真夏の流星
嗚咽は、既の所で耐え切り、以前の様に取り乱す事態は何とか避ける事ができた。正直、浩の目の前で涙や鼻水で体液まみれの顔を見せる事は絶対に避けたかったし、男子に見せられる様な顔ではないから、その気持ちが嗚咽を抑え込むのに一役買っていたかもしれない。浩は、「なんかゴメンね。大丈夫?」と心配してくれたが、自分が勝手に昂って泣き出しただけなので、何も心配いらないと答えた。思えば、こんな気持ちで泣いたのも久しぶりだった。「こもれび」に来たばかりの頃は、優理や結衣の優しい言葉に、励まされ、勇気付けられ、昂っては良く泣いていた。今回は耐え切ったものの、浩の言葉はとても危うかった。浩は、「星。見るの忘れちゃったね。」と言うと、握ったままの私の右手を取って、庭の中ほどまでゆっくりとエスコートしてくれた。
「ごめんなさい。話が逸れて、すっかり忘れていました……。」
浩と手を繋いだまま、二人で夜空を見上げる。暗闇に目が慣れたからか、そこには白銀色に瞬く星砂を一面に振りまいた様な星空が広がっていた。流石に、スマホで調べた時に出てきた、何処かで撮られたであろう満点の星空の写真には到底及ばない。しかし、都内の住宅街で見られる星空としては十分なほど綺麗だ。明るい繁華街から離れていて、周辺一帯が暗いからだろうか。
「たしか、ペルセウス座流星群は北東の方角、ペルセウス座の近くに放射点があるんでしたっけ?」
「そうそう!よく調べてるね。」
「でも、庭のあるこっちって南?ですよね?いつも太陽が高いですし。」
「さすが!そうなんだよ。だから正確には、「こもれび」の建物側が放射点かな。」
浩が、私の手を取って庭の更に奥の方まで誘導してくれる。そして、二人で建物側を振り向く。
「空の下の方は建物で隠れちゃってるけど、基本は全天で見られる筈だから、広く見渡す感じで観測しよう。」
「はい……。」
静寂の中、再び二人で星空を眺める。浩が、さっきよりも力強くしっかりと、私の掌を握ってくれていた。暫く手を握っているせいで、手汗でじっとりと滲んでいる感覚があって、気持ち悪いと思われていないだろうかと気になってしまう。私は、星空を見上げる素振りをしながら、時折、彼の顔を視界の端に入れた。
(こんなに大きかったっけ?)
普段、こうして二人で足を揃えて立つことはしないから、初めて彼との身長差を身近に感じた。浩は、165cmの結衣よりも随分と大きいから、170cmはありそうだった。153cmの私とは、凡そ20cmも差があることになる。これでは、大人と子供みたいだ。彼が本気を出したら、私なんか簡単に組み伏せられてしまうだろう。浩は、絶対にそんなことはしないけれど、義父に襲われた時から男女の体格差という物を畏怖の対象として意識しまっている自分がいるのだ。でもそこに、彼の優しさと純真で無防備なあどけない笑顔があるだけで、男性的な魅力をより強く、より鮮明に感じた。
「優理は……。昔は、あんな感じじゃなかったんだ。」
私が、夜闇の微かな明かり照らされた浩の横顔に見惚れていると、不意に彼が話し始めた。
「え?」
見つめていた事がバレてしまったかと少し慌てたせいで、空返事になってしまう。
「なんというか、普通の女の子?今ほど元気で強烈じゃない感じ?」
「そう、だったんですか?」
「うん。でも、理子さんが亡くなってから暫くして一気に変わった。今みたいに。それが何だか空元気に見えて、とても無理をしている様で、最初は見ていられなかったよ。」
「でも、それから今もずっと変わっていないってことは、空元気ではなかった?」
優理から話を聴いていた私は、空元気に見えた優理の立ち居振る舞いは、理子さんの遺言に込められた思いを、彼女自身が必死に考え導き出した結果なのだろうと想像した。
「そういうことになるのかな……。当時、僕も結衣も「こもれび」に居たから、気休めでもいいから優理を「こもれび」に呼んで一緒に遊んだりして気遣ってはいたんだけどね。でも「こもれび」も酷い状況で、毎日が鬱々としていて僕たちもギリギリだったんだ。みんな理子さんを実のお母さんみたいに思っていたから、そんな人が突然死んでしまったら当然そうなるよね……。」
「優理さんからも聴きました。心が不安定になっちゃう子も沢山いたって。結局、運営をどうするか何度も話し合って、城田さんが理子さんの後を継ぐことになったんですよね。」
「そう。優理が「こもれび」に来たのも、それくらいだったかな。優仁が忙しすぎて、全然家に帰れなくて、優理を家に一人ぼっちにさせる日が増えたちゃったんだよね。優理はけっこう自立してて、生活はできてたんだけど、流石に可哀想だし一緒に住んじゃえばって。」
