■3-3.「すごいじゃん。助けた人にまた会うなんて運命じゃないの?」
「すごいじゃん。助けた人にまた会うなんて運命じゃないの?」
夕食後、二人分の食器を流し台に持って行った俺に、リビングに座る飛鳥が言う。
「運命って。ただ世間は狭いなあって話じゃないか」
返事をしながら、飛鳥の前にココアの入れたカップを置く。俺の分は安物のインスタントコーヒーである。立花さんから贈られたクッキーは既に飛鳥が小皿に移してくれた。円に四角に星型など、様々にかたどられたマーブルクッキーであり、バターの甘い匂いが漂う。飛鳥は「どれもキレイに焼けてるね」と感心したように指先でクッキーをつつく。
「ほら、食べていいぞ」
俺も飛鳥の向かいに座る。
「え、いいの? お兄ちゃんにって渡したモノなんでしょ」
「一人で食うわけないだろ。というかそれ、助けられたお礼ってことだから。お前にも感謝してるってその人言っていたし」
「なんだ。そういうことなら遠慮なく」
飛鳥は早速一枚を口に放り込む。毒味をするようによく噛んで、うん、と首を縦に振った。
「どうだ、美味いか?」
「おいしいよ。焼き加減もちょうどいいし、甘すぎないのがいいね」
「そりゃいいな。どんどん食べてくれ」
「なんでお兄ちゃんが誇らしげなのさ。その袋だけど、クッキー以外にも何か入ってたよ」
「え、何かって?」
「そこまでは見てないよ。勝手に見たら悪いでしょ」
飛鳥はひょいと二枚目を口に運ぶ。テーブルの隅に置いた桜色の袋を逆さにすれば、クッキーの破片の他に、トランプ程度の大きさをした紙が出てきた。
「何だこりゃ。手紙?」
「たぶん間違ってないだろうけど、そこはメッセージカードって言いなよ。というかテーブル汚さないでよ」
「あとで拭くよ」
「何て書いてあるの。ひょっとしてラブレター?」
「まさか」
市販らしい凝った装飾のカードを見れば。
『時貞くんへ。あのときは私たちを庇ってくれてありがとう。とても感謝しています。妹さん(?)にもよろしくね。よかったら私と友達になってください。立花さくら』
と女の子らしい文字が綴られている。
――なんだこれは?
無意識のうちに溜め息が漏れた。
ゆっくりとカードをテーブルに置く。
対面の飛鳥が怪訝な顔をする。
「どうしたの? 何か、悪いことでも書いてあったの?」
「それこそまさかだよ。立花さんはそんなことしないよ」
「でも、そんな顔してるじゃん」
「……そうか?」
「うん。もしかして機嫌悪い?」
「かもしれない」
何て書いてあったの、と聞く飛鳥に向けて、雑貨屋で買ったであろう女子力の高いカードを滑らせる。カードはクッキーの盛られた小皿とカップの間をすり抜け、勢いあまって落ちかけたところを飛鳥にキャッチされてしまう。
「扱い雑だってば。というか、なに? 私が見てもいいんだ」
「もちろん。その人、お前にも感謝してるってさ」
「それさっきも聞いたから」
飛鳥はしげしげと検分するように手紙を眺める。
「ふうん。友達、ねえ。好印象じゃん。それにしても、結構気合い入ってるよね、これ」
「気合い? 呪いでも込められてんの?」
「そういうコトじゃないから。すごいかわいいものを用意したなあってこと」
「あ、そういう意味ね。媚びてるとか飾ってる感じの」
「……またお兄ちゃんはそんな言い方をして」
そこで飛鳥はカップに口をつける。
俺もつられるように、コーヒーに手を伸ばす。
「その人――立花さんだっけ。ぶっちゃけ、どんな感じ?」
気を取り直すように飛鳥は前傾して聞く姿勢をつくる。浮かべる笑みが憎たらしく、皿の中に一枚だけ隠れるように入っていたハート型の欠片をつまみ上げ、妹の前に突き出してやる。
「ほら、口開けろ。食べさせてやる」
「地味に恥ずかしいことするね。しかもハートだし」
