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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第六章 夏の痛み
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第8話

 帰り支度を終えて詰所を出たヴィヴィは、騎士棟一階で、クラリッサを見かけて足を止めた。夏らしい薄手の爽やかな白いドレスに身を包み、つばの広い帽子を抱えて出入口を眺めて立っている。


「御機嫌よう、クラリッサ」


 淑女科時代の挨拶で声をかけてみると、クラリッサが肩の力を抜いて微笑んだ。


「御機嫌よう、ヴィー先輩」


 騎士棟の一階には警邏部の詰所がある。出入りが激しいので、通りすがりの騎士たちにじろじろ見られていただろうクラリッサに同情しつつ、ヴィヴィは彼女をロビーの端に置かれたカウチへ誘導した。


「そうだ、ヒース君から聞きました。婚約、おめでとう」


「ありがとうございます」


 しっとり答えるクラリッサの表情は変わらない。ヴィヴィは腰を下ろして小さな鞄を隣に置いた。


「婚約者を待ってるの? 訓練中か何か?」


「いえ……フィリップ様が何をしてらっしゃるかは存じません。騎士棟一階のロビーで待つように、とそれだけ指定されていますの」


「えー、待たせるにしても本殿にすればいいのに」


「こちらだったら、身内は入室許可がいらないから、と」


 クラリッサは俯いてそっとハンカチで汗を拭い、長い髪を耳へかける。


「ああ、そっか。手続きが色々あるから。とはいえ、婚約者をこんなところで待たせてる騎士なんて見たこと、ない……けど」


 語尾を気まずく濁したヴィヴィに、クラリッサは何も言わない。


「ヴィー先輩は、宿舎にお住まいですの」


「うん、城外の屋敷は大事な収入源として貸し出し中だから」


 自分の懐事情に苦笑したヴィヴィは、クラリッサの持っている帽子に刺繍された高級ブティックの模様に気づいた。


「その帽子、素敵ね。マダムマリーの品かしら」


 貴族としての社交知識を披露できて安堵するヴィヴィとは裏腹に、クラリッサは顔を歪める。


「……ええ、フェリーチェ家の縁続きになるので」


「贈られたんだ、いいじゃ……」


 戸惑いつつ褒めようとするヴィヴィを、クラリッサは冷たく止めた。


「自分で、購入しました。フィリップ様の婚約者として恥ずかしくない装いを、と思いまして」


 ヴィヴィは、背筋を伸ばして帽子を握りしめるクラリッサの腕を軽く叩く。


「皺になっちゃうよ、大事な帽子」


「あ、ありがとうございます」


「そろそろお腹空いたから、帰るね、じゃあ」


 立ち上がって淑女の礼をするクラリッサに、ヴィヴィはヒラヒラと手を振って別れた。


「ほんと、貴族って大変」


「何がだ」


「わあ、隊長。どうしたんですか」


「帰りだ。宿舎に向かうのだから、同じ方向だろう」


 隣に並んだ美丈夫な上司に驚いたヴィヴィは、周囲を見回して彼のファンがいないことを確かめる。


「何を警戒している」


「隊長のファンですよ」


 パーシバルは頬を引きつらせ、ため息を吐いた。


「並んで歩くだけで何か言われるのか」


「まあ、すれ違いざまに嫌味とか」


「チェリーナからは聞いたことがないが」


 蜂蜜色の髪で片側に一つだけ三つ編みを垂らしたヴィヴィは、柔らかい印象を与える眦を吊り上げる。


「チェリさんはああいう感じですから、女子も声かけるのすら躊躇うんでしょうね。私はほら、大人しそうに見えるから。いえ、大人しいから」


 冗談交じりのヴィヴィを、パーシバルが心配も露わに見つめた。


「そうだったのか、すまない」


「隊長のせいじゃないけど、ちょっと離れてください」


 素直に距離を取るパーシバルに、ヴィヴィは苦笑する。


「先ほど大変だと言っていたが、俺のせいで何か被害を受けているのか」


 不安そうにも見えるパーシバルに戸惑いつつ、ヴィヴィはきっぱり否定した。


