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緊急地震速報

 それは、突然の出来事だった。平日の夜、みんなでいつも通り談笑しながら晩ご飯を食べていると、突如、各々のスマートフォンがけたたましく鳴り出したのだ。不協和音とでも言うのだろうか。気持ちの良くない、恐怖心が掻き立てられる様なアラームが耳をつんざく。その音は、どこかで聴いたことがあって、反射的に緊急地震速報だと理解する。ほぼ同時にテレビでも地震の情報が流れ出し、ちょうどニュースを点けていた事もあり、アナウンサーが落ち着いた声で淡々と安全確保を促していた。

 次の瞬間。

 ゴゴゴと低く唸るような不気味な地響きが遠くの方から聴こえてくる。次第に、その音と振動が大きくなっていき、キッチンの戸棚に収納されている食器類などがカタカタと音を出して微小に揺れ始めた。それに比例するように、心身に命の危険という恐怖心が増大して行き、心拍の上昇と同時に身体が強張るのを知覚する。

 「ちょっと、ヤバくない?」

 隣に座る優理(ユリ)も、私と同じ様に危機感を抱いたのか、手に持っていた箸と茶碗を置いて身構え、テーブルの下に隠れる様な素振りを見せる。

「みんな。一応、テーブルの下に隠れようか。ちょっと大きそうだ。」

 優仁(ユウジ)も、この地震はいつもとは違う雰囲気がある事を察して、みんなを机の下に隠れる様に促す。私は、急いでテーブルの下に頭から突っ込んで身を隠すと、そこには何だか不安そうな面持ちが勢揃いしていて、みんな一言も話さずじっと堪えていた。ただ優理だけは、私の隣で静かにクスクスと笑っていて、佳奈(カナ)のほっぺたを軽く引っ張ってちょっかいを出している。ふざけている様だけれど、たぶん小さな子達を不安にさせないように振る舞っているのかもしれない。ふと、一人足りないと気がついた所でグラッと揺れ始めた。食器類や棚、壁掛け時計がガタガタと揺れ、「こもれび」全体から軋む音が聴こえる。そして家鳴りが一回、二回と鳴ると、いよいよ「こもれび」が壊れて下敷きになってしまうのではないかと言うイメージが本能的な琴線に触れ、より一層、恐怖を助長させた。この間、心臓が激しく鼓動し、(コウ)と一緒に居る時や恋バナをする時とは全く別物の、恐怖からくる不愉快な心音が身を強張らせた。

 

 「もう、大丈夫そうかな?」

 

 揺れが収まった所で、テーブルの端で身を小さくしていた優仁がぼそりと呟いた。

「怖かったねー。久しぶりだよ、緊急地震速報!」

 優理が、素早くテーブルから頭を出すと破顔させながら言う。こういう場面でも笑っていてくれるメンタルは、何だか頼もしく思えた。

「で、浩 (にぃ)は、何で窓あけてるの?」

 そう、テーブルの下で一人足りなかったのは浩なのだ。浩はテーブルには潜らず、中庭に通じる掃き出し窓を開けて、側に立っていた。

「いや、逃げ道がなくなったら嫌だなって。地震で家が(ひず)むと、扉とか窓が開かなくなるらしいよ。」

「えっ、そうなの?」

「うん。前に、本で読んだ事があって……。」

「さすが浩!変なこと知ってるね!たまには役に立つじゃん」

 結衣(ユイ)が、いつも浩に見せている悪戯な笑み浮かべてからかっていた。

「なんか褒められてる気がしないんだけど……。」


「お姉ちゃん!琴音(コトネ)お姉ちゃん、大丈夫!?」

 突然、佳奈の不安そうな声が上がる。何事かと思い、浩と結衣の一悶着から顔をそちらに振り向くと、琴音が膝立ちで少し蹲りながら、苦しそうに息を荒げていた。

「琴音!大丈夫!?」

 真っ先に、優理が琴音の側に近寄って背中を擦ってあげる。しかし苦しむ姿は時間が経つにつれ酷くなる一方だった。呼吸が異常に速くなり、喉の辺りから胸元まで引きつった様な素振りを見せる。

「お父さん!琴音が大変!」

 優理が、眉根を寄せた不安そうな顔で優仁を振り仰いだ。

「琴音、大丈夫?どこか苦しいかな?」

 他の子供達は、突然の事態に驚いてしまった様で、口を真一文字に結んで棒立ちのまま立ち尽くしている。結衣も急いで琴音に駆け寄ると、優理の反対側から背中を擦ってあげていた。

 (この症状は、たぶん過呼吸だ。)

