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児童養護施設「こもれび」

 私は、Honda・N-BOXの後部座席で揺られていた。隣には優理ユリが座っている。運転席では、優仁ユウジがナビを見ながら「まだ渋滞ぬけられそうにないなぁ」と独り言を呟いていた。確かに、この辺り一帯に限らず、都心部の渋滞は酷い。夕方18時過ぎ頃は特に。私はウィンドウに写る、東京のネオンの煌めきに照らされた泣き腫らした自分の顔を見つめていた。もう、あの家に帰らなくていいのだ。そう考えただけでも、安堵の気持ちが一杯にあふれるのを感じた。

「お姉さん、大丈夫?落ち着いた?」

 優理がこちらを向いて、私の顔を覗き込んできた。

「うん。大丈夫、ありがとう……。」

「それなら良かった!そう言えば……お姉さんのお名前、まだ聴いてない……」

 そう言われて、ふと気づく。二人に出会ってからというもの、まだ名乗っていなかったのだ。

「あっ……ごめんなさい……。わたし忘れてました。私は、橋本小華ハシモトコハナと言います。」

「小華さんかぁ……。じゃあ、「ハナちゃん」って呼んでもいい??」

「えっ、まぁ別に大丈夫だけど」

「やった!じゃあ、小華さんは、これからハナちゃんね!」

「小華さん、改めて、これからよろしくお願いしますね。」

 優仁は、運転席からミラー越しにこちらを振り返ると、笑顔で話しかけてきた。

「はい。よろしくお願いします。」

 それから1時間ほどクルマに揺られると、児童養護施設「こもれび」の表札が見えてきた。建物は、一般的な2階建て家屋風だったが、一回り大きめな印象だった。建物は塀に囲まれていて、入口には屋根の無い簡単な門があり(門には児童養護施設「こもれび」と言う表札が見えた。)、そこから敷地に入り、駐車場にクルマを停めた。外に出ると、家屋にはまだ電気が付いている窓と、既に暗い窓が多数あった。時間は既に20時近い、小さい子供はもう寝ているかもしれない。

「さっ、ハナちゃん、こっちこっち」

 優理が、私の腕を引っ張って案内してくれる。さっき出会ったばかりだというのに、この娘はコミュニケーション能力に非常に長けている。私には到底真似できないと思った。少し広めの玄関に上がり、真っ直ぐ進むと、途中で右手に2階への階段があり、そのまま真っ直ぐ行くと広めのダイニングキッチンの様になっていた。誰もいなかったが、ここで皆で食事を取ることが容易に想像できた。夕飯の残り香なのだろうか、ほんのりと何かの香りが漂ってきて、お腹が鳴ってしまった。優理が「アハハ」と笑う。そう言えば、三日三晩食事をとっていないことを忘れていた。安心感からか、一気に空腹感が押し寄せてきた。

「優理、父さんご飯の準備するから、小華さんをお風呂に案内してあげて。着替えとかは、何時もの所にあるから。」

「オッケー!じゃあ、先に一緒にお風呂はいろー!」

「え?一緒に?」

「そっ!一緒に!さあ、早く早く!」

 断るタイミングも無く、間髪入れずに優理はズンズンと先に進み私の手を引っ張っていった。私の身体には、無数の痣や傷がある。昔の物から新しい物まで。これまで必死に隠して生きてきた。奇異な目で見られたくなかったから。修学旅行や宿泊学習では、それだけを理由に休んだりもした。でも優理は、そんな事をお構い無しに、ことを前に進めていく。優理は私の手を引っ張って、ダイニング入口から右側に面する扉を開け廊下を進むと、左手にあるお風呂場に案内してくれた。

「私、着替えとか取ってくるから、先に入ってていいよー!着てる服とかは、カゴに入れておいてね!明日洗うから!

 あっ、あとトイレはお風呂の入口の向かい側、そこにあるからご自由に!」

優理は、そう言うとドタドタと何処かへ消えていった。私は、優理にだったら見せても良いと思った。会ってまだ数時間しか経っていない少女。天真爛漫で元気一杯、相手の懐にズケズケと入ってくる。たった数時間で、彼女の素性がこれだけ明確に分かってしまう程、不思議な少女。

 私は、脱衣場の入口の片引き戸を閉めると、小雨で湿ったグレーのパーカーとジーンズを脱ぎ、Tシャツとブラ、パンツ、靴下を脱いでカゴの中に入れた。一週間着ていた服と下着は、それ相応の臭気を帯びていた。これを洗濯してもらう事に、とても申し訳ない気持ちになった。裸になった私は、お風呂場の折れ戸を開け中に入る。お風呂の構造は、一般的な物だった。誰かが入った後なのだろう、ほんのりと温かい。この施設に何人の子供たちが居るかは分からないが、この大きさだと毎回順番で入っている事が想像できた。鏡は、良く手入れがされていて、くすみなく私の裸体が映し出されていた。痣だらけの裸。昔に殴られた跡は、青あざから茶色へと治ってきているものの未だ痛々しさが残る。痣はいずれ消えるだろうが、それでも切り傷は最後までキレイには消えなかった。特に酷いのは火傷の跡だ。タバコの火を押し付けられた跡が複数ある。振り返り背中を見ても同様だった。そして、家を飛び出してきた日を思い出す。男は最初、私の、この胸部を欲望のまま弄った。そして下部へと手を伸ばしていった。その時の、手が下腹を這う不愉快極まりないヒヤリとした感触と、自身の大切な部分を触られた恐怖を思い出す。

