三話 飢餓の狂気
「最悪な目覚め、ですね」
目を覚めた瞬間、口は勝手に開いてそう言っていました。
死体に囲まれ、異臭の中に居ればそれは当たり前のことなのですが。
ずっと居るのは流石に抵抗が生まれてきたので、私はゴブリンの死体の山を無理矢理壊し、死体の一つ一つを退かしながら、外へと出ました。
「っ…………眩しい」
外に出ると目を開くことすらも厳しいほどの日の光が私を照らし続けていました。
しかし、そんな太陽を無視するかの様に目線を動かしやす。
その目線を私のすぐ傍に積まれている死体の山へと移します。五匹と一人で出来た私よりも一回りほど大きな死体の山。
この全ての死体は、全員私が殺したのです。
─────五匹は、私が生きる為に、命を奪いました。
─────一人は、私が生きる為に、見殺しにして殺したんです。
この死体の全ては私の所為で死に、無残な肉塊へと化したのです。
私があの時、後ろから隙を突いていれば、行動をしていれば、あの人は助けれたのでしょうか。
私が少しでも動いていれば、変わったのでしょうか。
無駄で終わったかもしれません。ですが、何かは変わったのでしょう。
結局は、この死体全ては私が殺したのですから、同じです。
しかし、私には仕方の無いこと。そうとしか考えられない様になっていました。
改めて喉の渇きを感じ、私は辺りを見回します。
辺りを見回し、動かし続けていた目はピタリと一点で止まりました。
私から少し離れた位置に存在している昨日の雷雨で出来たであろう水の溜まりがありました。
少し深く出来た小さな湖に私の足は誘われる様に動き、ろくに動かない足はほぼ引き摺る様に動かされ、私の身体はその湖の前で止まりました。
「水……これ、飲めるんでしょうか」
しかし、そんな考えも渇きには敵わず、すぐに消え去りました。
私は身体を倒れる様に倒し、頭を一気に湖の中に突っ込みました。
そして、溺れる様に水を口の中に入れていきます。
止まることを知らずに入る水は私の口の中を埋め尽くし、次には首を、次には胃を埋め尽くし、最後には身体の全てを埋め尽くしました。
「ッ……はぁ…はぁ…はぁッ、」
息が苦しくなり、窒息するほどになり、ようやく私は湖から顔を上げ、大きく息を吸い込みます。
水で埋め尽くされていた身体に次は空気が入り、水と空気が入り混じり、私の中を満たしていきます。
渇きは満たされ、ようやく感じる生に私の心は少し落ち着きを取り戻しました。
しかし、それと共に新たな欲、空腹が私に訴えかけます。
ですが、周りに食べられるものなど存在しているはずも無く、私は自らの腹を無理矢理右手で抑え込み、空腹を抑え込みます。
その時でした。私の視線の中に微かに入ってきた塊が、私の目を奪い、身体を動かされました。
そこに存在するのは肉塊の数々、全て私が殺した五匹と一人の肉塊でした。
虚な目で私はそれを見て、本当は思い付いてはいけないであろう考えに至り、身体をゆっくりと死体の山へと動かしました。
「どれにしましょうか。せっかくなら…………私が一番最初に殺した奴にしましょうか」
私は死体の山の中から一匹の死体を山を崩し、落としながら無理矢理引っ張り出しました。
そして、私はその死体を地面に置き、そのすぐ近くに落ちていた斧を両手に持って握ります。
私は、両手に持った斧をゴブリンの死体の右腕に向かって、上に掲げて思いっきり振り下ろしました。
振り下ろした斧は軽々と死体の右腕の肉を断ち、骨を折り、右腕を身体から切り離しました。
切った瞬間から、赤く私にも流れている血が解放され、私の顔と身体に付き、私を赤く染めました。
簡単に切り落とせた事に少し驚きながら、同じように次は左腕を横に伸ばして、狙いを定めて同じように斧を振り下ろしました。
同じように軽々と切り落とす事ができました。
顔に付いた血を腕で拭い、切り落とした腕を左手で持って、斧を置き、腕を切り離した身体は死体の山の近くに置きます。
そして、私は左手に持っている切り落としたゴブリンの腕を見つめます。
「このまま食べるのは………危険ですよね、でも」
このまま食べるのは危険も承知です。しかし私には炎を焚く力も知識も何もありません。
せめて出来ることと言えば、雨水で溜まった水で洗うくらいです。
しかし、もう私の体力はありませんし、空腹は抑えられない程強くなってきています。
そして、私の意志は欲に負け、身体は思考を施す前に動き出しました。
私は、持っていた腕を雨水の溜まりに入れて血と汚れを洗い流すように少し水の中に入れた後すぐに出しました。
「……………いただきます」
まだ水に濡れて、血もろくに落ちていないゴブリンの腕に私は口を開けて噛み付きました。
柔らかいような硬いような感触が私の口に広がり、拒絶感が私の身体を埋め尽くします。
しかし、それよりも空腹が勝り、私は口に力を入れ、肉を断ち切り、その肉を口の中で噛みちぎり、小さく噛み潰し、喉の奥底に飲み込みました。
「………ほんと、最悪です」
口に広がる気持ちの悪い感触が私の精神と体力をさらにすり減らしていきます。
しかし、それだけでは収まらない空腹は私に訴えかけてきます。
私は再度口を開き、腕に噛み付き、肉を嚙み千切って口の中で嚙み潰していきます。
吐きそうになる気持ちをすべて無理矢理抑えつけて、私は止まることなく肉に嚙みつきました。
これが、異世界に来て、私が初めて食べた食事でした。
しかし、私の身体は簡単にその肉に順応しました。
収まることを知らない食欲は腕だけでは止まらず、その後も、足、身体、頭、内蔵とゴブリン一匹を全て食べました…………ほぼ骨と化すまで。
「…………ご馳走様でした。これから、どうしましょうか」
空腹が満たされ、喉は潤い体力も少し回復しました。
ここに居ても無意味でしょう。それに死体もいつまでも持ちません。
その瞬間、身体は思考を置き去りにして動き出しました。
落として置いといた斧を右手に持ち、死体の山の中から持てる分の死体を左手に持ち、私が飲んだ水溜りに向かって歩き出します。
斧と死体を水溜りのすぐそばに置き、また私は水の中に顔を入れ、窒息する程まで水を吸い込み、身体の中を水で満たしました。
そして、最後にこの場から決別するように私は持ってきた死体を全て水の中に入れました。
もうここには戻ってこないと言うように。
死体も洗い、斧も持ちました。後はここから離れるだけです。
私は最後に、一人の肉塊を見つめました。
私が殺した初めての人間、自分の意思で殺した初めての人間でした。
「ごめんなさい……そして、ありがとうございます」
謝罪と感謝を述べて私は身体と顔を後ろに振り向かせて前を向きました。
そして私はもう二度と後ろを振り向くことは無く、一人の死体をそのままにして私は歩き出しました。
後悔、罪悪感、不安、そして昨日の夜の、あの光景。
私の中で渦巻く消そうと思っても消せない、拭おうと思っても拭えない記憶と感情と感触がずっと心と身体に刻み込まれています。
そんな私を嘲笑うかのように雨上がりの太陽は熱を発しながら輝いていました。
うざったいと思いながら、更に下を向き、視線はほぼ地面と少し先の森に向けて、私は足を動かし、歩き始めました。
「………今日は、生きている人間に会えるといいですね」
他人事のように呟いて私は森の中に足を向かわせました。
永遠ともとれる森の中へと。