三十二話 疑心暗鬼。
「華鈴様、下ろしますが、お身体はいかがでしょうか?」
「…………大丈夫、です」
蘭さんに自室のベッドに下ろされて、私はそれに従って、ベッドに身体を完全に落として力を身体から抜きます。
逆に、何かやろうと思う気持ちが何も湧いてくることは無く、例え思っても身体は動いてくれないと思います。
私には、重すぎる話だなと感じて、目を隠すように腕を動かして、目を塞ぎます。
何も考えたくない、何も見たくない、そう感じさせるほど、今の私には辛く、重い話でした。
「それでは華鈴様、今日は色々合って疲れたと思われますので、早めにお眠りください。もう空も暗くなっていますから」
窓に近づいていく蘭さんの背中を見た後に、彼女の身体の奥から見える窓の外はかなり暗くなっていて、月の明かりが入って来ているのが、目に見えます。
その窓に付いているカーテンを蘭さんは引っ張って、窓をカーテンで閉じていきます。
完全に閉じて、窓の形すら見えなくなり、見えるのはカーテンの布だけです。
窓の外から、差し込んでいた月の光はカーテンの布に遮られ、完全に遮断され、まるで、この部屋が外の世界から完全に隔離されたような、そんな感じです。
「はい、ありがとうございます」
一言お礼を言うと、蘭さんは小さな笑みを浮かべて、いつの間に取り出したのか、水を私の近くの机の上にコップと一緒に置いて、扉へと向かっていきました。
正直どこから出したんですかと聞きたいところではありますけど、そういう状況が何回もあるともう慣れてしまったというか、異世界ですしねという勝手な解釈が出てしまうせいでまぁいっか、となる自分がいます。
そんな考えになってしまうあたり、私もこの異世界に慣れてしまったところがあるというこなんだと、思います。
「はい、それではおやすみなさい」
「おやすみなさい、蘭さん」
蘭さんはそのまま扉に向かって行き、扉をゆっくりと開けて出ていきました。
一人になった瞬間、完全無音の静寂が部屋全体へと広がり、全て失ったかのように、何もかも無くなったような感じがしました。
蘭さんが居てくれたおかげで、気持ち的に楽だったのですが、一人になった今、全ての考えが私の頭の中でぐるぐると回り、頭が痛くなってきます。
ですが、結局色々考えたところで今の私の身体では何も出来ないのが現状です。
左目は義眼のおかげで治ったとはいえ、身体中は包帯で覆われ、身体を動かすことも手一杯な状態であり、戦闘はおろか、まともに歩くことすら苦労するほどです。
それに、この世界のことです。
どれだけ私が拒否しようが、逃げようが、逃げれないですし、拒否権なんてもう私にはありませんから。
白翼の、その一員となった私は、依頼の失敗はほとんど許されない。
正直、憂鬱な気持ちではありますが、代わりに衣食住は確保出来たことは大きいです。
しかも、まだ私が冒険者としては経験の浅い完全な見習いの人というのを白翼の皆さんは分かってくれていますし、あの人達が無理難題を言ってくる気は今のところ無いと感じます。
これからどうなるかは分かりませんが、ただ一つ分かるのは一旦の安全は保証されたということです。
それだけが今私の心を落ち着かせてくれるただ一つの救いです。
考えるのに疲れてきて、目を閉じて眠りに着こうとした時、扉を叩くコンコンッという音が聞こえてきました。
首だけを動かして、叩かれた音がした扉へと目を向けます。
夜が深いわけではありませんが、もう夜になったこの時間に誰が来たのか、正直想像がつきません。
ただ、蘭さんではないことはすぐに分かりました。
聞こえた音が蘭さんよりも弱かったからです。
蘭さんは部屋のどこに居ても、何かに集中していたりしても聞こえるようなこちらに気付かせてくれる少し大きめの音で叩いて知らせてくれますが、今回聞こえてきた音は。
何かを躊躇っているかのようなこちらを気にしているような感じの音でした。
「…………はい」
何も言わないのはよくないと感じ、声を出して私が存在していることを伝えます。
ただし、手は剣に伸ばしたまま。
「あ、華鈴ちゃん起きてる?」
扉越しに聞こえてきたのは空さんの声でした。
知り合いの声が聞こえて、一息安心した後、剣を掴んでいた手の力を抜いて、剣を床に置いて、ベッドから立ち上がります。
「はい、起きていますよ空さん」
