十五話 執着(2)
外から、圧倒的と言っていい差が存在する戦闘を見ながら、青年は退屈と言わんばかりに深く、長い溜め息を吐いて、その目を戦闘を起こすことになった原因の少女へと向け、また深い溜め息を吐く。
あの白翼の人間が認め、一人でキングゴブリンを倒したという少女に多少なりとも持っていた興味は青年の中からもう消え失せ、未だ戦い続けている哀れな少女をじっと見続ける。
勝利というのはもう見えずに、敗北は決まっているようなモノだというのに、それでも盾に身を隠して、反撃すら取れていないのに未だに敗北を認めない少女の姿に青年はまた溜め息が出て、もはやそれは勇敢ではなく、哀れだと思った。
「タイチョーいつまで見てるんすかぁ?疲れたから速く帰りたいんすけどー」
青年の後ろから、覗き込むようにして、気怠そうな声を上げ、欠伸をしながら、青年よりも少し低い身長の頭にバンダナを付けた少年が訴えかけるように声を出した。
少年はつまらなさそうに手に小型のナイフを持って振り回し、その切っ先を中央の少女へと向ける。
「あんな決闘見てて意味なんかあるんすか?見るなら一人で見ててくれッス。おらはもう帰るので」
「こら、瀬良。あなたはもう少し言葉遣いというものを」
少年の行動を鎮めるように白いローブを着た少女が声を掛けて、少年の手を両手で掴む。
しかし、少年、瀬良と呼ばれた少年はうわッというような引いた顔色を浮かべながら、顔をしかめて少女を見て口を開く。
「うわぁババァがそんなことをしても気持ち悪いだけだぞ」
「あ?誰がババァだぁ?ごら」
「イエ、ナンデモゴザイマセン」
「こんなところで暴れないでくれ。こんなところにいる価値はもう無い帰るぞ」
青年は身体を後ろへと回して、出口の扉に目を向けて、少年と少女の横を抜けて、ゆっくりと歩き出し、それに続く様に少年と少女も歩いて、青年の背中を追う。しかし、ただ一人、弓を持った黒髪の女性だけはその場から動かず、中央の少女へと目をずっと向けていた。
「ん?歩良どうした行くぞ」
「…………少し、待ってくれないかしら」
その言葉に青年は眉間にしわを寄せ、少年は目を見開き、少女は首を横へと傾ける。
女性は額に汗を浮かばせ、目はずっと中央の少女へと向けられており、その表情には無表情であるはずなのに、どこか緊張しているような強張っているような感じだった。
「何をそんなに見ているんだ?あの少女は……?」
女性は右手を前へと伸ばして、少女へと指を向けて、指し示す。
女性はその間も少女から目を離さずにずっと見続けており、女性から感じる異様性から、青年はさらに、困惑へと包まれる。
「雰囲気が、変わった」
女性から返ってきた言葉はただ一言、それだけだった。
青年は訳も分からず、見る気もなかったはずの少女へと目を向け、その目に映った少女の姿に続けようとした言葉は止まり、目は見開かれ、後ろに向けていた身体は前へと自然と向くように動き、黒髪の女性の横まで歩き、止まった。その間、青年の目は少女へと向けられたまま動くことは無かった。
青年の目はただのひと時すらも、少女から動くことは無かった。
なぜなら、先程まで盾の後ろに隠れ、震えていたはずの少女はおらず、居たのは剣を左手に持ち、斧を右手に持ち、堂々とした姿で立ち、まるで別人のようになった少女がそこにいたからである。
表情は背中を向けられているため分からないが、感じる気配は異様であり、先程まで怯えていたような恐怖という感情は感じず、確かな敵意と殺意を青年はその身体に感じた。
「…………なんすか、あれ。まるで人が変わったように別人みたいッスけど、なんか魔法すか?」
「いえ、魔法を使ったような気配はしませんでした。いくら蘭さんといえど、魔力の気配までは抑えれませんから」
「なら、あれはなんなんすか?」
少女から感じる異常性に、少年と少女も感じ取り、青年の後ろから声を出し、少し後ろから少年は顔に一つの汗を浮かべて苦笑い、少女は警戒するように少女へと目を向けていた。
なぜ、突然少女がここまで変化したのか青年だけでなく、その場にいる黒狼のモノでは誰も分かることはなく、青年は右隣の白翼の三人へと向けられるが、ずっと無表情でいる三人からは何も読み解くことは出来なかった。
