プロローグ
黒々とした目鼻に長いマズル、とんがり耳にクルリと巻かれた尾が特徴の茶色い毛皮に覆われた犬が、走っている。騎士団の訓練場に現れた闖入者は首輪をしておらず、素早く跳躍したり左右にステップを踏んだりして、騎士の手をすり抜ける。
「そっちに行ったぞ!!」
「アハハハ、鈍くせえなあ」
「いいぞ、犬っころ」
捕獲に失敗した騎士の叫び声にさざ波のような笑い声や、歓声めいた響きも混じった。腰を落として両腕を広げる騎士の後方で、一人の女性が足を止めた。
「かわいい」
彼女のつぶやきは広々とした訓練場に吸い込まれて消える。
「ローズ医師、お帰りですか」
足を止めた女性に目敏く気付いた騎士の一人が、声をかけつつ近寄って来る。
「あ、ローズ医師、お疲れ様です」
「夕方になっても綺麗っすね」
闖入者に気を取られていた騎士が軽口をたたきながら、次々と女性へと意識を移す。彼らの足元を茶色の毛玉が疾駆してすり抜けた。
「あ、医師、危ない!!」
「わわ、ひゃあ」
小さく悲鳴を上げたローズの足に犬が何度も前足でじゃれついてアタックする。
「医師、大丈夫っすか」
「平気です、かわいい、どこの子かな」
そっと屈んで両手を広げたローズの腕の中に、茶色い犬は飛び込んだ。彼女の顔を舐め回す犬に、ローズは楽しそうな笑い声を上げている。
「うわあ、羨ましい、俺も犬になりてえ」
「くだらん事をほざいてないで、医師から犬を受け取って捕獲しろ」
「はいはい」
寄って来た騎士のうちの一人が、ローズの手から犬を受け取って抱き上げた。筋肉におおわれた太い腕に捕まった犬は
「クウウン」
と細く高い声で鳴いて身じろぎを止める。
「賢い子みたいですね」
うっとり目を細めるローズの姿を、取り囲むよう集った騎士たちが鼻の下を伸ばして見守った。
「とりあえず、詰所に連れて行きます」
三日後、犬の姿はローズの勤める医局にあった。
「本当に私が飼ってもいいんですか」
「はい、しっかりお世話をしてもらうんだぞ」
蕩ける笑顔の女性医師のもとに預けられた茶色い中型犬は、仮にコタロウと名付けられ、のちに医局の看板犬として王宮の人々の癒しとなった。




