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優理の追憶

 優理(ユリ)の手に誘われて、さっきのクラゲエリアに戻ってきた。暗闇の中で華やかに変色し輝き続けている円筒形の水槽群は、その中で漂うクラゲ達を発光させ、相変わらず息を呑むほど美しい光景を作り出していた。やはり暗がりだからか、他のエリアよりも静かで、心なしか人も少なく感じる。私と優理は手を繋ぎながらエリアの角の方まで進み、ちょうど端の水槽の目の前まで来ると歩みを止めた。優理は、ふと私と繋いでいた片手を離すと、ゆっくりと両手を顔の高さに持ってきて水槽に軽く触れる。そして円柱形の水槽に顔を近づけると、水中で揺蕩(たゆた)うクラゲ達を覗き込んだ。今は、水槽が青色に光っていて、優理の顔も妖しく群青色に照らされていた。

「急に、ごめんね。変、だったよね?」

 優理は、水槽から視線を外したかと思うと、私の方を見つめながら話し始める。

「ううん、大丈夫。何か……お話があって誘ってくれたのかな?って思って。」

「うん。そうなの……。あのね……。私のお母さんの事なんだ……。結衣 (ねぇ)に怒られちゃった。まだハナちゃんに、お母さんのこと話してないの!?って」

 優理が急に私の手を取って駆け出した瞬間から、何となく察しが付いていた。恐らく優理の、彼女自身の母親についての話だろうと。以前、結衣が、「小華に自分の母親の事をちゃんと話すように、優理に伝えておくから」と、佳奈の一件があった日に言っていたからだ。たぶん優理は、結衣の言葉を意識して、急に誘ってくれたのだろう。

「そうだったんだね……。でも、無理に話さなくても大丈夫。嫌だったら別に、とてもセンシティブなことだし……。」

 咄嗟に口から出た言葉は本心ではない。本当は知りたい。優理を、あんな悲しい顔にさせる原因を知りたかった。でも、嫌なのに無理に聴き出す事も、それはそれで間違っている様な気もするのだ。

「ううん。嫌じゃないよ。ハナちゃんのことは信頼してるし話しても全然平気。でもね、この話をするのは……。私もけっこう頑張らないといけなくて……。」 

 そう言った彼女は、視線を水槽に戻し、軽く目を瞑り天を仰いだ。暫くの間そうしていると、決心がついたのか、ふと目を開き私をじっと見つめてくる。

  

 (あぁ、あの顔だ……。)


 瞼を開いた優理の面差しは、憂いを含んだあの悲しげな笑顔で満ち満ちていた。脳内で何度も何度も、繰り返し繰り返し反芻した表情が、いま目の前にある。胸がきつく締め付けられる様で、見ているのが辛い。彼女は、いつも元気でいるべきだ。いつも天真爛漫で光り輝いていて、まわりを明るくする、そんな存在でいるべきなのだ。なのに、どうして、こんなに悲しい顔をするのだろう。今にも彼女を抱きしめて、その悲愴から解放させてあげたい、そんな衝動に駆られるが、今の私には彼女の手を握ってあげる事が精一杯だった。

 「ハナちゃん、ありがと。」

 「優理さん、無理しないで……。」

 「うん、大丈夫。でも、「こもれび」で暮らす人は、聴いておかなければいけない事なので……。」

 優理はそう言うと、目の前の水槽を見つめながら、ぽつりぽつりと語り始めた。

 

「私のお母さんはね、いつもは凄く優しいんだけど、怒るととっても怖いの。ちゃんと片付けしていなかったり、宿題するのを忘れていたり、言う事を聞かなかったりするとね……。大きな声と鬼みたいな顔で怒られるんだ……。でも、ちゃんとお手伝いしたり、テストの点数が良かったりすると、頭をくしゃくしゃに撫でて、いっぱい褒めてくれたよ!あとね、作ってくれるご飯がすごく美味しいの!ハンバーグとか麻婆豆腐が好きだったんだけど、一番はやっぱりカレーかな?実は「こもれび」のカレーもお母さんのレシピで作ってるんだよ?でもやっぱり、少し味が違うのは何でなんだろう? 

 ここで少し「こもれび」の話になるんだけど、実は「こもれび」は、以前お母さん達が運営してたんだ。正確には、最初から「こもれび」っていう児童養護施設はあったんだけど、全く運営が出来ていなくて、けっこう(ひど)い環境だったみたい。そこで、役所から民間に運営を委託する事になって、その時、法人を運営していたお母さん達が請け負ったってわけ。お母さんが発起人で作った組織らしくて、けっこう偉い立場だったんだって。今で言う、お父さんの立ち位置になるのかな。だから私のお母さんは、「こもれび」の皆のお母さんって感じだった。当時いた子達のほとんどは、大きくなって独り立ちして、みんな出ていっちゃったけど、結衣 (ねぇ)と浩 (にぃ)は私のお母さんを知っているよ。当時、二人とも「こもれび」に居たから。私も当時の「こもれび」には来たことがあって、春に裏庭の桜でお花見をしたり、連休中はバーベキューとかイベントがある日は、お母さんとお父さんと3人で参加したりしてたよ。だから「こもれび」の子達と良く遊んでたし、何でもない日も遊びに来たりしてたんだ。そこに行けば、お母さんが働いていたし、遊びの相手をしてくれるお姉ちゃん、お兄ちゃんも沢山居たから何か自然な感じだった。今思うと、お母さんが「こもれび」みたいなちょっと特殊な環境に触れさせたかったのかなって思うんだ。社会勉強的な? だから今の私には別に偏見とかは全くないし、みんな辛いことを乗り越えてきた凄い子達ばっかりだと思ってるよ。