「よかった。寝てたらどうしようかと」
彼女の名前を呼んであげると安心したように扉を開けて、部屋の中に入ってきました。
ゆっくりと開けられた扉から、覗き込むように私を見てくる空さん。
ただ、空さんに一つ言いたいのが、変にゆっくりと開けられたせいで逆に扉の軋む音が大きくて、普通に扉開けた時よりもうるさくなっている感じがします。
まぁ、空さんなりの優しさだと思うのでそんな文句みたいなことは何も言いませんが。
「色々合って、少し寝付けなくて」
「そうなんだ。まぁでも華鈴ちゃん沢山寝てたというか気絶に近いんだろうけど、寝ていたから寝付けないのかもね。えっと、今お話しいいかな?」
「はい、まだ寝れないので、大丈夫ですよ。立っているのもなんですし、ベッドに座ってください」
疲れてはいますが、実際眠れる気はまだしないのと、一人という孤独に少し寂しさがあったので、正直嬉しい限りではあります。
「ありがと、それじゃあお話は三つあって。まずは、白翼の入隊おめでとう。これからはお互い違う冒険者の立場になるけど、ずっと友達ってのを伝えたいの」
「は、はい。それは私も嬉しい限りなのですが、さっきも聞きたかったのですが、空さん達は白翼へは入らなかったんですか? 私が入隊出来たなら、空さん達も入隊出来たと思ったのですが」
「うん、それが二つ目の話なんだ。理由はこれ」
「あ…………」
空さんが二つ目の話として、見せてきた彼女の欠損した右腕。
包帯で巻かれていて、あの時のような酷い状態ではないとはいえ、本来そこに存在するはずの手が、彼女の右腕には付いていません。
「華鈴ちゃんの言うとおり、確かに華鈴ちゃんが眠りについているときに、ギルド長の慶さんから合格を貰って、お誘いがあったんだけど、断ったんだ。私がこの右手なのと、あの時の人を殺したのが、私の中で深く心の中で残っちゃってて。聞いた話なんだけど、白翼はトップギルドだから、盗賊殲滅や他国の戦争にも呼ばれることがあって、人を殺すことなんかザラにあるって聞いたんだ」
「…………はい」
空さんが人を殺すことになってしまったのは、私のせいです。
私があの時に、空さんの代わりに剣を振っていたら、少しでも抵抗出来ていたら、空さんが腕を失うことも、人を殺すこともなかったのかもしれないのに。
「それに、私が今生きてるのは華鈴ちゃんのおかげだから」
「え…………そ、そんなことはッ! 私なんか!」
「ううん、私オークに襲われたとき、正直もう死ぬんだなって諦めてたんだ。ここで私は終わりなんだって思った。でも、華鈴ちゃんは違った。ただ一人、絶望的な状況なのに、諦めないでオークに向かって行った。私なんかを無視して、逃げればよかったのに。それなのに、華鈴ちゃんは逃げずに戦った」
「空さん…………」
「だから、今私がここに居るのは、華鈴ちゃんが戦ってくれたおかげなんだよ。そのせいで華鈴ちゃんは左眼を失って、今はこんなに大けがして、ごめんね華鈴ちゃん」
「そ、空さんが謝ることは」
「ううん、私のせいなの。だから、ごめんね」
違う、悪いのは空さんのせいではないのに、私だって、空さんに背負う必要のない罪を背負わせてしまったのだから。
でも、空さんにそれを言っても、彼女は恐らく、それを望まないし、受け取ってくれないと思います。
私は、空さんの言葉に対して、何も言うことが出来ず、ただ黙って彼女の言葉を聞いていることしか出来ませんでした。
「さて、暗い話はおしまい! 最後のお話をするね」
「…………はい」
正直、そんな簡単に心を切り替えるのは難しいのですが、本人がそう言うならそうするしかないというか、なんというか、難しいところなんですが、彼女が言うならそうするしかないでしょう。
「さっきも言ったけど、冒険者はこれから先も続けるから、華鈴ちゃんとはまた一緒に冒険出来たらいいなと思ってるんだけど、それで一つお願いがあって」
「お願い、ですか?」
「うん! 華鈴ちゃんがいいなら、今度また一緒に出掛けない? それと込みで一緒に依頼の一つでも出来たらいいなと思ってるんだけど、どうかな? 傷が治った後とかでもいつでもいいんだけど」
なんというか、こういう空さんの切り替えの良さは学ぶべきなのでしょうか。
いえ、空さんが悪いという訳ではもちろんないのですが。