「ああ、違いますって。クラリッサ……フィリップ・フェリーチェの婚約者とさっきロビーで会って。あんな人と結婚なんて、貴族って大変だなあと思っただけです」


「ヴィーが大変なことは、嫌味を言われるくらいか」


 ここ最近、パーシバルによる部下への気遣い台詞を多く聞いている。ヴィヴィは少し考えてから答えた。


「それもまあ、隊長にどうにかして欲しいとは思ってないんで、大丈夫です。ちょっと面倒臭いな、ぐらいで実害はないです」


「はあ、なら、いいが」


 大きく安堵の息を吐くパーシバルに、ヴィヴィは静かに忠告した。


「隊長、私たちは大丈夫です。心配しないで」






 執務机の上に積み上げられた釣り書きの束を見て、パーシバルはため息を吐く。


「私信をここに置くな」


「私じゃありません。ナコー議員が見るだけ見て欲しいと置いて行ったんですよ」


「確か貴殿も独身だったな」


 補佐官の机に釣り書きを押しやるパーシバルに、補佐官は頬を引きつらせつつ開いて中身を確認する。同時に扉が開いてジュールが姿を見せた。


「失礼します、交代を恙なく終えました」


 業務連絡に現れたジュールに、補佐官が釣り書きを数枚渡す。


「ちょうど良いところに。ジュール、これをやろう」


「え、なんでしょうか」


 ジュールの後からヒースレッドも顔を出す。


「失礼します」


「あー、ヒースレッドはダメだな、フェリーチェだし若すぎる」


 補佐官の手前、断れず釣り書きを開こうとしたジュールの横から手が伸びて、釣り書きは回収された。


「これはこちらで預かる」


「え、え?」


 困惑するジュールに、補佐官が笑顔を見せる。


「副長に来た釣り書きだ。写真付きで見栄えがいいね。綺麗なご令嬢ばかりだろう?」


 ヒースレッドも遠慮がちながら、補佐官が広げた釣り書きを眺めた。ジュールは黙って釣り書きを引き出しへしまい込むパーシバルを見ている。


「この話は終わりだ」


 補佐官からも釣り書きを回収したパーシバルは、全て机にしまい込んだ。





 訓練で砂まみれになった制服を片手に歩いていたパーシバルは、同じように上着を抱えるジュールに声をかけられた。


「副長、良かったら、それも水洗いして干しておきます」


「そんなことはしなくてもいい」


「いえあの、自分の分のついでですから」


「……そうか、助かる」


 逡巡の末上着を渡すと、ジュールは爽やかな笑顔を見せて駆け去った。彼を見送って詰所へ戻ろうとしたパーシバルは、上着のポケットに愛用のペンを入れたままだと気づいて振り返る。


「ジュール、ペンを」


 ジュールは預かった上着に顔を埋めて大きく息を吸い込んだところだった。はっと顔を上げたジュールは、パーシバルの苦悩の表情を見て青ざめる。


「ペンを。ポケットにある」


 無言のままポケットを探ってペンを差し出すジュールに、パーシバルは静かに言った。


「頼んだ、ジュール」


 深く腰を折るジュールのつむじを視界に収めつつ、踵を返す。訓練でかいた汗がこめかみを伝い落ちて冷えた。





「隊長、砂払っときました。隊長?」


「ああ、ルーク」


 訓練後、水を飲んで休んでいたパーシバルは、上着を差し出すルークをぼんやり見返す。


「暑いっすね」


「うん」


 ルークはパーシバルの隣にしゃがみ込み、小声で言った。


「ローズせんせいが言ってたっす。俺はまだ子どもだから、しんどい時は泣いていいって。大人でも、しんどい時は泣いてもいいんじゃないすか。ダメっすか」


 少年らしい掠れた声が耳に優しく響く。パーシバルはアッシュグリーンの髪をかきあげて苦笑した。


「心配かけてすまない」


「別にそれはいんすけど……なんかもやもやする時はコタロウっす。散歩して延々散歩して、そうするとだいたいの嫌なことは吹っ飛びます」


「そうか」


「そうっす。あ、ローズせんせいは花のやで酒飲んでシアさんと騒ぐって言ってました」


「それも、いいな」


 冷えて固まった血が流れ出したような気がした夏の午後だった。

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