから買うつもりだろうか」
「可能性は高いな。しかし、娘に金を無心して買うのが麻薬って」
「唾棄すべき親だ」
低く吐き捨てるランスロットに、メルヴィンも力強く頷く。セイラは両親に追い立てられ、前借りするために食堂へ戻った。
「娘に金を用立てるよう、厨房長に進言して来る」
薬の売人としての疑いのかかるミシェル・ムーと共に花街へ消えた男が、セイラの父親であり、近所でも評判の悪い男だと調べがついたのが昨日。セイラの父親の監視をしていた騎士から王宮へ向かっているようだと報告を受けたランスロットは、近衛に話を通して両親をロビーへ招き入れ待機させた。二人を待たせている間に、隣室から会話を盗み聞き出来るよう薄い壁で仕切られた多目的室へ案内させている。
「貧相な上におどおどしてつまらねえ娘だな。お前に似たら花街でも働けたのに」
「あら、うふふ、美しくはないけど、お金は稼いでくれるんだから、いいじゃないの。妹は私に似ているから、年ごろになったら花街へ出せばいいのよ」
「はん、そうだな。もっとお前に似た娘を作るか」
セイラの両親が交わす胸糞が悪い会話に、彼女が憧れている騎士は深いため息を押し殺す。捜査のために父親のことは泳がせると決まっていた。セイラの心中を察するに強い同情心がこみ上げた。