優理も、お母さんの遺言から沢山の子供たちを助けたいと思い至り「こもれび」で働きたい意志があったから、結果的に「こもれび」に住むことができたのは、ちょうど思惑が合致したのかもしれない。
「で、一緒に住み始めたらね。今の優理みたいに、毎日、元気一杯なわけ。強烈なくらいにね。スキンシップは凄いし、よく笑うし、笑顔を絶やさなかった……。」
「今の優理さんですね。」
「そうそう。優仁と僕と結衣は、暫く心配して見守ってたんだ。無理して笑ってるんじゃないか、空元気なんじゃないかって。けど、どうも違うみたいで、それがずっと続いたんだよ。優理に聴いても、何も無理してないよ、いつも通りだよ、としか言わないしね。」
「状況が状況ですからね、それは心配になりますよね……。」
「うん。そしたら次第にね、「こもれび」がいつもの日常を取り戻し始めたんだ。理子さんが死んでみんな悲しかったけれど、少しずつ会話が増えていって笑顔と笑い声が戻ってきた。だって、理子さんの実の娘が毎日元気に笑ってるのに、血の繋がってない赤の他人がいつまでも落ち込んでいられないじゃない?」
「そうですね。とても……。優理さんらしいと思います。優理さんのあの笑顔が、落ち込んでしまった「こもれび」を、もう一回立て直したんですね?」
「そのとおりだと思う。あの時、優理が「こもれび」で、元気一杯の明るい笑顔で居てくれていなかったら、「こもれび」はずっと暗いままだった。きっと立ち直れなかった。」
ふと、私の右手を握る彼の掌がきゅっと強まった。その時だった。「こもれび」の屋根の上を、青白い光が横一閃に夜空を切り裂いた。
「あ!」
「あっ」
二人揃えて、ほぼ同時に声が漏れる。
「すごいです!見えましたか?私、あんなに明るい流れ星、初めて見ました!春に見た時は、あんなに大きいの、ありませんでしたよね?」
春に見た時とは比較にならない規模の流星で、一段と明るく長く、夜空を真横に貫いて行った。美しさや神秘性もさることながら、それよりも初めて見た明るさと大きさに、思わず声が弾んでしまう。
「尾を引いてたね!あんな立派な流星、滅多に見られないよ!」
「珍しいんですか?さっきみたいな流れ星。」
「うん。僕も、あんなに大きいのは何個かしか見たことない……。」
「そうなんですね!私、ラッキーだったかもしれません。」
「ね!ラッキーだったね!でも一回ああいうの見ちゃうと、止め時が分からなくなるんだよな〜」
その後も、二人で手を繋いだまま天体観測を続けた。もう、浩の左手を自然に取ることが出来ていて、それが彼との絆を強く感じさせた。私は、それが嬉しくて嬉しくて、勝手に顔が綻んでしまう。もし暗がりでなかったら、ニヤけている変な女であることが、ばれてしまったかもしれない。一度インパクトの大きい流星を見てしまった為か、確かに浩の言葉通り、後に見られた流星で満足することが出来ず止め時が分からなくなった。もちろんとても綺麗であるし、神秘的で壮美な天体ショーであることは間違いない。でも、一発目の壮大さに比べたらどうしても劣ってしまうのは否めず、すると次の流星を期待するあまり、ずっと見続けてしまうループに陥った。もうトータルで10個程の流星を見ることができた頃だろうか。ずっと星空を見あげていたせいで二人とも首の痛みが限界に至り、相当数の流星を見る事ができたと言う事で、今日はお開きにする事にした。二人で縁台に座り、残っていた紅茶を飲みながら小休止する。浩と、手はまだ繋いだままだ。
「私、逆に普通の頃の優理さんが気になります。会った時から元気一杯な女の子だったので。」
「そう?こういうのも変だけど、普通の明るい女の子だったよ。よく笑う子ではあったから、今の性格になる才能はあったのかもしれないね。」
「そうだったんですね。あぁでも、優理さんが積極的に来てくれなかったら、私、今みたいに仲良くなれていない気がします。私から積極的に話し掛けたりって、きっと出来ないでしょうから。」
「そっか……。やっぱり優理のああいう気質は、「こもれび」みたいな場所では理想的なのかもしれないね……。誰にでも分け隔てなく、強烈に関わっていくからさ。」
「はい……。私みたいな人間には特に。ある程度、関係性が構築できた人でないと、話し掛けたり、こっちから関わっていく事が凄く苦手で抵抗があって……。優理さんは、そんなの関係なく懐にずけずけと無理矢理入ってくるので、こっちが苦手意識を持つ余裕すらないんですよね。」
