水族館
3人で、春の陽気に包まれた住宅街の路地を歩く。「こもれび」の最寄り駅までは、徒歩で15分くらい。優理は相変わらず私にべったりで、私の腕に自身の腕を絡めたまま離れようとはしなかった。いつもの事なので余り気にしていなかったし、私自身もこうして優理が慕ってくれる事がとても嬉しかった。もし自分に妹がいたら、こんな微笑ましい日々を送る未来もあったのかもしれない。
「あんた達、ほんと仲良いね〜。前からそんなに仲良かったっけ?」
私達の前を歩く結衣が、やれやれといった表情でこちらを振り返る 。
「えへへ〜、ハナちゃんとは会った時からずっとだよ〜。結衣 姉、焼きもち?」
「いや、別に。そんなんではないけど。」
結衣の声音から、少しジェラシーを感じさせる様な若干の弱々しさを抱く。私が来る前は、優理と結衣の二人だった訳で、もしかしたら私が来たせいで、二人の関係に軋轢を生じさせてをしてしまったのではないかと少し不安になる。すると優理が私の腕から離れたかと思うと、今度は結衣の腕にひしと抱きついた。
「結衣 姉の事もちゃんと大好きだから安心して!」
「わかった、わかった!知ってるから!優理とくっつくと熱いんだよ……。」
そう。優理は実際とても熱い。私もいつも感じていた事なのだが、恐らく体温が他の人より少し高いのだと思う。優理に抱きつかれた結衣は、何だか気恥ずかしそうで、二人の振る舞いを見て軋轢はなさそうだと思い少し安堵する自分がいた。
「ちぇ〜。結衣 姉、あんまり一緒に歩いてくれないんだよね〜。」
「いや、だって。あんたと腕組んでると、熱くて汗びっしょりになるんだもん。小華は平気?嫌なら嫌って言っても大丈夫だよ?」
「いえ、私は大丈夫です。確かに優理さん凄く温かいけど、あんまり気にしないので。」
「さすがハナちゃん!でも私って、そんな熱いかな〜。」
優理はそう言うと、結衣の腕から私の腕に舞い戻ってきたのだった。
「こもれび」の最寄り駅から、優理が行きたい水族館までは40分ほどかかった。3人で電車に揺られ、他愛もない世間話(私と結衣の高校では再来週に中間テストを控えていてお互い憂鬱だとか、もう私が勉強し始めてると言ったら、結衣に「早すぎない?」と少し驚かれた。)をしながら目的地を目指す。途中、乗り換えもあったが、3人で話に夢中になっていると、あっという間に水族館の最寄り駅に着いた。
各自、水族館の券売機でチケットを買い、入場ゲートから中へ入る。すると目の前には、既に大きな水槽が待ち構えていて、中で小さな魚達が優雅に泳いでいた。水槽のガラスより外縁は大きなスクリーンになっていて、綺羅びやかな映像が映し出されている。中央の水槽で光に輝きながら泳ぐ魚群と、極彩色の美しい映像が合わさり、幻想的な雰囲気を生み出していた。見とれてしまった私は、そこから歩を進めることができない。
「小華?大丈夫?」
結衣が、水族館へ入ってすぐに動かなくなった私を不信に思ったのだろう。声を掛けてくれた。
「え、えぇ。大丈夫です。」
「きれいだね?」
「はい。とっても。」
「でも、まだ入口だよ?」
「そうでした。」
「見とれちゃった?」
「はい……。こういう所に来たの初めてで。ちょっと……。」
「そっか。」
結衣は、柔和な笑みを浮かべると私の横に立ち、一緒に水槽とスクリーンに映し出される映像を眺める。いつも勝ち気な目が印象的な結衣が、時折見せてくれてる優しい笑顔は、張り詰めた心を解いてくれる様な、そんな安心感があった。すると少し遅れて入ってきた優理が、真っ先に水槽に駆け寄り、何やら興奮気味ではしゃいでいる姿が目に入ってくる。
「ハナちゃん、結衣 姉、こっちこっち!すごくキレイ!写真撮ろうよー!」
「優理!今いくから、ちょっと落ち着きなよ。」
