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馬の鼻

 私のしゃっくりも大分落ち着いてきた頃、丁度ピザが焼き上がった様で店員さんが運んできてくれた。マルゲリータをベースに、優理(ユリ)がトッピングしたサラミとチーズとマッシュルームが乗ったピザだ。香ばしい良い匂いが鼻先をくすぐる。とてもお腹が空いていたので、口腔内に唾液が溢れ、直ぐにでも口に頬張りたい欲望に駆られた。それは優理も同じだった様で、優理は「いただきます」を言ったかと思うと、真っ先にピザの一切れに手を伸ばし、「あちっ、あちっ」と言いながら口に運ぶ姿が微笑ましかった。

「優理、落ち着いて食べなよ。腹ペコなのは分かるけどさ……」

 結衣(ユイ)が苦笑いをしながら、優理をそれとなく窘める。

「さっ、私らも食べよ。このままじゃ優理に全部食べられちゃいそうだ。いただきます。」

「あはは、そうですね。いただきます。」

 手に取ったピザは、優理が熱いと言っていた通りだった。まさに焼きたてで、一口、口に頬張るとチーズがどこまでも長く伸びた。口先で何とか断ち切ると、生地の香ばしい風味とトマトソースの酸味、チーズやサラミの塩見が合わさり、とても美味しかった。もちろん空腹の影響は大きいが、それでも焼きたてのピザがこんなに美味しい食べ物だとは思わなかった。冷蔵庫にあった両親の食べかけの余り物の宅配ピザを、レンジで温めて一人寂しく食べていたあの時の嫌な記憶が少しづつ払拭されていく。

「これ、おいしいですね……。」

「うん、おいしいね!」

 優理が眩しい笑顔を携え、ピザを口に頬張りながら言う。

「やっぱ焼きたては美味しいね……。」

 結衣も満足気な様子だった。

 一人、大体三切れ〜四切れ程を食べると、そこそこお腹が膨れてきた。空腹の時は食べられると思って欲張りしがちだが、私達三人にはちょうど良いサイズだったと思う。これでもう一枚あったら、食べきれない事はないだろうが、かなり辛かっただろう。


「ねぇねぇ、このあとハナちゃんのスマホの待ち受け撮りに行くのはどう?」

 優理が、残り少ない飲み物をストローで吸い込み、音をたてながら言う。これまで携帯やスマホを持ったことがなかったので、待ち受けという言葉に馴染みはなかったが、所謂、待機画面の画像の事を言っている事はなんとなく想像できた。学校で他人のスマホを覗き見ると、大体、友達と一緒に写った写真であったり、動物やペットの写真だったりが良くあるパターンだ。

「なかなか良いアイデアじゃない。」

「でしょでしょ?」

 結衣と優理が、作戦会議でもする様に顔を合わせて小話を始めた。

「待ち受け撮るにしても、どこか良い場所知ってるの?水族館?」

「げっ、第一候補だったのにバレてたか……。」

「そりゃ最近、都内の水族館を片っ端から回ってたらね〜。思考がだだ漏れだよ。」

「そう言う結衣 (ねぇ)は、何かアイデアあるの?」

「う〜ん、大本命はディズニーかな。だけど今日は、ちょっとキツいな……。」

「えっ、いいじゃんディズニー!行きたい!行きたい!15時からのチケットで入ればいいじゃん!」

 優理のテンションが急に上がったと同時に、笑顔の輝きが一段と眩しくなった。

「優理、その気持ちは十分理解するよ……。でもお金がね。15時からのチケットと言えど、3人分の金額は持ち合わせていないよ……。」

「そんなぁ〜。私だってお金持ってないよ……。」

 さっきまでの輝きは嘘だった様に、しょぼくれた表情を見せる優理は、相変わらず表情がコロコロと変わり、そんな所も可愛らしく思えてくる。

「お小遣い貯めるまでは我慢だね。」

「そんなにお金かかるんですか?私も、そんなに持ち合わせはないです……。」

 私は、そもそも遊園地とか動物園とか、所謂テーマパークと言う所に行った事が無かったので相場感が殆ど無かった。

「ん〜、平日の午後なら5千円くらいだから、お小遣いを貯めていればね。私達でも全然問題ないんだけれど、頻繁に行ける所ではないかな……。」

「そうなんですね……。でも行ってみたいです。ディズニーランド……。」

「行ったことないの?」

「はい。」

「一回も?」

「はい。」

「そっか……。これは、いつか絶対に行かないとね。」

「いこう!いこう!3人で一緒に!」

 結局、3人とも十分な持ち合わせはなく、その日にディズニーランドへ行くことは出来なかった。

小さい頃から閉鎖的な生活を送ってきた私でも、興味を持つくらい有名で憧れの場所だった。当然あの両親が連れて行ってくれるはずもなく、もしかしたら私が物心もつかない小さい頃、実父と母がまだ離婚せず仲が良かった頃、連れて行ってくれた事があったかもしれない。しかし私にそんな思い出は全くないし、喧嘩ばかりしていた実父と母が私をディズニーランドに連れて行ってくれるとは到底思えなかった。実父と母が離婚したのは、私が小学2年生の頃。物心がついた時から喧嘩の絶えない両親だった。その後、私は母に引き取られたが、ほとんどネグレクトと言って良い状態だった。そして中学2年生の時に、忌まわしい再婚相手が家に転がり込んで来て今に至っている。

