九話 心
「…………分かりました。 華鈴様をギルド長の元までのご案内させていただきます。 しかし、少々お時間を頂かせていただいてもよろしいでしょうか?」
蘭さんは驚きの表情をすぐさま消して、さっきと同じような笑みを浮かべた後、申し訳なさそうに、少し頭を下げてきました。
「大丈夫です。 私はいつまでも待っていますので」
高めで優しい蘭さんの声と言葉に対して、私は蘭さんのことをじっと見つめて、音自体は高いですが、蘭さんの声とは対の様に真逆な冷たく、捨てる様な声で応えました。
蘭さんは少しの間、頭を下げた後、頭を起こして私の横を通り過ぎて、扉を開けて部屋から出て行きました。
出て行く蘭さんを一目見て、私はすぐに目線を自分の身体へと向けました。
包帯でぐるぐる巻きにされ、白い布に覆われている私の身体は動かすことすら、難しいくらいでした。
未だズキズキと私の身体に痛みを与えてくる横腹は、気を抜いてしまえば、血が出ているのでは無いかと思わせるほどの痛みを私に与えてきます。
横腹の傷を包帯が巻かれた右手で痛みを抑えつける様に覆って、ゆっくりと足を動かしてベットへと腰を下ろしました。
ベットに座ってもズキズキと痛みは主張してくる傷は、あの時の記憶を忘れるなとばかりに、今もずっと痛みを与えてきます。
消えてほしいのに消えない痛み。無くなってほしいのに無くならない記憶。そして、今も色濃く残るあの時の感触が痛みとともに私の頭の中に浮かび上がってきます。
蘭さんが出ていき、一人なった瞬間に忘れるなとばかりに思い出さされる消えないモノが、私の中をぐるぐると渦を描くように回り続け、出ていくことも、消えることもなく、永遠ともいえるように残り続けています。
しかし、私はもう戻らないと決めたのです。すべてを捨ててでも、私は生きると、そう心に刻み込んだのですから、後戻りもする気はありませんし、考えも変えません。
何よりも、変えたところで私の手はもう元には戻りません。
今私が確実に生き残れる方法は、このままこのギルドに置いてもらうこと。
ここでこのギルドと別れた場合、この世界の知識も何もない私は、何も出来ずに自分の死を待つしかないでしょう。
この街も見ただけなら、外面を見ただけなら、綺麗で平和に見えるかもしれません。
しかし、その裏側は、見ただけでは一生見えることのない深淵が広がっているのです。
武器を持った屈強な身体をした人がそこら中に存在するのに、それを確実な安全とは言えません。
襲われても太刀打ちすることはできませんし、いつ襲われるのかも分かりません。
そんな何も分からないこの街の中は、外と変わらないある意味外よりも質の悪い、不気味な恐怖が広がっているのですから。
だから、このギルドに身を置かして貰えれば、他と比べて私の生き残る方法は高いはずです。
例え冒険に出されても、経験と力を持った人達に囲まれていれば、生き残れるはずです。
だから、今は全力で個々のギルドに置いて貰うように頼むしかありません。
ここが、私の中での一つの正念場です。
私の耳に小さくはありますが、足音が聞こえてきました。その音を聞いた瞬間、俯いていた顔を上へと上げていき、扉に目を向けます。
熱く無いのに私の身体には汗が浮かび上がり、頬には汗が一滴、顔をつたって、木の床へと落ちました。
「華鈴様、お待たせ致しました。 お部屋にお入りしてもよろしいでしょうか?」
「………はい、いいですよ」
蘭さんに聞こえないように小さく、深く、ゆっくりと息を吸って、吐いた後、口を開いて、声を発しました。
「ありがとうございます。 それでは」
「よっしゃー! お、嬢ちゃんが話に聞く華鈴ちゃんか」
「ちょっ! ギルド長!」
蘭さんがゆっくりと扉を開いて、顔を少し出した瞬間、扉が勢いよく開かれて、後ろから白いひげを生やしたしかし、身体は見ただけで分かるがっちりとした体形の大きく元気な男の人が、蘭さんを置いて入ってきました。
その後ろから、蘭さんともう一人、少し長めの黒髪の男の人がいました。
私は蘭さんの横にいる男の人を見た瞬間に、目を見開き、身体全体に力が張り、ガッチリと固まりました。
その男の人は、私が襲い掛かり、殺す気で攻撃した人だったかです。
「…………ん?」
「っ!…」
その人と目が合った瞬間、私は目を逸らして、蘭さん達から逃げるように顔を下へと俯けました。
今まで考えていたことが、消えていくように真っ白になり、思考し、動かしていた頭は止まり、動かなくなりました。
「………嬢ちゃんのことはこの蓮から聞いている。 斧を投げて剣を振ってきたってな」
「っ、……そ、れは」
髭の生やした男性の声に私の身体はビクッと跳ねて、顔をさらに下へと俯かせて、下へと下げていきます。
目を瞑って、忘れていた罪悪感と後悔が私の身体の中へと戻ってきます。
この人達を利用する気でいたのに、決めたはずの心が揺らぎ始め、両手を握り潰すように手を握ります。
「嬢ちゃんお前、面白れぇな」
「ごめんなさ、……え、?」
「まさか蓮に突然襲い掛かって、斧を本気で投げて、それを囮に剣を振るなんてな。 そんな面白い話あるかってな!」
ガハハッとお腹を抱えて、豪快に笑う目の前の男性を私は、見つめます。
その姿に呆気にとられ、さらに動かなくなった私は目を何度も瞬かせることしかできませんでした。
「はぁ、悪いなえっと……華鈴さんだったか? あの時のことは気にしていないから、安心してくれ」
「え……し、かし」
「気にしなくていい。 あの時君は満身創痍だったはずだ。 あの森で、一人で、ゴブリン達に襲われながら、よく生き残った」
蓮さんは、私にゆっくりと近づいてきて、不器用目にゆっくりと頭を撫でてきました。
撫でるというよりかは、置くような感じではありますが、その手は優しく、温かくて、恐怖と不安に包み込まれ、ずっと一生消えることのない記憶に囲まれていた私の心を恐怖から解放するように、蓮さんはゆっくりと手を動かして、撫で続けました。
蓮さんの手の温かさは、私の中に溜まって、流れ出ることのなかった苦しみ、悲しみ、孤独、絶望、罪悪感、後悔、すべてが水のように流れていき、消えていくように感じました。
私は、頭に置かれている蓮さんの大きな手を掴んで、離れないように握り締めます。
「…………よく頑張った。 よく生きてくれたもう我慢しなくてもいい」
「っ……、ぅあ、っ……くっ、!」
顔は俯いたまま、私は誰にも見せないように、今まで溜めていたモノが、破壊されるように。
私はこの世界で、ようやく心から安心して、涙を目から、流し落としました。
何を信じればいいのか、まだ私には分かりませんが、私はようやく、心から安心して、目を瞑りました。