 すると、突然後ろの2枚折れ戸が開き、素っ裸の優理が飛び出してきた。

「やっほー!お待たせ!!ってアレ?まだ湯船に入ってないの??」

 「見られた。」と思った。自分の傷だらけの身体を。普通だったら有り得ない程の痛々しい痣と傷の数々を。青く黒く、場所によっては紫色にも見え、そして切り傷の薄っすらと残った傷跡を。火傷の跡は独特で、円形のケロイドが幾つもある。私は、両腕で必死に隠そうとしたが、両腕で隠せる面積などたかが知れていた。

「さっ、お湯につかろ!温かいよ!しばらく入ってないんでしょ?お風呂?」

「えっ?うん、入ってない。一週間くらい。」

「一週間!?ひぇ~、私だったら耐えられないよ〜」

 彼女は、私の痣や傷跡には一切触れなかった。最初から無かったかの様な自然な振る舞いだった。心配したこちらが損した様な、そんな気さえした。優理には絶対に見えているはずなのに、今は、そんな優理の態度がとてもありがたかった。そして、優理と入ったお湯は、形容しがたいほど気持ちが良かった。身にしみるとは、この事かと思った。

「きもち〜ね〜」

 優理がとろけそうな顔で言う。

「うん。最高にきもちいい。」

 一週間、野外で過ごし野宿同然だった私は当然風呂になど入っていない。女子としては考えられない環境である事は間違いなかった。臭いも酷かったと思う。でも城田親子は全く気にする素振りなど見せなかった。気を使ってくれていたのは間違いなく、そういう所にも申し訳なさと感謝の念が禁じ得なかった。しばらく湯船に浸かり、体温が温まった頃、優理が身体を洗ってくれると言い出したので、「大丈夫、一人で洗うから」と断ったものの、じゃあ洗いっこしようと言う事になって二人にで背中を流しあった。普通は修学旅行とかで友達とやるのだろうが、私は初めての経験だった。

「ハナちゃんって、歳いくつなの??」

「私は、いま15歳。4月で高校1年生になったところだよ。」

「えっ、高校生なの?中学生くらいと思ってた……」

「あはは、そうだよね。わたし身長ちっちゃくて優理さんとあんま変わんないし。顔も子供っぽいし」

「いや、そんな事ないよ!子供っぽい方が可愛いしモテるよ!ホラ!なんて言ったっけ、幼い顔のこと?どう、どう……。」

「童顔?」

「そう!それ!」

「ははは、ありがとう。優理さんは?いくつ?中学生くらい?」

「え?中学生に見えちゃう?あたし?」

「うん、なんか身長も高めだし、すらっとしてるし、何か部活で運動とかしてるのかなって?」

「実はね、今12歳で小学6年生になったばかりなの。運動は特にしてないけど」

「そうなんだ!小学生に全然見えないよ。凄くコミュニケーション能力高いし、言葉もしっかりしてて」

「アハハ、ありがとお。あぁ、ハナちゃんがうちに来てくれて嬉しい!絶対、気が合うと思ったし、絶対助けたいって思ったんだ!!」

「えっ?あそこの歌舞伎町で?」

「そう!歌舞伎町で!私と父さんは定期的に、あそこに巡回に行くんだけど3日前くらいからハナちゃんの姿が見えたのね。で2日目にも姿が見えたから、明日もいたら声かけよっかって父さんと相談してて。でも初日からハナちゃんの姿がなんか忘れられなくて。なんかビビっと来たの。絶対仲良くなれそうって。そしたら、もう早く何が何でも助けなきゃって!!」

「そうだったんだ……。ずっと見られてたんだね。アハハ……。」

「うん。だから今日はゆっくり休んでね。」

 あんなに泣いたはずなのに。一生分の涙を使い切ったと思ったのに。また目から涙が流れてきた。お風呂だから水気で気づかれない様にしたかったが、次第に嗚咽も我慢できなくなり、結局、優理の前でまた泣く羽目になった。彼女は、前と同じように頭を撫でてくれた。

 それから、お互いに身体に付いた泡を流し、最後に少し湯船に浸かって、お風呂からあがった。脱衣所には、簡素な下着とTシャツ、ネイビー色のジャージがキレイに畳んで用意されていた。