「近くで良い所ないかな〜」

 結衣がテーブルにスマホを置いて、マップを見せてくれた。それを三人で覗き込む。画面には、新宿駅を中心に都内の地図が広がっていた。

「都庁は?展望台からの景色キレイだよ。」

 優理が、比較的近くにある東京都庁の場所を指差す。

「それもいいね。夜景とかも結構映えそう。」

「ハナちゃんは?どこか行きたい所とかある?ていうか、そもそもハナちゃんの待ち受けなんだし、ハナちゃんが行きたい所じゃないと意味ないじゃん……。」

「あはは、あんまり気にしないで。そもそも私、都内の観光スポットとか全く分からなくて……。」

 私はそう言いつつ、結衣のスマホを覗き込んだ。今の画面には新宿を中心に少し広範な地図が広がっていた。その中にふと、ポニーの文字が視界に入る。

「ポニー公園。ここ。ポニー、お馬さんがいるんですか?」

「ん?ああ、ポニー公園だね。私、昔行ったことあるよ。小さいポニーと、あと結構大きなサラブレッド?みたいな馬もいた気がする。小華、お馬さん好きなの?」

「はい。動物は色々好きなんですけれど、お馬さんは結構好きなんです。」

「そこ行ってみる?」

「はい!行ってみたいです。遠くなければ良いんですけれど……」

 私達はピザ屋さんを後にすると、ポニー公園の最寄り駅、参宮橋駅まで電車で移動した。数駅かつ乗り換えなしで移動できた為、15分もかからなかった。駅を出ると、今日は清々しいほどに気持ちの良い青空が広がっていて、太陽の輝きも一段と眩しく春の陽気が心地よかった。公園に遊びに行くには最高の天気だと思った。

「ハナちゃん。良く見たら今日の洋服は、この前一緒に買いに行ったやつ?」 

「うん。今日は折角のお出掛けだから、ちょっと着てみたんです。変じゃないかな?」

 今日は、私が「こもれび」に来た直後に、三人で買いに行った時の服を着ていた。淡いグリーンの膝丈下ほどのレーススカートに、襟元に控えめなフリルをあしらった白のブラウスで、これまでの私の服装と比較すると、あり得ない程に可愛らしいコーデである事は間違いなく、今日一日、少しそわそわしてしまい落ち着きがなかった。

 「全然変じゃないよ!凄く似合ってるよ!私と結衣 (ねぇ)の目に狂いはなかった!」

「うん。私も似合ってると思うよ。小華は、少し甘いくらいの洋服が似合うかもね!」

「そうですか?ありがとうございます。」

 二人にそう言われると、照れくさくて自然と笑みがこぼれてしまう。

 駅を出て、少し傾斜のある上り坂を登ると大きな道路に出た。横断歩道を渡り、道路の反対側に渡ると、目的地のポニー公園へとたどり着く。イメージしていたより少し小さな園内には、小さなポニーが3頭、比較的大きな馬が1頭いて、事務所の様な建物の横に併設されている簡易的な厩舎に繋がれていた。土曜の昼下がりということもあって、小さな子供連れの親子が多く見られる。

「ねぇねぇ、今の時間、なんかイベントやってるみたいだよ!」

 優理が一目散に園内に入っていったのだが、優理が見ていた事務所の壁に貼られている時程表を、彼女の後ろから確認すると、確かに14:30からブラッシングタイムと書いてあった。どうやら馬の毛並をブラシを使って整えたり、汚れを落としたりを体験できるらしい。まさか、馬に触れると思っていなかったので、心の奥底から小さな気持ちの高まりが沸き起こってきた。

「これ、お馬さんに触れるんですか?触って大丈夫なんですかね?」

「うん、大丈夫みたいだよ。ハナちゃん、折角だからブラッシング体験してみなよ!」

 時間も、ちょうど開始10分前くらいに着いたのがベストなタイミングだった。園内に人が多かったのも、イベントの開始が近かったからかもしれない。私は本物の馬に触れるのが初めてだった為、恐る恐るだったのだが、結衣が「折角だし、あの大きいお馬さんにしてみなよ」とちょっと悪戯な笑みを浮かべつつ私の腕を取って引っ張っていった。右端で繋がれていた比較的大きな馬は、明るい金色の毛が太陽に照らされて輝き、とても綺麗な栗毛の馬だった。とても優しそうな大きな目をしていて、ぱっちり二重の大きな瞼が印象的だ。近づくと、馬体が意外と大きくて気圧されてしまう。だからか、子供達には小さなポニーの方が人気があって、栗毛の馬は比較的空いていた。