そして、青年が目を離したその一瞬の間に、戦闘は大きく動いていた。
青年が目を少女へと戻した瞬間、少女は右手に持っていた斧を、男性に向けて投げていた。
当然斧のスピードは非力な少女では大したスピードは出ていなかったが、油断していた男性はその斧を大きく右に動かし、身体を大袈裟に右へと動かしてその斧を避けた。
その瞬間に、少女は動き出し、走り出していた。
走り出した少女は上半身を低くして、剣を右手に持ち替えて、左側へ持っていき、力を溜めるように後ろに引いて、地面へ切っ先を引き摺りながら走り、男性が剣が届く範囲まで走った瞬間、少女は左に構えた剣を左から、右上に向け、男性の首目掛けて力任せに振ったのだ。
その振られた剣には躊躇いの色は見えず、後ろから見ても少女が男性を殺す勢いでいるというのが伝わるほどであった。
「っ、舐めるなぁ!!」
しかし、やはり冒険者としての差はでかく、少女の剣を男性は首を逸らして、バランスを崩しながらも避け、最後の少女の攻撃を男性は全て避けた。
これにより、少女の手札はもう消え、見ていた青年だけでなく、驚いていた観客をも男性の勝利を確信した。
その、はずだった…………見ていた人々は一部の三人を除き、更に目を見開き、驚くこととなった。
避けたはずの男性が苦痛の顔色を浮かべながら後ろに倒れ、背中を地面へと付けたのである。
青年が少し近づいて、見ると男性の右足から、血が勢いよく出ていたのだ。それは止まることは無く、勢いよく噴き出し続け、傷口をさらに広げていた。
男性から少女へと目を向けると、少女の左手には投げたモノと同じ形をした斧を持っており、その斧には男性のモノと思われる血が付いていたのだ。
本当に少女は、先程震えていた少女なのか?と青年は少女のことを凝視して、見続けた。
今まで行った攻撃は全てが囮、本当は隠し持っていた斧だということに気づいたものは何人いただろうか…………否、恐らく誰もいないと青年は額に汗を浮かばせ、苦笑いを浮かべて、得体も知れない恐怖にその身体を少し震えさせた。
そして、少女の右手に持たれた剣が男性の首元に突き付けられた瞬間、男性が敗北し、少女が勝利をしたと、見ていた人々は何が起きたのか分からないまま認めざるを得なくなったのだ。
それに続いて、決闘の終わりの声が響いた。
「華鈴様、お見事です」
「うおー!すっげぇ!!やったな華鈴!」
パチパチと拍手をしながら、勝利を喜んでいる二人は未だ剣を男に突き付けている華鈴へと近寄っていく二人を見ながら、俺はただ一人、華鈴の勝利を喜ぶことは出来なかった。
その原因は、彼女の生への強い執着性にある。
先程まで、盾に隠れて震えることしか出来なかったあの少女が、あの男に殺されると身体と心が分かった瞬間、別人のように人が変わった。
俺と鍛錬した時の彼女は本当に何も動けないただの少女だった、はずだ。
そんな少女が、右手に持った斧を思いっきり投げ、あの男との体格差を逆に利用し、身体を低くして走り、相手に自分のことを見辛くし、右に避けたのを見て、右から剣を振り、そして、避けられるのも見越して、腰に携えていた斧を見えないように、左手に持ち、バランスを崩している男の足目掛けて躊躇いもせずに斧で斬りつけた。
たった一言、自分が死ぬ、たったその一つの言葉だけで、人を殺す躊躇いを失った。
彼女の生への強い執着は、あまりにも常軌を逸していて、危険だと、俺の身体が震えながら、訴えかけてくる。
恐らく、今彼女は蘭と遥と話していて剣を下ろしているが、これが本当の戦闘なら、彼女は迷いなくあの男を殺していたはずだ。
それに、俺と初めて会った時も同じように斧を投げて、剣を振ってきた。
俺が避けなければ当然俺は死なずとも、致命傷を受けていたはずだ。
モンスターだけでなく、人相手も少しでも危険を感じれば襲ってしまう彼女の発作とも言っていい生への強く、異常な執着。
俺は、己の中の警戒を怠らず、中央へと歩き出し、華鈴の傍へと近寄った。
「あ、蓮さん」
