大きなかき氷
「ねぇ、さっき浩 兄となに話してたの〜?」
細めた目に上がった口角。私の目の前に座った優理が頬杖をつきながら、その整った顔立ちをからかう様な笑顔へ歪ませて唐突に聴いてきた。今日は珍しく、自慢の長くて綺麗な黒髪は結わず、自然に下ろしていて印象が全く違う。優理自身のキャラクターは置いておいて、最も落ち着いて大人っぽく見える髪型かもしれない。私は、さっきの一幕を聴かれていたのかと恥ずかしくなり、何と答えれば良いか逡巡する。
私達は、かき氷屋さんに来ていた。「こもれび」から徒歩で行ける距離にあって20分くらい。炎天下の20分は厳しかったが、私達はタイミング良く、あまり行列に並ぶことなく中に入ることができた。真夏の日差しの下に長時間晒されずに済んだのは幸運だった。建物は洋風の木造で、住宅街の中にぽつんと佇んでいる。壁面を覆う薄浅葱色のペンキは所々が剥がれていたが、逆に良い雰囲気を醸し出していて趣がある。所謂カフェの様相で、かき氷以外にもコーヒーや紅茶、ケーキ、ちょっとした料理などもメニューに含まれていた。夏はもっぱら、かき氷が有名でお客さんが絶えない様だ。
「えっ、なになに?聴きたい!聴きたい!」
かき氷を注文し、一息ついた矢先での優理の一言に、私の斜め前に座った結衣も興味津々で瞬時に食いついてきた。優理は、これまで私をからかう様な事はあまりして来なかったのだが、水族館での一件があってから彼女との距離が一気に近づいた影響もあるのだろう。相変わらず彼女特有のスキンシップによる物理的距離は近かったが、心理的な距離もより近づいた事は明白だった。優理のお母さんに関する、心の奥深くに沈んでいた悲しい過去と思いに触れ合った事で、今なら何でも話し合える様な関係になったと強く感じる。それはきっと、彼女自身も同じなのだと、私に向ける無邪気で悪戯な笑顔を見れば理解することができた。
「えっと……。もしかして聴かれてた?」
「ん〜、ちょっとだけ?ほとんど聴き取れなかったけど。」
私は誤魔化しても無駄だと思い、浩と流れ星を見る約束をした事を話すことにした。
「さっき、自分の部屋で出掛ける準備をして廊下に出たら、下田さんが洗面台の前に立ってたの。」
「浩が、小華のことを待ち伏せしてたってこと?」
結衣が、少し前に乗り出して会話に入ってくる。
「えっと、そうですね……。私が部屋から出てくるのを待ってた感じでした。」
「なんか最近、浩も積極的になってきたな〜。それで、それで?」
「8月13日の夜は空いてる?って聴かれたんです。でも、まだ先の話ですし、それに私、夏休みの予定は特にありませんから、いつも通り「こもれび」に居ると思いますって答えました。」
「ほうほう」
優理が、悪戯な笑みは崩さず、結衣と一緒に少し前に乗り出して大きく頷いた。
「そうしたら、流れ星を一緒に見ようって誘われたんです。」
私は、まだ色恋の話しするのが気恥ずかしくて、語るに連れて少しずつ上気していくのを感じた。顔は既にほんのりと紅潮しているのだろうが、夏の暑さもあるので、あまり目立たないかもしれない。でも不思議と頭は冷静で、変に取り乱したりせず自然に話すことはできていた。
「浩 兄やるな〜。デートのお誘いじゃん!」
「デート……。」
デートと聴いて、私は大きく息を飲む。あくまで男の子に遊びの誘いを受けただけだと思っていた。場所はお互いの自宅だが、男の子と二人で遊ぶ約束をしたならば、これはデートの誘いと言っても良いかもしれない。そう考えただけで、嬉しさと照れくささが入り混じった複雑な感情が湧き更に上気していく。
「なんか話を聴いてるだけで、息が苦しくなる……。」
結衣が、ゆっくり深呼吸をすると、やれやれといった表情を見せる。
「どうしたの、結衣 姉。らしくないじゃん。もっと追及しないの?」
「追及って、そんな問い詰める様なことしないけどさ……。いや、だって、夏休みに女の子を流れ星に誘うって、もうピュアっピュアっで聴いてらんないよ……。それもう絶対、小華に気があるじゃん。」
「気?」
「そう、気。」
「浩 兄はハナちゃんのこと好きってこと?」
「そう。好きでしょ。じゃなかったら、待ち伏せまでして、夏休みに女の子を天体観測になんて誘わないって。」
「なるほど……。」
結衣と優理の会話を傍目に、私の上気した顔はより一層熱くなっていく。
(下田さんが私のことを?好き?)
