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苦難の先に

 琴音(コトネ)はだいぶ落ち着きを取り戻し、私の胸元で震えるしゃっくりも(まば)らになってきた。私はと言うと、琴音ほど取り乱しはしていないものの、流れ出る涙を止めるのは容易ではなかった。彼女の嗚咽に感化される様に感情が揺さぶられ、その度に目尻の奥から涙が溢れ出てきた。だが、それも山を越えて制御下にある。

 「小華(コハナ)お姉ちゃん、もう大丈夫です。ありがとうございます。」

 琴音が私の懐でもぞもぞと動き、腕の中から出ようとする。

 「よかった……。落ち着きました?」

 「はい……。」

 私は、背後にある佳奈のベッドにもう一度腰掛けると、彼女の手を軽く握って表情を伺った。涙で目を腫らし、涙や鼻水の跡だらけだが、いつもの毅然とした面持ちに戻っていた。

「まだ、話には続きがあるんです……。」

「うん……。」

 私も、そんな気はしていた。まだ彼女の弟の死、だけしか話を聴いていない。父と母の話も、当然あるはずだ。これ以上、琴音の負担になるのなら、無理をさせてはいけないとは思うものの、最後まで聴きたいと言う欲と、彼女の強い(まなこ)から、この先に進むかどうかは琴音の意思に一任することにした。

 「ハルと再会した後、私はしばらく動くことが出来ませんでした。ショックと言う言葉では言い表せないくらい、悲しくて苦しくて絶望的な感情で、毎日毎日、避難所の隅で蹲って泣いていました。ハルの所には、なかなか行けませんでした。苦しそうな表情を見てしまったから……。毎日一緒に居たのに、毎日一緒に遊んでいたのに、なんだか怖く感じてしまうんです。でも、ずっとそこに置いておく訳にはいきません。体育館はご遺体で溢れ、これ以上の収容は難しくなったため、近くの空き地に仮埋葬することになりました。お葬式とかお別れとか、きちんと出来る様な状況ではありませんでした。本当にあっさりとした、機械的に一人一人、地面に埋めていく。ただそれだけでした。それから何日、避難所で蹲っていたか分かりません。色んな人が声を掛けてくれました。色々な人のサポートもありました。でも、その頃の私には、声が、言葉が、全く耳に入ってきませんでした。ただ呆然と息をしているだけ。そのまま何日か経って、ふと頭の中にお母さんとお父さんの事が思い浮かんだんです。もうどうせ死んでいると思っていたのですが、まだ遺体を確認した訳ではありません。私は、何かに蹴飛ばされた様に立ち上がると、お母さんとお父さんを探す旅に出ることにしました。ハルの遺体を見て、ショックで動けなくなってしまったけれど、お母さんとお父さんの遺体を見るまでは、もう一度会うまでは、こんな所に蹲っていられないと急に思い立ったんです。」

 彼女の頬は微かに上気し涙の跡が幾筋も残っていたが、表情は硬く真剣で、その整った可愛らしい顔立ちをより厳かなものとさせていた。

「私は避難所の係の人に聴いて、近くで遺体を収容している施設の場所を聴きました。お母さんとお父さんの仕事場は、なんとなく知っていたので、近い場所をしらみ潰しに見て回ろうと思ったのです。本当は避難所を回って無事を確認するのが良かったのでしょう。けれど、その時の私は無事を期待していませんでした。災害が発生して既に3週間以上たっていました。もし生きていたら、家から一番近いこの避難所に私達を探しにきてもおかしくありません。それが全くないと言うことは、死んでしまったと考えるのが普通だと思いました。」

 琴音は、とても聡い。今も年齢よりずっと賢く見える。当時小学3年生にして、ここまで現実を直視し、状況を把握し、冷静に物事を考え行動できる事が、より彼女の聡明さを際立たせた。私が小学3年生で同じ状況に立たされたら、ここまで考え行動に移せる事ができただろうか。恐らく、家族の死の悲しみと絶望的な恐怖に立ちすくみ、泣き叫ぶ事しかできなかっただろう。