 自分もよくなっていたから分かる。絶望的な記憶のフラッシュバックだったり、自分ではどうすることも出来ない不安や苦悩に襲われたり、切っ掛けは様々。そして心をすり潰す様な混沌とした感情の起伏が、寄せては返す波の拍子の中で次第に大きくなり激甚化してしまったら最後、すとんと落ちる様に制御不能に至ってしまうのだ。私の場合、両親が離婚して、お母さんとの関係が上手くいかずネグレクトの様な状態になっていた頃、強烈な孤独感による不安から度々発症していた。最近でも日々の虐待の記憶を思い出しては、今日も同じ目にあわされるのではないかと言う絶望的な恐怖から発症する事が多かった。「こもれび」に来てからは不安が解消されたからか殆ど無くなったけれど、その発作の様なものは、一度、堰を切った様にどっと溢れると、自分の意思ではどうしようもなくなって途端に呼吸困難に陥ってしまう。琴音はなおも苦しそうで、息を吐ききれず、すぐに吸い込んでしまっている様子だった。私は、急いで琴音の正面に回り立膝になると、彼女と目線を合わせて、胸元で固く握られていた両手を包むように優しく覆った。可愛らしい顔が苦悶に歪んでいて、とても見ていられない。けれど、それが(かえ)って彼女を早く助けたいと言う感情を、ふつふつと湧き上がらせた。

「琴音さん大丈夫。すぐに良くなりますから。まずはゆっくり、息を長く吐くことを意識して下さい。」

 息を吸うことしかできず引きつった様に呼吸をしている琴音は、私の声が届いたのか、どうやら息を吐く方に集中してくれた様だった。細かく刻むように息を吸い続けている中でも、少しずつ次第に、吐く方が優位になってくる。

「そうそう。上手です。そのまま続けて下さい。」

 口元から喉、胸にかけて痙攣をするように、連続的に短く息を吸い込む動作はまだ無くならないものの、さっきよりも随分と改善の兆しが見えてきた。

「余裕ができたら、お腹も意識できますか?お腹でゆっくり吸い込む感じです。」

 琴音が小さく短く頷いた。頷く余裕が出てきた様で少し安心する。それから琴音は、私の言いつけをしっかりと守り、お腹を使ってゆっくりと吸い込み、深い呼吸を暫くの間つづけた。苦痛で歪んでいた表情も次第に和らぎ、いつもの可愛らしい顔が戻ってきた。ここまでくれば大丈夫だろう。もう自分の呼吸を取り戻しつつあるのは見ていて明らかだった。

「よかった〜。ほんと焦った〜。」

 隣で優理が、やれやれと言った表情で項垂(うなだ)れている。

「救急車、呼ぶレベルかと思った……。それにしても小華!ほんと凄いね!あっという間に治しちゃった!」

 結衣も一安心したのか、両手を後手で床に付いて天井を仰いでいた。

「い、いえ……。全然。私、昔よく過呼吸になっていたので知っていただけです。対処法。」

「ハナちゃん大活躍!ほんと助かった〜」

 琴音も、かなり落ち着いてきた様で、目を薄く閉じて静かに呼吸していた。今日は、このまま休んだ方が良いだろう。過呼吸は、精神的にも体力的にも疲弊するものがある。

「琴音さん、立てますか?今日は、もう休みましょう。」

「はい……。ありがとうございます……。」

 琴音が、小さな弱々しい声音で言う。

「大丈夫。僕が運ぶよ。」

 優仁がそう言うと、軽々と琴音の身体を抱きかかえた。所謂お姫様抱っこで、琴音を1階の寝室まで運んでいく。優理と結衣、私も付いていき、ドアを開けたり、ベットの掛け布団を捲ったりと簡単に先導すると、優仁がそっと琴音をベットの上に寝かせた。

「ささ、ここからはレディの時間ですから、お父さんは出ていって!私が、琴音の側についてるから、ハナちゃんも結衣 (ねぇ)もご飯食べてて良いよ。」

「うん。優理、あとは任せたよ。じゃ、私らは戻ろう。」

 結衣は素っ気なくそう言うと、琴音の頭を数回、くしゃくしゃっと撫でた。結衣が子供達を心配したり、慰めてあげる時にやる、いつもの仕草だった。琴音は疲れ切った様子で、結衣に頭を撫でられても目を静かに閉じたままだ。もしかしたら、疲れてもう寝入っているのかもしれない。