想像しただけで胸の奥の辺りが強く引き締められて、なんだか息も苦しくなる。そして心臓が次第に早鐘を打ち始め、胸の中でトクリ、トクリと振動が伝わってくるほど、一拍一拍の拍動が強くなる。私は両手を胸元に添えて、ゆっくりと呼吸を意識する。
(私の事を男子が好いている?下田さんが?本当?どうして?私のどこが良いの?でも……。でも……。でも。もし本当だとしたら嬉しい。すごく嬉しい……。)
私が流れ星に興味を示したから、下田さんが誘ってくれたのだと思っていた。あくまで友人を遊びに誘う程度の。私はそもそも、誰かと遊ぶ経験もほとんど無かったから、それだけで十分嬉しかった。でも結衣の一説を聴いて、一気に舞い上がっている自分を誤魔化すことはできなかった。浮き足立つと言う言葉の本当の意味が分かった気がした。
「ハナちゃん?」
「小華?大丈夫?」
「えっ?あっ、はい……。大丈夫です。」
「なんか真剣な顔で一点を見つめてたよ?顔もちょっと赤いし大丈夫?」
優理が言いながら、少し困った様に眉根を寄せて私の顔を覗き込む。
「小華、ちょっとドキドキしちゃった?いきなりすぎた?」
今度は結衣が、私をからかう様ないつも見せる悪戯な笑みで見つめてきた。この二人は、実はこういう所もそっくりなのかもしれない。
「あの、私、信じられなくて……。でも、もし仮に。本当だと仮定したとして……。事実だったとしたら……。」
「いや、私の読みでは、100%当たりだね。」
「結衣 姉、直球すぎ!ハナちゃん、パンクしちゃうよ!」
結衣の一言に、私は口を半開きに何も言えなくなった。ただただ頭の中が真っ白で、何も考えることができない。身体の火照りはピークに達し、心臓の拍動もいつにも増して高鳴っている。
「ごめん、小華。ちょっと、からかいすぎた。ほんと、大丈夫?」
「結衣 姉のせいでハナちゃんが壊れちゃった!ちゃんと謝って!」
「えぇ〜。だから謝ってるって……。そもそも、優理だって小華のことからかってたじゃん!」
「それは……そうだけど!そうなんだけど!結衣 姉みたいに、ド直球で困らせるような事はしてないよ!」
そんな他人に聴かれたら恥ずかしい、いざこざをしていると、注文していたかき氷が運ばれてきた。一つは定番の苺ミルク、もう一つは私の希望で人気のピスタチオミルクにした。一瞬、気が飛んでいた私も、こんもりと大きく色彩のはっきりしたかき氷を目前に、一気に現に引き戻された。結局、優理の我が儘で二つ頼むことにしたのだが、正直、私はあまり乗り気ではなかった。結衣も食べ切れるか自信がなさげだったが、大きなかき氷を前にした優理の目だけは、ここ最近で最も輝いていた。
「うわ〜、美味しそう!」
一気に目の前のふわふわで小山の様なかき氷に引き込まれ、さっきまでのいざこざは、どこかへと掻き消えてしまった。結衣がスマホで写真を撮っているのを見て、私もスマホをジーンズポケットから取り出し、真似をするように撮り始める。苺の赤に練乳の様な乳白色のクリーム、ピスタチオミルクの方は薄い緑色のシロップが惜しげもなく掛けられていて、見た目のインパクトと色の華やかさから人気である理由が分かる気がした。
「もう食べて良い?」
優理が逸る気持ちを抑えられない様で、今にも握ったスプーンを雪の小山に突き刺しそうだった。
「いいよ、写真は一杯撮ったから」
結衣のゴーサインがかかると、優理は真っ先に苺ミルクに手を出した。私も優理の後を追うように、大きなかき氷にスプーンを突き刺すと一口を頬張る。冷たいけれど舌の上で程よく溶ける柔らかな氷に、ミルクの濃厚な甘みと風味、そして苺の果実感と酸味の組み合わせは格別だった。そして口内に残るミルクの余韻に舌鼓を打つ。
「うまっ!結衣 姉!美味しいから早く食べてみて!」
「分かったから落ち着きなって。」
私は、次にピスタチオミルクに手を出す。こっちは苺ミルクと打って変わって、独特な風味が特徴的だった。ミルクの濃い甘さに、ピスタチオの香ばしさが鼻を抜けていく。ピスタチオとかき氷の組み合わせはイメージが全く出来ず、興味本位で頼んでみたものの相性はぴったりで、人気である理由が一口食べただけで分かる。ピスタチオの風味とミルクの甘さが後を引く美味しさだった。
「うん、美味しい……。苺ミルクも良いけど、私はピスタチオが好きかな〜。」
結衣が、苺ミルクとピスタチオミルクを食べ比べしながら言う。
「どう?ハナちゃん?美味しい?」
「うん、美味しい……。私、苺ミルクのミルク感が好きかも。」
「ね!ミルク、美味しいね!」