 「私のお母さんとお父さんは、案外、簡単に見つけることが出来ました。本当は、とても時間が掛かる覚悟はしていたんです。でも、二人とも同じ安置所にいて探す手間が省けました。二人とも、表情はとても安らかとは言えませんでした。ハルと同じ……。津波に飲み込まれると、空気を吸いたくて必死に口を開けるので、水と一緒に土砂が入ってしまうのかもしれません。そのせいで口はぽっかり空いて、中に沢山の泥が詰まってしまっていました。死化粧なんてしてもらえる状況ではないですから、瞼も薄っすらと開いていて何かを叫んでいる、そんな顔でした……。」

 もう琴音は泣いていなかった。ただ淡々と過去を振り返り、それを私に聴かせてくれていた。私は琴音の顔をしっかと見つめながら、必死に耳を傾け続けた。

「人間って不思議で、慣れる生き物なんですよ。何十、何百というご遺体を見てくると慣れるもので、こんなに酷いお母さんとお父さんの遺体を見ても、ハルの死の時ほどの衝撃は受けませんでした。すごく悲しいのは確かです。とても苦しいのも確かです。涙もいっぱい流しました。けれどハルの時ほど取り乱しはしませんでした。あぁ、私は両親が目の前で死んでいるのに、ハルの時ほど悲しむことが出来なくなっている。なんて薄情なのだろうと思いました。」

 それはきっと違う、薄情なんかじゃないと伝えたかったが、嗚咽を(すんで)の所で堪えた私は言葉にすることができなかった。その代わりに、私は軽く首を左右に振ると、ずっと掴んでいた彼女の手を両手でぎゅっと握りしめた。極限状態の中で、残酷なご遺体を数え切れないほど見て来て、それは琴音の心を蝕み、もしかしたら壊してしまったのかもしれない。それでも愛する弟と両親の死を乗り越え、そして長い年月を経て、琴音は今ここで、「こもれび」で確かに生きている。息をしている。時々笑って、優理の冗談に可愛らしく不貞腐れたり、佳奈の面倒をお節介なくらい良く見ている。私には、それが尊くて尊くて仕方がなかった。琴音の過去を思えば思うほど、嗚咽が込み上げてきて堪えるのに必死だった。

「お母さんとお父さんの遺体も、ハルと同じ仮埋葬となりました。実はその後くらいから、バタバタしてあまりはっきりと覚えていないんです。役所や社会福祉関係の方のサポートや手続きなどもあって、お母さんの妹、私の叔母さんに引き取られることになったのですが、あまり反りが合わなくて……。叔母さんのご家族と一緒に暮らす中で、私、ずっと落ち込んで暗いままでしたので、そのご家庭の雰囲気を暗くさせてしまっていたと思います。全く、クスリとも笑いませんでしたから。ずっと腫れ物を扱う様な、妙に気を使われている様な扱いで……。従兄弟とも一緒に生活していたのですが、あまり良い関係は築けませんでした。ある日、私が我慢できなくなって、家出をしてしまったんです。それでもう面倒を見切れないとなって「こもれび」に来たのが約2年前になります。」

 琴音は、自身が「こもれび」に来るまでの詳しい経緯(いきさつ)を丁寧に私に話してくれた。一通り話しきったと言う印象で、深く静かに一息を吐くと、少し俯き加減でゆっくりと目を伏せた。

 「琴音さん、ありがとうございます。琴音さんは、強いです。本当に、強い人だと思います。私が言うのは烏滸(おこ)がましいかもしれませんが、よくこれまで頑張って生きてきたと思います。辛い。本当に辛い過去を私なんかに教えてくれて、ありがとう。」

