第4話
ギャレン議員の動向を監視し始めて五日目、運良く彼が花街へ行く姿を捉えることができた。元警邏部第二部隊のノエル・バセットは、彼が花街へ入るのを見届けてすぐに後を追いかけた。議員の監視役のもう一人、元第三部隊のカシアン・ロウは、水明楼へ吸い込まれていく人の様子に目を凝らす。
「中までは行けない。ここで待つ」
水明楼向かいの路地で人待ち顔で佇むノエルに、カシアンは頷いた。数分後、ランスロットによく似た風貌の中年男性と卒がなさそうな男性が連れ立って水明楼へ入った。報告書にあった、ランスロット父とその側近だろうか。娼館を冷やかす素振りで近づいたカシアンは、濃い目の金髪を丁寧に撫でつけた髪型の灰色の瞳をした人物を脳裏に刻み込んだ。
「どうだ」
「はい、ランス副長に良く似ていました。お父上でしょう」
「そうか」
そのまま二時間ほど、怪しまれない程度に彷徨ったり佇んだりした二人は、ギャレン議員とランスロット父と側近、その他会合に参加していそうな人たちが出てくるのを見届けた。ギャレンは大きい声で上機嫌に話している。
「いやあ、しかし、商会長殿も堅物ですなあ。少しは残って遊んで行けばよろしいだろうに。女子たちが残念そうにしとりましたぞ」
「議員こそ、真っ先にお帰りになるじゃありませんか」
二人の後ろを歩く秘書官と側近は顔を見合わせて苦笑している。
「ギャレン議員は愛妻家として有名でいらっしゃいますもんね」
側近がすかさず口を挟んで、議員は笑い声を上げた。
「ハッハッハ、アオイの男は女に頭が上がらんのです」
花街の門を出て二組は分かれた。
娼館の下働きの少女は、基本的には花街の外に出られない。
「お使いを頼まれたら、花街の外にも出られるから嬉しいんだ」
「そうか、食え」
「う、うん、ありがと」
静かに話を聞いていたかと思ったら、突然干しぶどうを差し出して来るナックルに戸惑いつつも笑顔を見せる。
「せんせいは近くの診療所で働いてるの?」
「いや……クビになった」
「ええ? そうなん。大丈夫なの」
「なんとか、食えている」
「せんせいがよくここに座ってるのはお仕事がないからなんだ」
少女は何度か顔を合わせるうちに、ナックルに気を許すようになっていた。
「ねえ、せんせい、水明楼のお姉さんたちってすごく高いよ? 大丈夫なの」
少女にまで心配されるナックルに、近くで聞き耳を立てていたメルヴィンが噴き出しそうになる。ナックルは視線を正面に固定したまま小さく息を吐いた。
「この前水明楼にいたのは、仕事だ」
「ああ、そっか。そうだよね。せんせいってお金持ちには見えないし」
「んんん、ケホッ」
堪え切れずメルヴィンが声もなく咳払いをしたが、幸い少女は気にしなかった。
「忙しいだろうが、しっかり休め。水は温いのを飲めよ」
「うん、もう、お腹痛いの嫌だからね、ありがと、せんせい。じゃあね」
身軽に立ち上がり籠を手に駆け去る少女と入れ替わりに、メルヴィンが隣に立つ。
「いやあ、笑った」
ナックルは眼鏡を外してハンカチで拭いながら、首を傾げた。
「肝心な質問をしていないが、いいのか」
「質問されたって気づかれないよう、短時間に何度も会って貰ってる。あの子がナックルせんせいに何か話したとして、騎士団に質問された、とは絶対にならねえだろ」
無言で頷いたナックルは眼鏡をかけ直して立ち上がる。
「俺よりメルヴィンの方がもっと早くあの子と親しくなれるんじゃないか」
「まあ、そうかもな。でもさ、こういうのは不自然じゃない方がいい。そういうやり方なんだ」
「なるほど、わかった」
淡々と答えたナックルは王宮へ戻るために馬車止めへ向かった。メルヴィンは周囲を素早く見渡してから、少女が戻ったであろう水明楼へ足を延ばした。
「今回の会合にはランス副長のお父上と側近はいませんでした」
カシアンの報告を聞いて、チェリーナは眼鏡の蔓を押し上げる。
「そう、確か三回目よね」
「いつもより長かった。三時間程度か」
ノエルが答えてチェリーナは眉間に皺を寄せた。