「ブラッシングしてみますか?」

 栗毛の馬の右横で手綱を持っている女性スタッフがブラシを手に促してくる。

「大丈夫でしょうか?」

「はい。この子、凄く落ち着いているので心配ないですよ。」

 私が少し狼狽えているのを察したのか、スタッフのお姉さんはアドバイスをしてくれた。私は手渡されたブラシを手に取ると、栗毛の馬の左横に立ち、スタッフのアドバイス通りにブラシを毛並に当てていった。ちょうど首元あたりを丁寧に優しくブラッシングしていく。心なしか、馬の表情も気持ちよさそうに見えてきた。ブラシを持っていない逆の手で、さり気なく首元に触れてみる。ほんのりと温かく、毛並がツルツル、スベスベしていて触り心地が良い。一通りブラッシングをし終わった頃、前から一度、絶対に触ってみたい部位があったので、意を決してスタッフのお姉さんに聴いてみる事にした。

「あの……。実は、前からお馬さんの鼻を触ってみたくて……。触ってみても大丈夫でしょうか?」

「あはは、分かります。プニプニしてて気持ち良さそうですよね。この子なら大丈夫ですよ。ほんと何しても怒らないので。でも優しく触ってあげて下さいね。」

「ありがとうございます!」

 私は左手を恐る恐る伸ばし、ぱっちり二重の優しい目を見つめながら、その鼻先に触れた。それは思っていた感触とほとんど同じで、絶妙に柔らかく、そして温もりがあると同時に、馬の呼吸に合わせて手に当たる鼻息が生暖かかった。鼻先を触る事に夢中になり、優しく押したり左右に揺すったりすると、プニプニとした弾力が伝わってきて夢心地のような感触だった。当の栗毛の馬はと言うと、全く我関せずといった表情で落ち着き払っている。

「ありがとうございました。念願の夢が叶いました!」

「あはは、いえいえ。でも、鼻先を触られるのを嫌がるお馬さんもいるので、触りたい時にはきちんとスタッフにお声がけ下さい。噛まれちゃう事もありますので……。」

「そうなんですね……。知らなかったです。気をつけます。」

 私はそう言って馬の側を離れると、結衣と優理はスマホで私の事を撮影していたらしかった。

「小華、ずっとお馬さんに夢中だったね。おかげで良い写真がいっぱい撮れたけれど。」

「えっ、そんなに撮られてたんですか私……。」

「うん。色んな画角からハナちゃんの良い笑顔を沢山撮れたよ!」

 馬の鼻先に夢中で、撮影されていた事に全く気が付かなかった。いつの間にか撮られていた事に気恥ずかしさを感じたが、確かに栗毛の馬とのツーショットだったり、鼻先をプニプニしている時の写真だったりと、可愛らしい馬との画角が一杯あって、どれも待ち受けにするには程良い物ばかりだった。

 その後、優理と結衣もポニーや栗毛の馬のブラッシングを体験し、少し疲れたので近くの自販機で飲み物を買い、側のベンチで小休止をすることにした。土曜日の昼下がり、自然の多い園内と外から入ってくる都内の優しい喧騒が耳に心地よく、春の温もりも相まって心が満たされていく事を感じる。「こもれび」に来る以前では、絶対にあり得なかった感情だ。友達と呼べる人とこうして遊ぶことが、こんなに楽しい物なのだと、幸せな物なのだと強く実感できる。馬たちは、公園の中央にある柵の中で放牧されており、この春の陽気の中で静かに佇んでいた。中には立ったまま目を瞑り眠ってしまっているポニーもいた。私はさっきブラッシングしてあげた栗毛の馬が気になり、柵に近づいていった。すると、あちらも気がついたのか、ゆっくりと歩を私の方へと進めてきた。そして、まさかここまで近づいて来るとは思わず、栗毛の馬は、頭を柵の近くまでもたげると、鼻先を私へ向けてくるのだった。

「結衣 (ねぇ)!結衣 (ねぇ)!シャッターチャンス!」

 優理が、私と栗毛の馬との距離感に気づき、スマホを見ていた結衣を振り向かせる。結衣は気がつくと、優理の腕を取り、即座に私の側に駆け寄ってきた。そしてスマホのインカメを私達に向けたかと思うとシャッターを連写した。


 その時の写真は、数ある待ち受け候補の中でも断トツの1位と言っても良いくらいのベストショットだった。中央正面に栗毛の馬の鼻先が、右に私、左に結衣、馬の鼻先のちょうど下に優理が写っている。心なしか、栗毛のお馬さんの表情も、三人と同じく笑っている様に見えた。

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