結衣は、やれやれといった表情で苦笑いをすると、「さ、私らもいこう」と自然に私の手を取って優理の方へ向かった。結衣の掌は、冷たくもなく温かくもなかったが、ふんわりと仄かに柔らかくて優しい女の子の手だった。結衣に、こうして手を握られたのは初めてで、何だか不思議な気分になる。優理とは頻繁に触れ合いがあって既に慣れてしまっている所もあるが、結衣との接触はほとんど無かったからかもしれない。緊張している訳では無いし、照れくさい訳でもない。もちろん嫌な訳でもないし、結衣がこうして私に触れてくれる事が、私に心を開いてくれている様で嬉しい、そんな気持ちだった。その後、3人で水槽とスクリーンをバックにスマホで写真を撮った。私のスマホが最新で写りが良いらしく、結衣に教えてもらいながら初めて自撮りをしたが意外と上手く撮影できた。優理はスマホを持っていないので、後でプリントして欲しいとねだって来たのだが、結衣が「帰りにコンビニで印刷してあげるから落ち着け」と窘められていた。
エントランスを抜けた後は、複数の小さな水槽が設けられているエリアに出る。所謂プロジェクションマッピングが映し出されていて、鮮やかな色彩に富んだ花びらや、海や河川などをイメージしたであろう水の波紋が、左右の壁面から床に渡り一面に広がっている。エントランスの光景も十分見応えがあったが、それ以上の規模と没入感だった。色彩豊かな光に包まれた私は、四方の綺羅びやかな光景に見とれてしまう。人工とはいえ、世の中には、こんなに賑やかで楽しく綺麗な場所があるのだ。今まで外の世界を知らなかった私には、衝撃そのものだった。こんな所へは当然、義父や母、実父は連れて行ってくれる訳はない。休日は、家に居たくないから外で過ごし、お金もないから専ら図書館に籠もるのが常だった。エントランスの時と同様に、直立不動で景色を見渡している私の腕を、今度は優理が無理やりにでも引っ張っていく。
「ハナちゃん、こっち、こっち。ちゃんとお魚も見なきゃ。水族館に来たんだから。」
「あはは、そうだったね……。こういうところ初めてで、びっくりしちゃって……。」
「このくらいでびっくりしてたら、もっと凄いのいっぱいあるよー!この後、イルカのショーも見に行くし、クラゲの所がとってもキレイらしい!」
「ほんと?ちょっと私、気持ちが追いついて行けないかも……。」
「大丈夫、大丈夫!でも、とっても楽しいでしょ?」
「うん、楽しい!」
そのあと行ったクラゲのエリアは、この水族館の中で、私が一番気に入った場所かもしれない。薄闇の中に円柱形の水槽が幾つも乱立していて、それぞれガラスが光で輝いている。最初は白く光り輝いていたと思ったら、時間の経過と共に青や黄、緑や赤へと彩り豊かに変色していった。水槽の中では、沢山の小さなクラゲ達がゆったりと漂っていて、半透明の身体が光の色に照らされて発光している。闇の中、多くの水槽で幾つもの小さな発光体が、優雅に揺蕩っているその光景は形容が難しく、とにかく息を呑むほど綺麗な空間が広がっていた。何より、暗がりという場所も相まって、これまでのエリアよりも幾らかお客さんの数も減り喧騒から逃れ、静かで落ち着いている所が魅力的だった。永遠に眺めていられる様な気がした私は時間も忘れて、暫くクラゲのエリアをゆっくりと歩きながら物思いに耽っていたのだが、優理と結衣の姿が見えない事に気付き慌てて出口に向かう。すると、出口を出てすぐの所に二人の姿が見えて安堵した。二人は、私の事を待ってくれていたのだ。
「待たせてしまって本当にごめんなさい!お二人のことに全く気づきませんでした……。」
「いいよ、いいよ、気にしないでゆっくりして。小華、すごく夢中になってたから、邪魔するのも悪いかなって。」