私は、初めて優理と会った時のことを思い出して、くすくすと笑いながら話す。ついさっき会ったばかりなのに、一緒にお風呂に入って身体を洗い合いっこしたり、布団を二つ並べて手を繋ぎながら一緒に寝たりした。普通、会ったばかりの人と、ここまでの関係を持つことはしないだろう。お互い気を使うし、どんな人間かも分かっていないのに、裸の付き合いはなかなか出来ないと思う。でもそれを、何の疑いもなく平然とやってのけるのが優理だった。
それから私達は部屋には戻らず、ただひたすらに会話に没頭した。もともと流れ星を一緒に見る約束だったはずが、いつの間にか庭に面した縁側で話をする事が主になってしまった気がする。でも、浩とのお喋りは楽しくて、それがメインになったとしても私は全く気にしなかった。普段の学校生活のことや、中間期末テストの結果のこと、それで結衣が夏休みに補講になってしまったこと、お互いの趣味である小説のこと、残りの夏休みにしたいこと。会話と話題は全く尽きることはなかった。その間も、ずっと浩と手は繋いだまま。いつの間にか殆ど気にすることなく自然と身体の一部になった様な気さえした。異性と話をすることが、こんなに楽しいと思えのは初めてだった。胸の高まりと高揚感から、明らかに口数と微笑が増えている事を自覚する。でもこれは、相手が浩だから。浩が私に積極的に合わせて話し掛けてくれているから、会話が成り立っているのだ。そうでなければ、口下手でコミュ力に乏しい私と会話のキャッチボールを上手く投げ合ってくれる人はそうそういない。自惚れてはいけないとは思うものの、楽しい会話に引きずられてお互い没頭してしまっていた。何十分か何時間か、どれくらい時間が経過したのか全く検討がつかなかったが、ふと浩がスマホで確認すると午前3時を過ぎた所だった。流れ星を見始めてから3時間も浩と一緒にいた事になる。
「ごめん。もうこんな時間になってた。流石に夜更かししすぎだよね……。」
「いえいえ。私の方こそごめんなさい。話に夢中になってしまって、全く時間を気にしていませんでした。」
と言ったものの、正直、私はまだ浩と話していたいと思った。まだ一緒にこうして、東京の夜風に当たりながら、永遠にお喋りをし続けていたいと思った。この星降る可惜夜の下で、浩と二人きりでいる時間が終わってほしくなかった。眠気なんか全く無くて、頭はウユニ塩湖の様に透明に澄んでいた。けれど、浩が居る手前、あまり彼に迷惑を掛けてしまうのも憚られて、その気持ちを伝えることは出来なかった。彼が縁台から立ち上がると、私も釣られるように立ち上がる。まだ彼とは手を繋いだままだったが、離してしまうことが何だか寂しくて、まだ繋いだままでいたいと思って彼と視線が交差した。私は急に恥ずかしくなって、不器用に顔を反らしてしまう。すると彼がもう片方の空いている手を添えて、両手で優しく私の右手を握る。
「何だかちょっと寂しいね……。」
彼は苦笑いをしながら言う。まだ少年の雰囲気を纏っているあどけない表情は、柔和な印象を持たせる。
「えっ……。」
「でも大丈夫。「こもれび」に居れば毎日会えるよ……。」
「はい……。」
「また、一緒に流れ星。見てくれる?」
「はい。ぜひ!」
「ありがと 」
彼はそう言うと、ゆっくりと両手を下に降ろし、繋いでいる手を自然に離した。
私達は、縁台を上がり掃き出し窓からダイニングキッチンに入ると、紅茶を飲んでいたマグカップを二人で洗い、自室に戻ることにした。まだ、しんと寝静まっている「こもれび」の中を、ゆっくりと静かに歩を進める。階段を登り切ると、お互いに自室の方向で二手に分かれる為、ここでお別れになる。
「じゃ!また朝に。たぶん僕はお昼まで起きれそうもないけど。」
「はい、たぶん私もです。今日はありがとうございました。とても楽しかったです。」
「僕もすごく楽しかったよ。おやすみ。」
「おやすみなさい」
静かに囁くような会話を終えると、お互い部屋の中に入っていった。私はそのまま、すぐにベッドに潜り込んだのだが、全く寝付くことができなかった。真横になって膝を抱える様な体勢になり、右手を胸元に添えて軽く握る。右手に残る彼の温度や肌の感触、手汗などの余韻のせいで、脳内でさっきの浩の表情や声が嫌でも繰り返し繰り返しリフレインされる。でも、頭の中で浩のあどけない優しい笑顔が見られるのは、それはそれで嬉しかったので、私は自然に寝付くまで、脳みそのなすがままに妄想を垂れ流しし続けた。




