六話 ゴブリンとの死闘(2)
死にたくない。
今の私の中にあったのはそれだけでした。
生きたい、死にたくない、その想いで私は逃げ惑う大きなゴブリンに向かって右手に持った斧を思いっきり投げました。
投げた斧はゴブリンの背中に当たり、ゴブリンは衝撃で体勢を崩し、地面へと倒れました。
「!…………逃がさない、殺さなきゃ、死ぬんです」
少し足を速く動かして、地面に倒れたゴブリンに向かいます。
命乞いをするかのように身体を震えさせ、死を否定したいかのように、叫び、手足を暴れさせているその姿に、私は軽蔑の目で見つめます。
「自分だって、命を奪って生きてる癖に、」
私は怒りを感じて、私の腕から流れる血で少し赤く染まった剣を握り締めて、ゴブリンを睨み付けます。
本当はやりたくなかったのに人を見殺しにして、殺したくもないのに殺して、食べたくもないものを食べて、味わいたくも無い恐怖に怯えて、そうやって私は死に物狂いで生きて、ここまで来たのです。
「それなのに、あなたは、お前は、っ……お前はっ、! 軽々と人を殺して、命を弄んでおきながら、自分が死にそうになれば逃げるなんで、ふざけたことを、言わないでくださいっ、」
もう私の頭の中にはこのゴブリンを殺すことしか頭にないです。
こいつが、こいつが全部悪いんですから。
生きる資格すらもうこいつにはないのです。
そして、ゴブリンのすぐ近くまで近寄ると、左手に持った剣を躊躇うことも、加減をすることもせず、思いっきりゴブリンの首に剣を突き刺しました。
喉から出ていた叫び声が途絶え、暴れていた四肢が固まり、地面に落ち、落ちた四肢がもう動くことは確実にないでしょう。
しかし、生命力が高いのか未だ手は少しぴくぴくと痙攣するように動き、そのまま腕を掴んできます。
「、、、触らないで、っ」
刺した剣を横に振り、振り切り、ゴブリンの首を斬り、もう一度首目掛けて剣を突き刺します。
今度こそこいつの息の根を止めるために過剰ともいえるであろう一撃を食らわせて、今度はさっきとは逆に剣を振り、首を斬り飛ばします。
斬り飛ばした瞬間、ゴブリンの首から血が溢れ、その勢いは止まることなく噴き出し続け、身体を真っ赤に染め上げ、もはや身体からは制服の色と素肌の色は消えて、赤いペンキが掛かったかのように真っ赤になっています。
生暖かった血が、宿主から離れた瞬間徐々に外気により熱が奪われていきます。
それと共に、血が身体を冷やしていき、怒りで包まれていた頭の中から怒りを卯熱気と共に奪い去っていきます。
その代わりとして頭の中に罪悪感と後悔がぐるぐると渦を巻き、身体へと広がり、私の目に涙を浮かべさせてきます。
しかし、殺したことで私はまた生き永らえらことが出来ます。
後悔や罪悪感はありますし、殺すことが平気な訳がありません。
それでも、私はまだ生きたい、死にたくないんです。
血塗れになり、剣の柄がほぼ見えなくなり、剣の刃にはゴブリンの肉片が少しついています。
震える左手に今もなお、今まで殺したゴブリン達の感触が残っています。
もしかしたら、私もゴブリン達と何も変わらない存在なのかもしれません。
私は頭を振って、後悔を無理矢理振り落とすようにして、ゴブリンに向けていた目線を上に上げて真っ直ぐ向けました。
その瞬間、目に映ったのは何人いるのかは分かりませんが、人の姿です。
よく辺りを見渡すと薄暗い森の中ではなく、太陽の光が直に当たる草原のような場所でした。
ゴブリンを追っている間にいつの間にかこんな場所まで出て来ていたようです。
予想外のことではありますが、これは嬉しい誤算です。
そして、少し前に黒い男性と目が合います。
男性にしては少し長めの黒い髪の男性が私のことをじっと見ていました。
こんなに沢山の人がいるのにまるで誰もいないかのような静けさの中。
「……君は、どうしてこんなところに?」
その静けさを一番最初に壊したのは黒い男性です。
ようやく会えた人の姿に私はようやく安堵の息を吐いて、その男性に声を出しながら、近寄ろうとしました。
しかし、男の姿を見て、固まり、身体に力が入りました。
なぜならその男性の左腰には刀があり、男性の右手は刀の柄を持っていたからです。
その瞬間、心はまた恐怖に飲み込まれました。
男性の身体は自分よりも大きく、ずっと睨み付けて来ているからです。
どうして、こんな簡単なことを忘れていたのでしょうか。
例え、人と会ったとしても、その会った人全ての人間が助けてくれるとは限らないからです。
更にこの世界は元の居た世界とは違う異世界です。
常識なんかどこにも存在しません。
命が軽いのが今自分がいる世界です。
そう思った瞬間、私は左手に持った剣を握りしめます。
「殺さないと、私が死ぬ…………死にたくない、死にたくない」
私はゴブリンの背中に突き刺さった斧を右手でゴブリンの背中の肉を無理矢理引きちぎりながら抜きます。
そのまま恐怖に包まれた中、躊躇いもなく斧を投げつけます。
投げた瞬間、右腕に一瞬痛みが走り、顔を歪ませますが、そんな痛みを無視して、ズキズキと痛む両手で剣を持ち、男性に向かって走り出します。
男性は刀を抜いて、斧を下から右斜め上に弾き飛ばします。
私は、剣を引き摺りながら近づいて男性目掛けて腕を大きく後ろに振りかぶって、遠心力を使いながら、男性の左側の身体目掛けて、振りました。
刀は完全に右にあります。
だから、今このまま振り切れば確実にこの人の身体を傷つけることは出来るはずです。
殺せなくとも、この人を傷つけてその隙をつけば逃げることが出来るはずです。
「ごめんなさい、私は死にたくないんです」
小さく呟いて、血なのか、涙なのか分からないものを目から流しながら、その男性の身体目掛けて、振りました。
しかし、腕に感じて来たのは肉を斬ったような感触ではなく金属をぶつけられたような染み渡るような激痛が、耳には肉を斬るような鈍い音は無く、金属を叩いて甲高い音が耳には聞こえて来ました。
私は目を見開いて、思考が止まりました。
何故なら、右にあったはずの男性の刀は左にあり、右手は左に動いていて、斧を見ていたはずの目は、私をジロリと見つめていました。
有り得ないとそう思えることしか出来ません。
右に完全に振ったのにどうして左に刀がもうあるのか理解が出来ません。
次の瞬間、男の姿が消えました。
「悪いな、少し手荒に行くぞ」
「ぇ、? が……ッは、!?」
突然私のお腹に衝撃が走り、肺からは空気が無理矢理出され、息ができなくなります。
私はその場に剣を落として、地面にお腹を抑えながら倒れ込みます。
疲労と血の流し過ぎたせいか、私の意識は徐々に失われていき、視界は黒く染まっていきます。
失い行く意識の中、私は死にたくない、生きたいと心で思い続けながら、最後の最後まで落ちた剣に手を伸ばし続けました。
結局剣に手は届くことは無く、地面へと完全に身体は倒れ、指を動かす力すら湧いてきません。
死にたくない、意識が消える最後まで残ったのはたった一つのこの言葉しか残りませんでした。
そして、身体に何かが当たったと感じた瞬間、視界は深淵へと包み込まれました。