「そうそう、大丈夫だよ。ハナちゃん、たぶんクラゲエリアにハマったなって、さっき結衣 姉と話してたところ。」
すると結衣が、スマホの画面を私の方に向ける。いつの間にか撮られていたらしく、薄闇の中で極彩色に輝く円柱形の水槽群と幾つものクラゲと共に、私が無意識に水槽を見つめていた瞬間の姿がスマホ画面に映し出されていた。
「ハナちゃん、すっごく可愛く撮れてるよ!白いワンピースが、景色とぴったり!」
「うん。暗いのもあるんだろうけど、なんか小華の表情がとても良い。クールと言うか、カメラを意識してないからか自然な顔が撮れてる。」
全く気づかずに撮られていた事が恥ずかしくて、少し顔が火照った気がした。私の顔立ちと容姿は置いておいて、闇の中で色とりどりに輝く水槽群とクラゲ達、そして白いワンピースが水槽からの光彩で鮮やかに彩られている光景は、確かに綺麗に撮れていると感じた。
「ありがとうございます。でも、なんか照れくさいです。いつの間にか撮られていて……。」
「これ、LINEのトプ画にしなよ。なんかパンフレットの写真みたいだよ。」
結衣が、私の写真を真剣に見つめながら言う。
「トプ画ですか?」
「そうそう。プロフィールの写真のこと。小華、まだ初期設定のままだったよね。後で設定の仕方、教えてあげる。」
私は「ありがとうございます。」と簡単にお礼を言うと、横で優理が「いいなー。私も早くスマホ欲しいなー」と毎度のことの様に呟いていた。「こもれび」では高校生になるまでスマホを持てないので、小学6年生の優理には、まだまだ先は長そうだ。
クラゲのエリアを抜けてエレベーターで上に行くと、カフェが設けられていた。ここも水族館らしく水槽が幾つもあって、中にはサンゴがブラックライトに照らされて妖しく光っている。不思議な水景を見ながら一休みできる構図になっていた。少し歩き疲れたので、3人ともソフトドリンクをカウンターで買って休む事にする。飲み物を飲みながら、幾つもの撮った写真を見返したり、次のイルカショーの時間を調べたりして一息をついた。
「私、ちょっとトイレに行ってくるね。」
ちょうど飲み物を飲み終わった頃、結衣が席を外す。
「はーい。いってらっしゃーい。」
そして優理が、ストローを口に咥えながら軽い口調で答えた。すると優理と二人きりになったせいか、水族館に夢中で暫く忘れていた彼女の物悲しい笑顔の事を、ふと思い出してしまった。そうなると嫌でも彼女を意識をしてしまう自分がいた。もう気を使うような関係でもないのに。木曜日の佳奈の一件から2日。この2日間、ずっと優理の憂いに満ちたあの笑顔を、脳内で繰り返し繰り返し、何度も何度も思い返しては彼女の心情を想像し、その度に、悲しみと苦しみが合わさった形容しがたい感情に胸が締め付けられた。これは私の勝手なエゴだ。彼女の事と彼女の母の事を勝手に知った気になって、勝手に彼女の事を想像しては己の感情に浸っているだけ。でも、どうしてだろう、今日の様な明るくて元気ないつもの優理の、その裏側にある計り知れない悲痛を思うことを、止める事ができない。彼女が元気に笑えば笑うほど、天真爛漫な明るさに輝けば輝くほど、彼女を愛おしく思う気持ちが止め処なく溢れてくる。ぎゅっと抱きしめたくなってくる。私は拳を強く握りしめ、そして優理の顔をじっと見つめた。すると彼女も、ふと私の目を見つめ返してくる。優理の綺麗な瞳と長い睫毛に、私は思わずドキリと脈動をうつ。
「ねぇ、ハナちゃん……。結衣 姉が戻って来るまでにさ、ちょっと2人でさっきのクラゲの所に行かない?」
「え……。うん、大丈夫だけど……。」
突然の優理からの提案に、少し怪訝な表情をしてしまったかもしれない。
「よし!じゃあ、行こー!」
優理は唐突に私の右手を掴むと、引っ張る様にして足早に私を先導していった。