 その頃、私達家族は「こもれび」からちょっと離れたマンションに住んでいて、お母さんは常勤の他に夜勤って形で、たまに「こもれび」に泊まったりしてた。お父さんは会社勤めで、詳しい事は分かんないんだけど、クルマのエンジン?の開発とかをやっていたみたい。お父さんと浩 (にぃ)が良くクルマの話をしてるけど、私にはさっぱり分かんないや。 

 そんな感じで、私が幼稚園生くらいの時にお母さん達が「こもれび」の運営を請け負って、小学校に上がる頃には大分軌道に乗ってきたみたいだった。「こもれび」の子達も凄く明るくて、笑いが絶えない家族って感じ。それもこれも、お母さん達、職員さんの頑張りがあったから、「こもれび」を立ち直らせる事ができたんだと思う。」

 優理は時折、昔を懐かしむ様な微笑を含みながら、楽しそうに話してくれた。私は、彼女の言葉を一言も聴き逃さない様、時々頷きながら優理の端正な顔を見つめていた。優理は、一旦、区切りを付ける様に一呼吸を置く。そして目を(つむ)ると、呼吸を整えている様に見えた。暫くそうしていると、意を決した様に目を開き、次の物語を話し始めた。私も、優理の手を握る両手の力が思わず強くなる。


「でもね、神様はとっても意地悪なんだ。私も、「こもれび」の皆も、大好きだったお母さんを簡単に奪ってしまうんだから。あの時の光景は、今でも覚えてるよ。忘れられないって表現が正しいかも。私が小学3年生の時、夕方お母さんと二人でスーパーに買い物に行った帰り道で、私とお母さんはクルマにはねられた。一瞬の出来事だったよ。後ろの方で、すごく大きな音がして、振り返った時には暴走したクルマが目の前に迫ってた。前に進んでも駄目、後ろに下がっても駄目、左右に避けても駄目、どうする事もできなかった。その時、お母さんが私を(かば)うように、私の身体を突き飛ばしたんだ。その時のお母さん顔がね……。頭から離れないの。もう3年も経つのにね……。さっき起きた出来事みたいに思い出せるよ。お母さんの必死な顔も、身体から(あふ)れ出て止まらない沢山の真っ赤な血も、変に曲がった身体も、ずっと私の名前を呼び続けてた弱々しい声も、全部、全部、覚えてる……。」


 それを話す優理の顔は、止め処なく流れる涙によって幾筋もの涙痕ができていた。それは今も止まる気配はなく流れ続け、彼女は必至に嗚咽を(こら)えている。涙の筋は、今は白く光っている水槽の明かりに照らされて、綺麗に光り輝いていた。こちらを見る優理は、それでも笑顔を作ろうとして、涙を流しながら無理矢理にでも笑って見せた。私は、もう我慢の限界で、優理の(ひず)んだ笑顔を見続けることはできなかった。反射的に、握っていた優理の片手を手繰り寄せると、彼女の小さな身体を強く抱き締める。背丈は私より少し小さいくらい。彼女を抱き寄せたことで、優理の側頭部が私の眼前に迫り、流麗(りゅうれい)な黒髪が鼻先をくすぐる。同時にトリートメントの甘い芳香が鼻を突いた。優理は、私とほとんど変わらない体躯であるが、やはりまだ小学生なのだろう、少し線の細さが感じられた。私自身も貰い泣きをしてしまいそうになり、寸前の所で目に涙が溜まっているのを自覚する。でも、ここで崩壊する訳にはいかない。今度は私が優理を支えてあげる番だから。

「優理さん!もう大丈夫。大丈夫だから、泣かないで……。優理さんは、やっぱり笑っていなきゃ駄目だよ!」

 自分自身でも、らしくない事を言っていると思う。でも、思いの丈を伝えられずにはいられなかった。ここ数日、彼女の憂いに満ちた笑顔を見てからずっと、優理に対して抱いていた正直な想いだった。

「優理さんは、いつも笑って、元気な笑顔でみんなを明るくしなきゃ駄目だよ!そんな、悲しい笑顔なんて似合わないよ!」

「ハナ……ちゃん……。」

 優理は一言、私の名前を呼ぶと、私の胸元に顔を(うず)めて、人目も(はばか)らず泣き出した。嗚咽を(こら)えるのも限界だったのかもしれない。クラゲエリアは、人数も少なく暗がりも相まって、あまり目立たくて良かった。外で何度も泣いた事がある私ならともかく、優理を他人の見せ物にはしたくなかった。胸元で泣き続ける、優理の熱いくらいの身体を抱きしめる内に、私も何度も泣き崩れそうな波に襲われる。しかし、優理を支えてあげたいと言う思いを何度も胸の中で反芻して強く堪えた。支える側が泣いてしまっては何とも頼りないから。私は、今はエメラルドグリーンに光る水槽に照らされながら、泣きじゃくる優理が落ち着くまで、何時までも強く抱き締め続けた。

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