近づいた俺に気づき、無表情ではあるが、安心したように息を吐いている小さな少女の姿からは、もう先程のような剣を振り、生に異常な執着を見せていた少女は消えていた。
だが、俺は素直に彼女へ賞賛の言葉は送れず、少女の言葉に対して、首を縦に動かして、ただ一言、よくやったと無感情に言うことしか出来なかった。
この純粋な少女を、本当に冒険者に、白翼に入れるべきなのか、俺の中でぐるぐると渦を作り、悩み、迷いが生じる。
なぜなら、冒険者は聞くだけならモンスターを倒し、人の依頼をこなし、人を助け、救うと取れる、が。
何度も死に目に遭い、普通の生活が出来ない程の傷を負い、時には…………人を殺さなければいけないのだ。
そんな、一度やったら戻れない世界に、こんなまだ未来あり、平和な世界へとまだ戻れる少女を、彼女が望むからと言って、誘い込むべきなのか?っと。
俺は左手で頭を覆い、話している少女を見て、俺はすぐさま頭を左右にゆっくりと振る。
そうだ、俺はギルド長に言われて、彼女に教えているだけだ。俺と彼女は無関係、彼女がどうなろうと俺にとっては知ったことがないのだから。
俺は俺に与えられた命を果たせばいい、ただそれだけだ。
そう心に決めた瞬間、巨大な怒声が辺りに響き渡った。
「ふざけるなァア!!!俺が、俺がそんなガキに負けるなんて有り得ねぇ!!」
「…………何を言っているのです。あなたは負けました華鈴様に。誰がどう見ても分かるこの状況に、あなたは認めないというのですか?」
「お前らが……!お前らが何かしたんだろ!?魔法を使ってそいつの」
「それはない」
興奮して、子供のように叫び声をあげ、暴れ散らかす男の声を遮るように、一つの声が放たれた。
声の聞こえた方へと目を向けると、先程華鈴のランクに付いて声を上げていた『黒狼』の四人がいた。
その中で一番前にいた青年が少し前へと出て、男の言葉を否定し、言葉を続ける。
「魔法を使っていたら、我々がそれに気づく。例え白翼の人間であろうと、魔力の気配を完全に抑えきることは不可能です」
「なっ……!だ、だが!」
「これ以上何か申し上げるのであれば、この決闘の規則に違反したと見させていただき、それ相応の処置をとらせて頂きますが、どうなさいますか?」
「っ……ちっ」
横から入ってきたルリさんの言葉にようやく男は黙り、舌打ちをしながら、怒りを隠すことなく露にして、斧を右手に持ってゆっくりと立ち上がる。
「それでは、華鈴様をDランクとして、冒険者登録いたします。そして、サイアスさんをEランク冒険者へ降格をこの場で言い渡します」
「なんだとッ!?なぜ俺が降格されなければいけないんだ!?」
しかし、続いたルリさんの言葉に男の怒りはまた爆発し、有り得ないというようにルリさんのことを睨み付けるように見つめ、大声を上げた。
ルリさんはそんな男に溜め息を吐きながら、めんどくさそうに言葉をさらに続けていく。
「これまでの数々の問題行為、他の冒険者への暴行、素材や報酬の強奪、依頼の期限を過ぎる、そして今回華鈴さんへの態度、そして、彼女の侮辱、降格出来る理由は十分に揃っています。これでもまだ文句があるなら、協会長にお問い合わせください」
「くッ、ぐ……ぅっ!」
男の目は華鈴へと向けられ、その表情と男の激しく、荒い呼吸の仕方から、今にも華鈴に襲い掛かりそうな勢いだった。
あまりにも男の形相に華鈴の身体は震えて、少し後ろへとずり足で下がりながら、背中からも感じることが出来る程、逃げたいという意思を感じた。
「さ、華鈴様。無事冒険者登録も出来たので、行きますよ」
「おう!ほら、気にすんなってあんなの」
「は……はい、!」
華鈴を百八十度回転させて、蘭はそのまま華鈴の両肩を手で持って、優しく押しながら、横から優しく声を掛ける遥と共に扉へと向かっていった。
俺はそれに続いて歩き出すが、華鈴が扉に消えていく最後まで、男の目は華鈴に向けられていた。
その目は、憎しみ、恨みの含まれた目だった。
「…………ころす、、ぜったいに、いつか……かなら、ず……ッ!」
男の呟きは誰にも聞こえることは無かったが、血走った目が、最後まで少女へと向けられ、少女が消えた後も、男の誰にも聞こえない言葉が、木霊のようにずっと呟かれ続けた。