結局、3人で2つの大きなかき氷を食べきることができた。ふわふわで優しく溶ける氷に、シロップの美味しさのお陰で、見た目のインパクトとは裏腹に思っていたよりも箸が進んだ。「ね、大丈夫だってでしょ?」と優理は得意げだった。
帰り道、人も車も見当たらない静かな歩道を、3人で横並びに歩く。太陽が傾き始める時間だが、未だに暑さは緩むこと知らない。ただ、かき氷で冷えた身体には、ほんのりと温かくて心地よかった。
「小華は自分のこと卑下しすぎだよ。」
私の右隣を歩く結衣が、唐突に口を開いた。さっきの恋バナの続きなのだろうと察しが付く。
「でも……。でも、私なんかが人に好かれる要素が全然なくて……。私のどこが良いんだろうって思うんです。」
「ん〜、全部だよ全部!黒髪清楚で可愛いし、すっごく優しいし!顔も性格も全部!」
私の左隣を歩く優理が、私の手を握って大きく前後に振りながら朗らかな笑顔で言う。私には、優理の言葉が本当の事だと思えず、当然お世辞なのだろうと思ったが、優理に言われると素直に嬉しかった。
「優理さん、ありがとう。でも、私は……。」
「大丈夫。小華は可愛いよ。こんな女子が近くにいて、手を出さない方がおかしいと思う。」
結衣が私を見やりながら、諭す様な優しい笑顔で言った。いつもの勝ち気な目と優しい笑顔が組み合わさると、なぜか言い表せない安堵感があった。
「でも……。でも……。それは結衣さんも同じだと思います。私なんかより、ずっとずっと綺麗で可愛いし魅力的だと思います。下田さんもきっと、私なんかより結衣さんの方が……。」
「あはは、ありがと。でも私と浩は、そういう関係にはならないんだよ。」
「そう、なんですか……?良い関係というか、良い雰囲気に見えていました……。」
「もちろん嫌いではないけれど、姉弟みたいな関係だからね〜。もし向こうから告白されても、私は断っちゃうな〜。あっちがどう思ってるか知らないけど、たぶん一緒だと思う。」
男女間の恋愛はよく分からない。普段の二人の掛け合いを見ていると、とても仲睦まじくて心が通っている様に見える。恋人同士と言われても疑わないだろう。
「逆に優理は?一緒に暮らしていたら、浩のこと好きになっちゃった!とかあるんじゃないの〜?歳上だし、可愛がってくれるお兄ちゃん的な?」
「えっ!?わたし!?私は、えっと……。」
「なにその動揺……。もしかしてあんた浩のこと……。」
「結衣 姉、ちょっと待って!違うよ!突然だからビックリしただけだよ!ハナちゃん、安心して!浩 兄の事は好きだけど、恋とかそういうのじゃないから!あくまでお兄ちゃんみたいな感じだから!」
優理の取り乱した姿が可笑しくて、ふと笑いが込み上げてしまった。優理が慌てる姿は初めて見たかもしれない。
「ちょっと、ハナちゃん!」
「アハハハ……。ごめんなさい。何だか可笑しくて……。初めて見ました、優理さんが慌ててる所。」
「優理はテンパるよ。特に自分の恋愛の話になるとね。まだまだ初だね〜」
「結衣 姉まで!」
私は、よく3人で恋バナをするようになってから、結衣と浩の関係、優理と浩の関係は、実際の所どうなのだろうと気になっていた。同じ屋根の下で若い男女が暮らしを共にしている。恋に発展したって何もおかしくはないと思うが、優理や結衣と浩の関係は兄妹、姉弟の様な関係らしい。
「「こもれび」って、恋愛禁止とかのルールや規則はないんですか?」
「う〜ん、聴いたことないなぁ。お父さんが、そんなルール作るとは思えないし。」
「一応、児童養護施設だから表立ってOKとは言えないんだろうけどね。でも優仁は、できるだけ自然な環境で育って欲しいって何時も言ってるから、何かを抑制したり排除する様な不自然なルールは作らないと思う。」
「そうなんですね……。」
「大丈夫!小華と浩の恋路は、私と優理が守ってあげる!何かあったら優仁に言ってあげるから。ね、優理。」
「もちろん!」
「えっと……。ありがとうございます。」
私は、若干の苦笑いをしつつ答える。私と浩の関係について、いつの間にか当然の事のように話が進んでいく。浩が私を好きで、私が浩を好きで……。もし本当なのだとしたら……。考えただけでも頭に血が昇ってくる。今まで恋愛なんて、私には無縁の話だと思っていた。でも確かに今の私には、好きな男の子がいる。浩の何気ない優しさと気遣い、柔和な笑みと誠実な立ち居振る舞いが私は好きだった。彼を思うと、胸の奥が強く締め付けられて頭に血が昇り心拍が早く強くなる。この感情は上手く言葉で言い表せないけれど、もうこれは恋なのだと、いい加減、認めても良いだろう。私は、落ちてきた昼下がりの太陽を振り仰ぎ、肌で熱を感じる。眩しさに目を細め、額に右手をかざした。まだ夏は始まったばかりだった。




