これからのこと
高校に通える様になるまでの間は、「こもれび」にお手伝いに来ている田辺さんと、掃除や洗濯、ご飯の準備など家事の手伝いをして過ごした。優仁がいよいよ私の家に行くという日は、朝から気が立ってしまい、そわそわして落ち着かなかった。優理たちは既に学校へ出発した後で、朝の陽気が心地いい日だった。一応、母に事前に連絡をしてアポイントメントを取っているというが、義父が一緒かどうかまでは分からないらしい。一緒に行くと言う児童相談所の方は、これまでも「こもれび」に何度か来てくれた人で木原さんと言った。度々「こもれび」に来ては、私の境遇と母や義父のこと、「こもれび」に来た経緯や虐待のこと、そして私は今どうしたいのかなど事細かに聴いてきた。恐らく様々な手続きに必要なのだろうと思い、私もなるべく真摯に回答したつもりだった。木原さんは、身長が高く、がっしりとした体型をしており、何かスポーツをやってた様な体つきだったので少し安心した。義父は、決して体つきは小さくはないが、木原さんほど大きくはない。もし取っ組み合いになっても、彼なら優仁を助けてくれるかもしれない。
優仁が帰ってくるまで、私は落ち着きがなく、じっとしていられなかった。外の景色を見たり、うろうろしている姿を見かねて田辺さんが、「大丈夫だよ。いつもやってる仕事なんだから。これでも飲んで落ち着きな。」と紅茶を入れてくれた。アールグレイの独特な華やかな甘い薫りが鼻をなでる。私はダイニングのテーブルに座り、田辺さんの勧める通り、多めのミルクと砂糖を少し入れた。一口啜るとほんのりとした甘さの奥に柑橘系の風味が隠れていて、そこにミルクのコクも合わさる。そして、ゆっくり嚥下すると、静かにホッと息をついた。
「どう落ち着いた?」
「はい……。ありがとうございます。いい香りがして美味しいですね 。」
「でしょ?」
それから2時間後くらいに二人は「こもれび」に帰ってきた。何事もなかった様子で、結果的に私の心配事は杞憂で終わった。
「大丈夫でしたか!?父は何か言ってましたか?暴力とかは?」
「あはは、大丈夫。特に何もなかったよ。向こうもね、小華さんに暴力を振るってる手前、あんまり強気に出られないんだろうね。色々明るみになったら、あちらの立場も危ないから。」
「そうでしたか……。よかったです……。」
「一応、これまでの経緯をご両親にお話して、いま小華さんを緊急的に保護していることと、会いたくない帰りたくないという強い意志があるので、僕と木原さんだけで訪問した事をお伝えしたよ。ご両親は、そうですかっていう風だったね。お母様は、少し心配してるっぽかったけど……。」
「あの二人にとって私は疎ましい存在ですので、いない方が気楽なんだと思います。あとは二人で楽しくやって、二度と私に関わらないでいてくれれば、私はそれ以上を求めませんから……。」
私が矢継ぎ早に捲し立てる様に言うと、優仁が微苦笑を浮かべながら肩をぽんと軽く叩き、大きめの紙袋を渡してきた。中には、高校の制服一式と、教科書や文房具が入っていた。優仁が上手く回収してきてくれたらしい。
「ありがとうございます……。持って来られたんですね。」
「うん、帰り際にちょっとお母様にお願いしてね。これだけで大丈夫だったかな?」
「はい、大丈夫です。教科書も全部そろってると思います。」
「それならよかった。もし足りない物があったら言ってね。「こもれび」の予算で準備できるから。」
田辺さんが人数分のお茶を淹れてくれると、皆でダイニングのテーブルを囲い一息ついた。すると、ふと木原さんがこれからの話をしてくれた。
「小華さん、一応これからの予定と言うか、計画を伝えておきますね。まず現在の状態としては、虐待の疑いがあることから緊急性が高いと判断し、「こもれび」で保護をしていることになっています。親権は未だあちらにあるけれど、医師の診断もあるし、今後は児童相談所や家庭裁判所と連携して、虐待の裏付けを法的に明確にし親権を剥奪、未成年後見人として優仁さんを擁立することを考えています。もしこの計画で、小華さんがこうして欲しいとか、嫌だったりすることはありますか?」
