第5話
ローズは正式にチェリーナに抗議をした。
「確かに医局は軍務局の管轄に入りました。でも、ナックルは医師であって騎士じゃありません。そうでしょ、チェリーナさん」
「え、ええ。はい」
「ナックルが東方出身で常識はなくても頭はいいし、使える人材なのはわかる」
褒めているのかけなしているのか、傍らで聞いていたナックルが口を挟もうとするのを、ヴィヴィが腕を掴んで注意を引いて止める。
「特捜としても相手が相手で、大っぴらに動けないんです。薄皮を剥ぐように情報を得るしかなくて」
ため息交じりに弁解しつつ、チェリーナは視線を斜め下へ落とした。ローズは無遠慮にチェリーナの全身を睥睨し、肩をすくめる。
「そういう落ち込んだ振りはいらないから、時間と頻度を決めて運用して欲しい。どうしても必要だっていうなら、また、ヴィーさんの貸し出しとか対策を取ってください」
ナックルに寄り添っていたヴィヴィは、名前を呼ばれて一歩後退した。
「見抜かれましたか」
冷静な表情に戻ったチェリーナは、頷いて眼鏡のつるを押し上げる。
「せんせいのご意見は承知しました。ただ、緊急事態の場合はご意向に沿えません。悪しからず」
「わかってくれたなら、それでいいです」
笑みを交わす女性二人を、ナックルは交互に眺めてから、低く呟いた。
「俺の意向は関係ないのか」
「ナックルせんせい、黙ってた方がいいです」
ヴィヴィが小声で注意するので、ナックルは口を引き結んで押し黙った。
「今、ナックルせんせいが接触した少女と、私たち騎士団が関わっていると知られぬよう、親交を深めている段階なんです。自然と距離が縮まった相手が情報を引き出そうとしていた、とはなかなか思わないでしょう?」
チェリーナはナックルを借りたい理由をかみ砕いて説明する。ローズは納得して詰所を後にした。
「だいたい、メルさんが大して説明もせずにただただナックルを連れて行ったのが良くないと思うの」
メルヴィンが医局に出向いた時、ターニャがローズを呼び出した。言い足りないことがあるのだと腰に手を当てるローズを見て、メルヴィンは額を押さえる。
「毎日二時間って決まって、引継ぎもできるし、戻りもわかる。まだ文句があんのか」
「ある! チェリーナさんは、捜査の状況まで丁寧に教えてくれたし、こっちが納得できるよう話してくれたのに、メルさんてば何も言わないんだから」
「言えることと言えねえことがあんだよ」
「言えることもあるんじゃない」
「まあ、そうだけど」
メルヴィンが困った顔で頬をかいていると、準備を終えたナックルが出てきた。
「毎回、メルヴィンがローズに状況を説明してやればいい」
「いや、それは面倒くせえ」
「いいわね、そうして」
「ったく……」
メルヴィンは太い腕を伸ばしてローズの頭をかき回してから背を向ける。彼の耳が赤いのに気づいたターニャとセイラは素早く目配せを交わして緩んだ口許を押さえた。
「行ってくる」
メルヴィンの後を追うナックルを、ローズはヒラヒラ手を振って送り出した。
二度の空振りを経て三日目、ナックルが石段で持ち込んだ資料を眺めているところへ、少女が駆け寄って来た。
「慌てているな。籠もない。お使いじゃないのか」
「良かった! せんせい、いた。ねえ、暇よね、すぐに来て欲しいの」
「どうした」
「お姉さんが、お腹痛いって。いつも来るお爺ちゃんせんせいが捕まらなくて。旦那様も上の人もいなくて」
ナックルは書類を上着の内ポケットに丸めて差し込み、立ち上がって少女の背を押した。
「わかった」
視界の隅でメルヴィンを捉える。彼が頷いたのを確認して、少女の案内で水明楼へ急いだ。門をくぐり庭から厨房のある方向へ連れて行かれたナックルは、使用人の出入口から娼館の中へ入った。昼間の娼館はまだ動き出した人間が少ないせいか静かで、少女の軽い足音とナックルの固い足音が大きく響く。
