王宮食堂の女給ー2
澄んだ湖を思わせる碧眼を好奇心にきらめかせ、王宮医局の薔薇が患者として訪れた一際大柄な騎士を見つめる。
「メルさん、先日はコタロウのお散歩をありがとうございました」
「いえ、ただ寝てるより気分転換になるんで」
「ルーク君に聞いたんですが、その時、素敵な出会いがあったとか」
楽しそうな笑い声を上げるローズに、メルヴィンは苦笑した。
「勘弁してください、偶然女給同士の喧嘩を止めただけで、あんなに懐かれるとは思わなかったんですよ」
夜勤前の休憩時間に、ルークが頼まれたコタロウの散歩に同行したら、食堂の女給達の揉め事に遭遇した。三人の少女に寄ってたかって詰られたセイラは、助けてくれたメルヴィンに好意を持ったらしい。
「毎日、差し入れを持って来てくれるんでしょう?」
「礼だって言うんで断りにくくて」
「メルさんに春が来たって噂になってるって言ってましたよ、ルーク君。うふふ、可愛らしいですね」
楽しそうなローズに毒気を抜かれてメルヴィンは小さくため息を吐く。
「春が来たって、ルークらしいけど表現がおっさんくせえな。俺は十個も年下の子は相手にできませんよ。何か穏便に諦めてもらう、いい方法はないですか?」
「あら、今日は肩の痛みを診るんじゃなかったかしら」
「ローズ医師がこの話を始めたんじゃないですか。面白がってないで助言をくださいよ」
短く刈られた白金の髪をかき混ぜて、メルヴィンは大きな目を細めて分厚い唇を歪めた。彫りの深い顔立ちに縦にも横にも大きな体格のため、若い娘には怖がられこそすれ好かれた経験が少ないメルヴィンは、少女を傷つけるのを躊躇い、連日の来訪を拒絶出来ずにいる。溜まったストレスを解消しようと訓練で張り切り過ぎて肩に痛みが出た。肩を庇っている事を目敏いランスロットに気付かれて医局行きを指示されて今である。
「立ち入ったことを聞きますけど、奥さんや恋人はいないんですか」
「残念ながら。独身てことはルークが話したらしいです」
「じゃあ、恋人を作っちゃうとか?」
「はあ? 簡単に言うなよ」
思わず素で答えるメルヴィンに、ローズは再び楽し気な笑い声を上げた。
「ごめんなさい、そうねえ、その気がないなら断るのが一番良いと思います。騎士が助けてくれたなんて物語のお姫様みたいだもの、そういう自分の状況にも浸っているんだと思うから、正直に若過ぎる娘さんは恋愛対象外って言ってあげたら目が覚めるんじゃないかしら」
ひとしきり笑った後で、ローズは真面目な口調で助言する。
「別に告白されたわけじゃないんだよな。ただ、毎日騎士棟に来られるのは結構面倒、いや、なんつうか、本当に、困ってる」
「ふむ、騎士棟に毎日来られないようにしたいなら、上司に注意されたとでも言えばいんじゃないかしら」
「そうか、そうだよな。そんな簡単なことをなんで思いつかなかったのか」
メルヴィンは憑き物が落ちたように肩の力を抜いた。
「真剣に考えていると簡単な解決法を見逃してしまうってあるあるですよ」
「そうかもな、ありがとう、医師」
ローズは緩やかに首を左右に振り、椅子から立ち上がる。
「では、本題に入りましょう。上だけ脱いで」
「ああ」
鍛え上げられた上半身を惜しげもなく晒す騎士の様子を観察しながら、ローズは眉間に皺を寄せた。
「傷跡はないわね」
「斬られたとかそういうんじゃないんだ。剣を振り過ぎて急に強い痛みが出るようになって。前に軍医に言われたのは、骨にひびが入ってるんじゃないかって。二十日くらい大人しくしてたら治った。二十歳の時だから五年前だな」
「なるほど、酷使し過ぎたのね。触って良いかしら」
「ああ」
近づいて肩に触れると三角筋を中心に熱を持っている。
「腕を上げて、痛い?」
「いや」
「じゃあ、ゆっくり回して」
指示通り腕を動かす途中でメルヴィンは僅かに顔をしかめた。
「今の動きをすると痛みが出る感じかしら」
「おそらく。けど、大した痛みじゃない。放っておけば消えると思う」
部隊長に命令されなければ患者として医局を訪れたりしないだろうメルヴィンの返答に、ローズは神妙な顔で首を左右に振る。
「怪我は甘く見ると良くないわ。メルさんは若くて鍛えているから、多少の怪我は傷んでいない周辺の筋肉が補ってしまうから、動けちゃうでしょ? それで無理し過ぎたんだと思います。腕自慢の騎士に多いのよ」
「自分の限界が見極められてねえんだから、腕自慢もくそもない。さすがにしばらく無理はしない」
微妙に話を逸らすメルヴィンを、ローズは一瞥してもう一度かぶりを振った。
「専門の医院を紹介するわ。行ってください。今日はとりあえず湿布を貼ります」
診察室を出て行くローズのしなやかな後ろ姿を見送り、メルヴィンは腕を下ろした。ローズに会いたいがために軽症でも医局への診察を申請する不埒な騎士は多い。美女だからという理由だけでなく医師としても優れた判断力もあるのだろうとルークの件で知ったが、従うかどうかはまた別の話だと、メルヴィンは考えていた。
「俺のことは俺が一番わかってるしな」
ひとりごちて肩をさするメルヴィンの元に戻ったローズは、筋肉で盛り上がった肩に湿布を貼って、彼の内心を見透かすかのように言う。
「ランス部隊長にも進言しておくから、絶対専門の医院へ行くように」
「わかったって」
いつの間にか丁寧語が抜けて気安い口調に変化しているメルヴィンに、ローズは疑いの目を向けた。