「いつもより長い会合があった。商会が絡んでいない会合……」
メルヴィンが静かに椅子を引いて立ち上がる。
「ナックルせんせい借りて、ちょっと突っ込んで聞いてくる」
医局へ駆け上ったメルヴィンは、ターニャにナックルがいるか尋ねたが、出てきたのはローズで、休憩室へ押し込まれた。
「座って、メルさん」
「ああ、いや、ちょっと急いで」
「いいから」
「おう」
ローズは腕を組んで仁王立ちしている。メルヴィンは浅く椅子に腰を下ろして、扉の前で同じように腕を組んで仁王立ちするターニャをチラリと見た。
「捜査にナックルが必要なのはわかってる。特捜からの書類にちゃあんと、書いてあるから」
大きな碧眼を細め、眼光鋭いローズから、メルヴィンはそっと視線を反らす。
「悪いとは思ってるんだが」
「嘘おっしゃい!」
「そう、きっと嘘です!」
ローズが叫んで次いでターニャも叫んだ。
「んん、ねえ、メルさん。確かに健康診断が終わってちょっと医局は落ち着いたけど、一人で回すのは大変なの。わかる? ナックルが担当する患者を私が引き受けたら、また、一からカルテを見たり問診したりしなくちゃいけないし、治療方針が違うかもしれないことも考慮しなくちゃで、まあ、これが余計に時間がかかるの」
畳み掛けるローズを横目に、メルヴィンは後ろ頭に手をやった。
「お、おう」
「おうじゃないの!」
「おうじゃない!」
怒っているのか笑わせようとしているのか、メルヴィンが困っているとナックルが姿を見せる。
「準備できた」
端的に答えたナックルに、ローズは仁王立ちをやめて肩をすくめた。
「という訳で、これからは、ナックルを連れて行く時はしっかり引継ぎの時間を取ってから連れて行ってね」
「なんだったんだよ、今の時間は」
ぼやいたメルヴィンの腹部にローズが軽く拳を当てた。
「ナックルが引継ぎメモ作る時間稼ぎ」
「……そうか、問答無用で連れ出すのはやめる」
「うん、そうして」
ローズの後ろでターニャがクスクス笑っている。セイラがナックルが脱いだ白衣を受け取って、受付へ引っ込むのが見えた。
「せんせい、うっぷん晴らせました?」
ターニャの問いに、ローズは振り返って笑う。
「ふふ、うん。うそおっしゃいとか、現実で言うとは思わなかったわ。メルさん困った顔して面白かったわね」
「そうですね、この前の喜劇の真似、いい感じでしたね」
「ターニャってば迫真だったわ」
盛り上がる女子二人に押しやられる形で休憩室を出たメルヴィンは、眉尻を下げて抗議した。
「俺で遊ぶなよ」
「じゃあ、ナックル頑張って。なるべく早く戻ってね」
メルヴィンのぼやきを他所に、ローズとターニャはさっさと通常業務へ戻った。
ローズに揶揄われつつナックルを連れ出した日はあいにく少女が捕まらず、後日再びナックルを借りた。買い出しに出てきた少女は、石段でぼんやり座るナックルを見つけて嬉しそうに寄って来る。
「せんせい、またいた、暇なの」
「いや、そうでもない」
「アハハ、ぼんやり座ってるだけなのに?」
お使い用の籠を置いて隣に座る少女に、今日も干しぶどうを差し出した。
「疲れてるか? 手が冷たいな」
「うん、なんかね、昨日、怖そうな人がいっぱい来る日で。緊張したから疲れた」
「怖そうというのは? 水明楼は高級娼館だろう」
ナックルの問いに、少女は少し考えてから言葉を選んで答える。
「えと、なんか、偉い人を守る大きい人たちもたくさん館内にいて。姉さんも落ち着かないって言ってて」
少女は干しぶどうを口へ放り込みながら、地面へ視線を落とした。
「そうか、そういう偉そうな輩が来ると忙しい上に落ち着かないんだな」
「うん、そう。粗相したらクビになっちゃうから、あんまり来てほしくないんだあ」
少女の背に労わるようそっと触れたナックルは、ポケットから薬包を取り出す。
「腹痛予防の薬だ」
「え? いいの?」
「効果は強くはないが、下したり詰まったりしにくくなる。使え」
「うん、ありがと、せんせい。あ……でも、お代は……」
「いらん」
ナックルは少女に籠を渡して見送った。