「とりあえず、今はそれを着てね。後で、一通り必要な服を買いに行かなきゃ!明日、学校おわったら一緒にユニクロに行こう!!」

「うん、ありがとう。でも私、お金全然持ってない……」

「大丈夫!そう言うお金は、ちゃんと「こもれび」が持ってるから!父さんに言えば出してくれるよ。」

「何から何まで、ホントありがとね。」

 私がそう言うと優理は、ニッコリ笑って私の腕をポンポンと叩くのだった。

 優理より一足先に髪を乾かしキッチンに戻ると、優仁が食事を準備して待ってくれていた。どうやらメニューはハンバーグらしい。肉と玉ねぎのおろしソースの香りで、目眩がしそうなほどだった。

「お、ハンバーグだ!美味しそう!」

 優理が、長い黒髪を揺らしながら、私より少し遅れて食卓へ入ってきた。これまでは後ろにポニーテールで縛ってまとめていた為、印象がかなり変わった。黒髪ロングも、それはそれで清楚感が溢れて良いと思った。

「前に作って冷凍にしておいた奴だけどね。作り置きしといて良かったよ。ささ、食べよう。いただきます。」

「いただきます!」

「いただきます。」

 手作りなだけあって、一口食べた瞬間の肉感が著しかった。口の中で肉の塊が主張している感覚がある。更に、そこに白米を頬張ると、米の甘みを強く引き出してくれる。おろしソースとの相性も完璧だった。三日三晩、何も口にせず、最初にした食事にしては刺激が強すぎたかもしれない。空腹は最高の調味料と言うが、料理の味だけではなく、確かにそれも相乗効果を生み出している事は間違いなかった。

「小華さん、どう?美味しい?」

「はい、美味しいです!」

「それは良かった。ご飯食べたいって言ってたもんね。ごめんね、声を掛けるのが遅くなって。昨日のうちに声を掛けてあげれば良かったね。」

「そうだよ、父さん!昨日、あんなに早く声掛けようよって言ったのに、まだ様子見ようって言うから。ハナちゃん、もう一日苦しむ羽目になったんだよ!」 

 「いえいえ、全然大丈夫ですから。気にしないでください。結果的に、私は助けて頂けましたし、とても助かっています。」

 その後も優理は「大体、父さんはいつもいつも……」とプンスカしていたが、父の優仁は「あはは、ごめんごめん」と苦笑いしながらのらりくらりと交わしていた。

 一通りご飯を食べ終わると、食器を片付け(食べてばかりで申し訳なく、手伝おうとしたが、疲れてるだろうからいいよと断られた。)、優理に寝室に案内された。部屋が一つ余ってるとの事だったが、すでに夜も遅く、後で整理してから受け渡すとの事だったので、今日はとりあえず優理の部屋で一緒に寝ることになった。優理の部屋は1階にあり、2階に続く階段入口の反対側にあった。お互いに歯磨きを済ませると、彼女が2階から、余っていた布団一式を抱えて持ってきてくれて、優理の布団の横に並べて敷いた。優理は、「ハナちゃんが良ければ、これからも私の部屋で一緒に暮らしてくれてもいいんだけどなあ~」と言っていたが、優仁が「流石にあの部屋で2人で生活は狭すぎない?」と苦笑いしていた。私は、別に優理と一緒でも吝かではなかったが、確かに2人では狭すぎた。2人分の布団を敷いたら既に足元にスペースはなかったし、布団に寝転がれば頭上には優理の勉強机が迫っていた。

「え〜、じゃあ二段ベット買ってよぉ~」

「いやいや、二段ベットでも相当狭いよ?これから小華さんは高校にも通って勉強もするようなんだし、机とか一通りそろってる2階の部屋を使ってもらおうよ。」

「もぉ、ケチ〜」

 優理は納得がいかないらしく、不貞腐れた表情をして「さ、話の分からない人は置いといて、寝よ寝よー」と言うと、扉をピシャリと閉めるのだった。私は、優理が閉めた扉を少し開け、優仁に「おやすみなさい」と言うと、優仁も優しい笑顔で「おやすみ」と言ってくれた。布団に入ると、優理が「電気けすよー」と、蛍光灯からぶら下がっているヒモを引っ張り明かりを消してくれた。

「ハナちゃん、今日は色々あっただろうから、ゆっくり眠ってね。」

「うん……。」

「明日は、みんな学校で7時には起きる決まりになってるけど、寝てても大丈夫だからね。」

「わかった、ありがとう。」

 すると突然、敷布団と掛け布団の隙間から何かが侵入してきたかと思うと、私の右手をギュッと握りしめた。それは暖かい優理の手だった。

「ハナちゃんと、これからいっぱい色んな事して遊びたいなぁ……。水族館いってぇ、ディズニーいってぇ、お買い物したりぃ、それとぉ……。」

 優理の口調がだんだんと覚束なくなり、しまいにはスースーと寝息が聴こえるようになった。どうやら優理は寝入りが良い質らしい。私は、「おやすみ」と小さく呟くと優理の手をギュッと握り返した。

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