「いえ……。そんなことは……。小華お姉ちゃんだったら、ちゃんと最後まで聴いてくれて、私のこと、ちゃんと分かってくれると思ったから……。」

「本当ですか?でも、結衣さんとか優理さんでも、ちゃんと聴いてくれると思いますよ?」

「そうですね……。なんか、雰囲気が。小華お姉ちゃんの雰囲気がふんわりしてて優しいから……。話しやすくて……。結衣お姉ちゃんも優理お姉ちゃんも、もちろんとても優しいです。でも結衣お姉ちゃんは、ちょっと真剣で固くて……。優理お姉ちゃんは、何か凄い勢いで何でも助けてやるって感じで……。二人とも、私のことは伝えているので知っているとは思いますが、こんなに詳しく話したのは小華お姉ちゃんが初めてです。」

 私は、琴音の言葉が心底嬉しかった。自分が、ふんわりしていて優しいなどと微塵も思った事はなかったが、琴音にはそう見えていたと言うことなのだ。それくらい琴音に信頼されていて、とても嬉しかったけれど、逆に彼女のその信頼に応えられるか、幻滅させてしまわないか、妙に責任を感じてしまう自分もいた。

「ふんわりしていて優しい……。ですか……。何だかそう思われていて嬉しいですけど、なんだか照れくさくて、こそばゆいです……。」

「小華お姉ちゃんには、優理(ユリ)お姉ちゃんや結衣(ユイ)お姉ちゃんとは、また違った優しさがあると思うんです。言葉で上手く言えないんですけれど、ふんわり?みたいな……。優理お姉ちゃんは、他人の懐に無理やり入ってくる位の勢いがあるんですが、たまに暴走気味なので、小華お姉ちゃんと二人合わさると丁度良いかもしれません。」

 私と琴音は、二人してクスクスと軽やかに笑いあった。琴音のその微笑を見て、心の中で良かったと安堵する。もう、元の琴音に戻った様子だった。

 私達は笑い終えると、私はずっと掴んでいた琴音の手をゆっくり離して(途中から彼女の手を握り続けいていた事を忘れていた)、部屋を出るために立ち上がった。

「では、そろそろお(いとま)しようと思います。また今度、良かったら紅茶、淹れますので一緒にお茶でもしましょうね。」

「はい。私の話……。最後まで聴いてくれてありがとうございました。何だかハルトとの懐かしい気持ちが、少し戻ってきた様な気がします。」

「いえいえ。私なんかで良ければ何時でも話、聴きますよ。辛かったり、苦しかったり、楽しい話でも何でも言ってください。」

 私は、ふすまを閉めるその直前まで、笑いながら手を振り、琴音の事を見続けていた。琴音も、微笑を携えながら胸元で可愛らしく小さく手を振って見送ってくれた。

 そのままダイニングに戻ると、優理と佳奈がオセロをしていて、こちらはこちらで盛り上がっている様子だった。琴音との話が長丁場だった事もあり、佳奈はとっくにお風呂から上がっていたらしいのだが、部屋の空気を察してダイニングに残ってくれたのだろう。佳奈も、ちゃきちゃきしている様に見えて、実は周りをよく見ていて子供ながらに驚かされる時がある。優理が、「大丈夫?何かあった?」と聴いてきて、私が「ん?何もないですよ。大丈夫。」と答えると、「え、ウソ!その顔!目、腫れてるよ!絶対何かあった!」と言って、薄手のタオルに冷蔵庫から取り出した保冷剤を巻いて手渡してくれた。私はそれを目元にあてながら、二人の喧騒の横でオセロの戦局を見守る。生きていると言うこと。辛くて苦しくて、思い出すだけで身が(すく)み、嘔吐(えず)く様な過去があったとしても、それを乗り越え「こもれび」で生きていると言うこと。今、この瞬間、確かに息をしていると言うこと。目の前にいる優理も佳奈も。そして琴音も私も。「こもれび」の子供達は強い。負けてたまるかと、心の奥底に小さな、でも確かに熱い熱い炎が、ぽっと着いた気がした。

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