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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第七章 終わらない夜のすきまに
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第4話

 足元に丸まっていたコタロウが首をもたげた。本殿へ通じる扉が開いて、四阿に向かって人影が歩いてくる。


「こんにちは、ランスさん」


 ローズの挨拶より先に駆け出したコタロウが、ロングリードいっぱいまでランスロットに近づいて跳び付こうとしている。籠と水筒を抱えているため屈めないランスロットを見て、ローズはリードを引き寄せた。


「こら、コタロウ。ランスさん、何か持ってるから、ダメ」


 飼い主の注意を他所に、コタロウはランスロットの足にじゃれついて、歩を邪魔した。


「ローズせんせい、その、お時間を作ってくださり、ありがとうございます」


 かしこまって丁寧な挨拶をするランスロットに、ローズは口を尖らせる。


「いいから、先にそれをテーブルに置いたら?」


 水筒を置いて、籠からカップと皿を出してクッキーを盛り付けたランスロットは、ぎこちない手つきでカップに紅茶を注いだ。


「お茶会なんだ。懐かしいね」


 テーブルに足を掛けようとしたコタロウのリードを、届かない場所へ繋ぎ直したローズは、テーブルを見て小声で囁く。ランスロットはそっとカップをローズの前へ移動させ、斜め向かいに腰を下ろした。チャコールグレーの上着は着ておらず、白いシャツの袖をめくっている。


「着替えてきたの?」


 ローズは生成り色の襟なしワンピースを着て髪を解いている。いつでも帰宅できるよう鞄と羽織りのローブがカウチの端に重ねてあった。


「いえ、上着だけ脱いで……」


 腰の辺りを気にした様子から、剣も置いてきたのだと察したローズは頬を緩める。鮮やかな夕陽が二人の影を伸ばし、遠ざけられたコタロウは風に吹かれて丸まっている。


「飲んでいい?」


「はい、どうぞ」


 カップに注がれた(ぬる)い紅茶を飲み干して、ローズはランスロットの喉ぼとけへ視線を向けた。


「あの」


「ええと」


 同時に声を出してしまい、ランスロットは口元を押さえ、ローズは笑い声を上げる。


「ふふ、なんか変。先にいい?」


 夕陽に照らされて露出した首や腕が赤く見える。ローズは瞬きしながら問いかけた。


「ナックルに聞いてもいいんだけど、言い方とかが気に入らないから、ランスさんに確認しようと思って」


 コタロウのように『ふんす』と鼻を鳴らしてから笑顔になるローズに、ランスロットは肩の力を抜いて僅かに眉尻を下げる。


「なんでしょうか」


「結局、黒狼のジュールさんは、モールフィだと知らずに鎮痛粉を飲み過ぎたのよね」


「はい」


「ジュールさんのカルテを見たけど、イーサンせんせいが処方した鎮痛薬は出せる中では一番強かった。相当ひどい頭痛だったんだろうね。良く効く、正体不明な薬に頼るぐらい」


「そうですね、パーシバル隊長も、ヒースレッドも、ジュールが頭痛に耐えられず、一時的に現場を離れることもあったと言っていました」


「黒狼の元隊長は、心配して薬を渡していたって感じじゃないんだよね?」


 小首を傾げるローズから草むらへ視線を反らしたランスロットは、声を低くした。


「商人の息子だから、と私用にジュールを使い、その対価として薬を与えていたようです」


「あの、錯乱してノルディアの療養所に入った騎士、アランさんだっけ、彼もジュールさんをこき使ってたんだよね……そういうの積み重なったら、頭痛が悪化しそう」


「はい、生真面目な質だったようなので、上手く受け流せず不調に繋がったのかもしれない。全て、推測ですが」


 ローズは顎に人差し指を当てて、ランスロットが見つめる草むらを同じようにぼんやり眺める。


「結局、元隊長はお咎めなしだし、議員だって……。モールフィを持ち込んだ東方の一族なんかもう、小国がどうこう物申せる相手じゃないって感じだし」


 ランスロットは居ずまいを正してローズに向き直った。


「裁判にかけることができる人間はいませんが、議員には釘を刺しましたし、元隊長に関しては奥方がしっかり手綱を握っているようですので、領地から出ないでしょう。ジュールのご両親には、彼の死が事故だった事実だけは伝えるつもりです」


 ローズは眩しそうに碧色の目を細めて、ランスロットを見つめる。


「ノルディアまで足を延ばしたり、大変だったのにね」


「いえ……お気遣い、ありがとうございます」


「ふふ、固いよ、相変わらず」


 ローズはクッキーに伸ばした手を上からそっと押さえられて、目を見開いた。


「あの、ローズ、先輩」


 吐息混じりの呼びかけにローズの頬に一気に血が上る。何も言えずに見つめ合ったままの二人に、トテトテとコタロウの足音が近づいた。


「思い出したの。ランスさんが、ランちゃんだって。そのサラサラの金髪も灰色の綺麗な目も真面目な性格も……変わらないね」


 重ねられた手に視線を落とし、ローズは細く息を吐く。ランスロットは彼女の手を擦るよう指を動かした。


「覚えていないのだと、思っていました」


「うん、忘れてた。ごめんね」


 はにかんで手を引こうとするが、掴まれて止まる。ランスロットは僅かに身を乗り出した。空が薄紫色に染まり出し、互いの表情が見えにくい。


「あなたが医師になると言っていなくなっても、ずっと忘れられなかった。あなたが言うよう大きくなっても、変わらず」


 何か答えようと口を開いたローズは言葉が出て来ずにきゅっと唇を閉じた。鼓動が早鐘を打って騒がしい。


「ローズ先輩、いえ、ローズせんせい、俺はあなたが……」


「アーオ!」


 コタロウが大きく甘えた声を上げ、四阿の木床をカリカリと引っ掻く。


「クーン、クーン」


 続けて後ろ足で立って届かない前脚が空を切る。ローズはコタロウへ視線を向けて肩を震わせて笑い出した。


「ふふふ、アハハ、もう、ふふふ、やだ、コタロウ」


 ランスロットはそっとローズの手を解放する。さっと立ち上がってコタロウに近寄ったローズは、腕を広げて愛犬を抱きしめた。


「お腹、空いたの?」


 ローズに鼻面を擦りつけてから、コタロウはさっさと行くぞと言わんばかりに伸びをして、後ろ足を一本ずつゆっくり蹴り上げた。ランスロットは、皿のクッキーを包み直してテーブルの上に置き、皿を空のカップを籠へしまう。


「ごめんね、ランスさん」


「いえ、良かったら、これを持って帰ってください」


 クッキーの包みを鞄へしまうローズを眺めて、ランスロットは薄く口許に笑みを浮かべた。



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