いつでもいいということですし、断る理由も特にありません。
それに、出来ることのなら、私も空さんとは仲良くしたいです。
「はい、いいですよ。出掛けるのであればこの身体でも出来ると思うので、それなら明日とかにでも」
「え…………うーん。嬉しいけど、流石に華鈴ちゃんの傷が治るまでは待つよ。それに、白翼の方を優先してほしいかな。私と出かけてくれようとするその心は凄く嬉しいんだけど、今はもう私と華鈴ちゃんは達が違うから」
あ、と言われて気付きました。
空さんは白翼の人ではない、そして私は白翼へと入隊した人、立場が違うのは誰が考えても分かることです。
悪く言えば、トップギルドの一人とただの野良の冒険者。
どれほど違うか、そんなことは私でもよく分かります。
「はい、そうですね。この身体が治って、時間が取れたら、お願いします」
「うん! もちろん! あ、辛くなったりしたら、いつでも来ていいからね! 私はいつでも華鈴ちゃんのこと待ってるよ!」
空さんも怪我をして、ここの傷もまだ治りきっていないはずなのに、元気だなと感じます。
これがから元気なのか、それとももう治って気にしていないのか。
ですが、さっきの話を聞く限り、前者の方が強そうだと感じますが、これも空さんなりの私を思っての優しさなのかと思い、嬉しく思います。
「ねぇねぇ華鈴ちゃん」
「? はいどうしました?」
「一緒に寝ない? 華鈴ちゃんと一緒に寝てみたいんだ~」
…………この人は自由極まりないというかなんというか。
私が嬉しく思っていたこの感動を少し返して欲しいと思いました。
それに私も子供ではないんですけど、どうして私は空さんと。
「え、えっと」
「だ、だめかな。私、ちょっと一人で寝るのが寂しくて」
そんな子犬のように、しゅんとした顔をされると断りづらいですし、何よりも断った私が悪いみたいな感じるんですが。
…………まぁ、私も一人は寂しいと感じていたので、良いとしましょう。
「いいですよ。ただ、私はもう寝てしまいますから」
「うん、いいよ~。それじゃあお邪魔しまーす!」
「わっぷ、!」
突撃するかのように、私に勢いよく突っ込んできた空さんを身体で受けますが、まぁ耐えれるわけもなく、私はそのまま空さんと一緒にベッドへと寝転がります。
なんか、前もこんな感じで空さんに押し倒されたような気がしますが、これも慣れてしまいました。
ほんとに変なことばかり慣れてしまいます。
「うーん、華鈴ちゃんやっぱり温かいね~。抱き枕に欲しいくらい」
「…………それ、どういう感想ですか?」
「うーん、褒めてる!」
「初めて聞きましたそんな誉め言葉」
「えへ。じゃあ、おやすみ」
「…………はい、おやすみなさい」
少しの会話の後、寝息がすぐに聞こえてきました。
空さんも相当疲れていたんだと感じ、彼女に掛け布団を掛けようと身体を動かそうとしましたが、動けない。
ガッチリと空さんによって抱きしめられ、固められてしまい、まともに動くことすら出来ない状況になりました。
いや、という訳ではないのですが、幾分不便ではありますし、何よりも、少し暑いです。
でも、そんな私の少しの不便さも知らずか、真隣で小さな寝息を立てて、穏やかに眠る空さん。
起こそうとは思いましたが、こんな顔で寝られてしまっては起こすに起こせないです。
少々納得いかないところはあるにはありますが、もう今更です。
一度彼女から話した目をもう一度彼女に向けて、彼女の顔を見た後、失った右手を見ます。
もし、右手を失っていたのが、彼女ではなく、私だったら。
空さんは私と同じように、戦ってくれたのでしょうか。
空さんはあの時、諦めていた、そう言いました。
「……………………もしも、私があの時、空さんと同じようにあの大岩に右手を潰されて、動けない状態だったら、空さんは、あなたは私を助けてくれましたか? 空さん」
もう完全に眠りにつき、起きる気配のない空さんに向かって、この距離でも聞こえないであろう声で、独り言のように彼女に問いかけます。
無論、彼女にこの声は聞こえていないので、返答はありません。
考えてはいけないのは、分かっているのに、考えてはいけないことが、渦を巻いて頭の中で何度も何度も木霊していきます。
深い夜は、どんどんと私を置いていき、結局私は一睡も出来ることは無く、夜が明けていきました。