「それはアレだ。俺の気持ちだ」
「真顔で言われると照れるんだけど。というか他人の贈り物で何言ってんの」
飛鳥は抗議の眼差しを送っていたが、俺が退かないと分かるや、渋りながらも食べてくれた。
「やば。口の中がパッサパサ」
「まあ、粉だから水分持っていかれるよなあ」
カップを再び傾けた飛鳥は、それでその人とはどんな関係なの、と聞いた。
「まだ聞くのかよ」
「ごまかしてもダメだからね。ズバリ、どう?」
「どうって、何がだよ。質問が抽象的すぎるだろ」
「色々あるじゃん。かわいいとか、美人さんだとか。あと中身とか」
何が気になったのか、飛鳥は立花さんについてあれこれと問いを重ねる。外見に始まり、性格や雰囲気、再会した時の反応、脈があるかなど。時には正直に答え、時には餌づけではぐらかし、着実に皿の中身を減らしていく。ようやく、クッキーは最後の一枚となった。何の変哲もない、むしろ歪な円形の欠片であった。
「ちょっと待って。今更だけど私しか食べてない。お兄ちゃん全然食べてないじゃん」
「あれ、そうだっけ」
「いや、そこはとぼけなくていいから。せめて一枚だけでも、どうぞ」
飛鳥は小皿を俺へと寄せるが、俺には最初から食べるつもりなどなかった。
「どうしたの? 食べなよ」
「俺は、いいや。手紙も貰ったし、嬉しくて舞い上がって、それだけでいっぱいだよ」
「嘘でしょ。その割には沈んでんじゃん」
「……そうかな?」
「そうだよ」
飛鳥は「相変わらず嘘つくの下手だね」と困ったように言う。
「どうして食べないの? 正直に言ってよ。それとも言えないこと?」
「いや、そういう訳じゃない」
「じゃあ、どうして?」
自分のことだ。
手が伸びない理由は、分かり過ぎるくらい、分かっている。
この贈り物について、立花さんは感謝の品だと言っていたが――同時に、これは彼女との友情の証ともなる。これを食べてしまえば、俺は彼女を友達として認めざるを得なくなる。それが嫌で、代わりに消費してくれる飛鳥を言い訳に使っていたのだ。
俺のような奴に温かな対応をしてくれた立花さんを信じることが怖かった。
孤独を貫いてやると決意した過去の自分に対する不義理ともなるだろう。
「お兄ちゃん。その立花さんのこと、嫌いなの?」
「そんなことはない。会って間もないけど、いい人だとは思う」
「それなら食べてあげないと。考えてみなよ。手作りのクッキーだよ? それにカードだってちゃんと選んで買ったものっぽいし、今時そんな人いないって。相手の気持ちはきちんと受け取ってあげないと――立花さんがかわいそうだよ」
「そうだよな。蔑ろにしていい理由なんてないよな」
「そうだよ。だから、はい」
飛鳥は、取り残された一枚をそっとつまみ、俺の口先に差し出した。
「いや、はいって」
「さっきのお返し。私が食べさせてあげる」
沈黙する俺に「他人が怖いのは分かるよ。分かるけど、お願い」と飛鳥は言った。ゆっくりと口を開き、飛鳥の指に触れないように唇で欠片を挟む。あとは自分の手で口内に押し込む。慎重に咀嚼して、諸々の感情とともに嚥下する。バターと小麦の風味がする、ありふれた手作りの味である。
「どう? おいしいでしょ」
「ああ。これは、うまいな」
嘘偽りない本心である。俺の返答に、飛鳥は満足そうに頷き返す。
食べてしまったのだから、今度会った時にでも、立花さんにお礼を言わなくてはならない。
――私と、友達になってくれませんか――。
今更になって、嬉しいと思える余裕がでてきた。
「俺でよければ、喜んで」
言葉が口から転げ出た。
「え、なに?」
「……いや、何でもない」
ごまかすためにすっかり温くなったコーヒーを呷る。
バターの良い香りは押し流されたが、口の中は甘ったるいままであった。