 優仁と結衣、私は部屋を出ると、結衣が後手で片引き戸を閉めた。3人で廊下に立つと、優仁が小さな声で話し始める。

「結衣は知っているかもしれないけれど、琴音は先の大震災で家族を亡くしているんだ……。」

「そう、だったんですね……。」

 私は、どう反応するのが正解なのか分からなくて、一言発すると口ごもってしまった。大震災とは、約2年前の春に東北地方を襲った巨大地震と大津波の事だろう。琴音にも、何か辛い過去があるのではないかと言うことは、「こもれび」に居るという事実から、何となく察してはいた。でも彼女の立ち居振る舞いは誰よりも大人っぽくて、しっかりしていて、悲しいとか苦しいとか、そんな素振りなんて微塵も見せなかった。でもそれが逆に心配になるくらいに彼女は気丈に振る舞っていて、私達は、その彼女の強さに少し甘えていたのかもしれない。もっと彼女のことを気にかけてあげれば良かったと後悔する。琴音はまだ、10歳の小さな女の子なのだから。

 「何かの拍子に、さっきみたいに過呼吸になってしまうことがあるんだ……。最近は落ち着いていたと思ったんだけれどね……。」

 緊急地震速報の直後の出来事で、なんとなく合点がいく。恐らく、あの音を切っ掛けに色々と思い出してしまったのかもしれない。

「それにしても小華さん、ありがとう。また助けられちゃったね。」

「優仁がノロマなんだよ!小華に教えて貰ったほうが良いよ、さっきの対処法!」

 結衣の声にはちょっと棘があった。確かに優仁は、何もできなかったかもしれないが、逆に優理と結衣の動きが早すぎなのでは?とも思った。 

「いや、ほんと面目ない……。僕も、これでも「こもれび」の職員だから知らない訳では無いんだよ、対処法……。でも小華さんの方が早いし上手だね。」

 それから私達は、中途半端になっていた晩ご飯を食べ(トラブルがあった後だったからか、みんな口数が少なかった。)、食器を一通り片付けると、それぞれ自分の時間に戻っていった。ちょうど食器の片付けが終わりかけた頃、優理が琴音の部屋から戻ってきて自分の席に座ると、テーブルの上に残してあった優理の分の晩ご飯を食べ始めた。 

「琴音さん、大丈夫?」

「うん。今は静かに眠ってるよ。」

「そうですか……。よかった……。」

「ハナちゃん、ほんとありがとね。ハナちゃんがいなかったら、もっと対処が遅れてたよ〜」

「いえいえ、私は何も……。」

「ねね、今度あの方法、私にも教えて!誰かが過呼吸になった時、私も助けてあげたいの。」

「うん、いいよ。」

「やった!」


 その後、私は一人、湯船の中で琴音のことをずっと考えては循環思考のループに陥っていた。先の東北地方の大震災では途方もない数の尊い命が失われた。私は東京にいたから直接的な命の危険はなかったけれど、それでも尋常ではない地震の揺れを感じて怖かった記憶がある。琴音は、あの災害の真っ只中にいて、生き残って「こもれび」に辿り着いたと言うことなのだろう。それも家族を失い天涯孤独の身で。そんな身でありながら、あんなに気丈に振る舞えるだろうか。私なんかより、余程しっかりしているし、見ていて安心感がある。小学5年生とは思えないほど落ち着いていて、理知的で言葉もはっきりしている。でも琴音の過去を少し知った今、その彼女の立ち居振る舞いが、一挙手一投足が、不憫で悲痛で残酷でならなかった。もっと甘えても良いのに、もっと我が儘を言っても良いのに。一人ぼっちで、天涯孤独で、もっと自分勝手に振る舞ったって、誰も文句は言わないのに。「こもれび」のみんななら、それを全部、受け入れてくれるのに……。このままでは湯船から出られなくなりそうだったので、思考のループを思いっきり脳内で断ち切ると、少し冷めたお湯から勢い良く立ち上がった。まだまだ凹凸の少ない貧相な身体についた水気をタオルで拭き上げると、浴室から出てバスタオルで頭と身体を入念に拭う。この琴音を思う(もや)の掛かった様な灰色の感情は、琴音と話すことでしか解決しないのだろう。別に何も聴けなくても良い。とてもセンシティブで辛い記憶だから、何も話さなくても良い。でも私は、ただ琴音に寄り添いたい。今は、それだけが私の心を支配していた。今は寝ているかもしれないけれど、そっと隣で手を握ってあげるだけでも良い。私は居ても立ってもいられず、地味な配色のブラとパンツを素早く身に着け、急いで髪を乾かし、いつもの半袖ハーフパンツの寝巻きに着替えると、足早に脱衣場を飛び出した。

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