「お姉さん、せんせいを連れてきました!」
少女が叫んで扉を開け、仕切りの布を押し上げた。寝台で蹲る娼婦に、ナックルは静かに近寄ってまず声をかける。
「俺は医師だ。しっかり診る、安心しろ」
「あ、う、ええ」
「どこが一番痛い?」
娼婦の額に手を当てて、脈を測りながらした質問に、彼女は脇腹辺りに触れた。ナックルは大きな掌で娼婦の脇腹から腹部全体を触診して様子を確かめる。
「熱はないな。吐き気は?」
「ただ、すごく、痛い波があって」
ナックルの問いかけに娼婦は明確に答えた。痛みの波が引いたらしい。
「水は飲めるか」
「ええ、お願い、プティ」
少女は名前を呼ばれて跳び上がる。祈りの形に握っていた拳を開いて大きく頷いた。
「はい、お姉さん、すぐに」
「君はプティというのか。水は温めだ」
「はい、せんせい」
飛び出して行くプティの小さな背を見送り、ナックルは娼婦に視線を戻す。化粧をしていない相貌は青白い。毛布を掛け直してやったナックルに、娼婦は不思議そうに問いかけた。
「プティの知り合いの、せんせい?」
「ああ」
「もしかして、あの、お腹の調子を整える薬をくれたのって」
「俺だ」
娼婦はほうっと深くため息を漏らす。
「良かった、あの薬で、出なくて痛む日が減ったってあの子、言ってたから」
プティが白湯を準備して戻ってきたので飲ませた。
「緊急ではなさそうだが、痛み止めはあるか」
「飲んだけど、あんまり効かない」
ナックルは頷いて、懐から書類を取り出し、少女にペンを要求する。薬の名前と量、自分のサインも印してプティに渡した。
「問屋街で一番大きな薬問屋へは行けるか? 俺のサインがあればそこにメモした痛み止めが買える」
「あたい、問屋街は行ったことないけど」
不安そうにつぶやくプティを娼婦が後押しする。
「頼むわ、プティ」
「場所と行き方を説明する」
ナックルは少女を娼婦の部屋の外へ連れ出し、説明と銀貨を握らせた。
「せんせい、銀貨なんか持ってたの」
「緊急用に隠し持っていた。後で返せ」
「アハハ、お姉さんに貰ってね」
笑ったことで元気が出たらしいプティは、素早く廊下の奥へ消える。娼婦の部屋へ戻ったナックルは体勢を変えて脂汗を浮かべている患者を見て眼鏡の奥の眼を細めた。
痛み止めを飲んだ娼婦は数時間眠ってから目覚めた。
「ああ、だいぶましになったわ。ありがとう、せんせい」
起き上がろうとするのを制し、ナックルは薄く笑みを浮かべる。
「乗り掛かった舟だ」
「すぐに治るかしら」
呟いた娼婦の顔をのぞき込んだナックルに、不安そうに問いかけた。
「熱や吐き気が出なければ、痛み止めと安静で数日で治るだろうが、無理はしない方がいい」
「でも、数日おきに大きな席があるの。国のお偉いさんも、外国のお偉いさんも来てて」
ナックルは毛布を首元までかけ直してやる。
「だとしても無理はするな。身体が資本の商売だと、国を治めるような上層にいる者ならわかるはずだ」
淡々とした口調で言われて、娼婦は小さく笑い声を上げた。
「ふふ、……私たちをそんな風に気遣うお偉いさんなんていないわ」
「そうか」
ナックルは一言だけ相槌を打つ。脱力した笑い声を上げた娼婦は声を低めて呟く。
「前は良く来てた隊長さんだって、優しかったのは最初だけで、今じゃあもう、顔すら出してくれないし」
「隊長?」
「近衛騎士でいいのかしら。黒い制服の。前は大きな席にも良く顔を出してて」
ナックルは黙って娼婦の話を聞いた。
「お抱えの医師に見せろ」
診察した娼婦の症状に関するメモをプティに渡し、ナックルは水明楼を後にした。