「未成年後見人?ですか?」
「はい。未成年後見人は、よく聴く里親とはちょっと違うんですが、未成年者に代わり契約などの法的な手続きをしたり、養育や財産の管理などする人で、家庭裁判所が選任を判断します。実質的な親代わりの様な感じですかね。」
「城田さんが親になってくれるんですか?」
「親代わり、に近いですが、そう言うことになります。何か不満が……?」
「いえ、不満とかではなくて、これ以上ないくらいなんですが……。これから私の保護者?みたいな人になるってことですよね?そう考えると少し意外で……。」
「僕じゃ頼りないかな?」
優仁が微苦笑を浮かべ、小首をかしげながら言う。
「いえ、全くそんな事はないです。全然。でも、私の親って考えた事が無かったものですから、気持ちの整理が……。」
「あはは、それはそうだよね……。まだ会って少ししか経ってないし。今すぐにって訳じゃないから、まだまだ手続きに時間はかかるし、その間に関係性を深めて行けたら良いな。」
「はい。私もよろしくお願いします。」
横で見ていた木原さんは、笑顔で深く頷いた。
「城田さんは、「こもれび」に住んでる子供たちの未成年後見人でもあります。これだけの人数はかなり特殊ケースですが、家庭裁判所での判断も、これまで特に否認になった事はありませんでしたし、城田さんのこれまでの信頼と人望から児童相談所としても安心して任せていますよ。それに「こもれび」の雰囲気も、子供達の成長に非常にプラスに働いていますから。」
確かに「こもれび」の子供達は、とても自立していて大人びた印象を持っていた。年齢相応の部分もあるが、小学5年生の琴音は特にしっかりしていて、「こもれび」にいるチビっ子達のまとめ役で良いお姉さん的存在だったし、琴音と同学年の和人も下の子の面倒を良く見ているのが印象的だった。また、木原さんが言うには、施設の長の様な位置づけにいる優仁が一般的に未成年後見人になる場合は利益相反(施設の運営などの権利と子供達の後見人としての権利が相反してしまう)の理由から少ない様なのだが、あくまで施設自体の運営・管理は児童相談所などの自治体が、施設の中での親の様な役割は優仁が担っており、また最も優先される子供達の希望や思い、福祉などの観点から、珍しいケースではあるが運営がなされているのだと言う。これもきっと、優仁の人格や人望から成せるものなのだろうと強く感じた。
「私は……。私は、あの家を出られただけで、それだけで今は望むものは無いくらいなんです。それなのに、こんな恵まれた環境まで用意してくれて……。もし「こもれび」で、皆とこの後もずっと生きていくことができるなら、私はそうしたいです。」
私は、思ったままの事をそのまま言葉にすると、3人とも目を合わせてにっこりと笑った。木原さんは、こくりと頷くと
「よしっ、それでは計画通りに進めて行きますね。小華さんは、学校も始まるでしょうから、日頃に生活にまずは慣れる様に。無理は禁物ですから、何かあれば私でも城田さんでも、誰でも気軽に相談してください。」と気にかけてくれた。
私は簡単にお礼を言うと、一安心したからか、お腹が鳴ってしまい急に空腹を覚える。時間は既にお昼をまわり13時になる頃だった。優仁と木原さんも、何も食べずに帰ってきたと言うので、田辺さんが「いま、ちゃちゃっと作っちゃうね」と立ち上がる。私も調理を手伝おうと思い、田辺さんと一緒にキッチンの前に立った。ふと顔を上げると正面の窓からは、「こもれび」の裏庭を挟み、住宅街の喧騒が覗いている。優仁が私の後見人になる。そして、これからも「こもれび」で仲間たちと一緒に生きていく。そう考えただけで、私の心は満たされて行き、今日の天気に様に見事な青空が広がって行った。
Δ1(2025/1/25):「里親」から「未成年後見人」へ文言を変更し、一部加筆、修正いたしました。