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■3-2.「ごめんね、時貞くん」

「ごめんね、時貞くん」

「え? どうして立花さんが謝るんだ」

「だって、今日急に呼び出しちゃったから」

「いやいや、そんなことないよ。むしろ謝るのは遅れた俺の方だから」

「でも、時間いっぱい見学したかったでしょ」

「今日はもともと早く上がるつもりだったよ」


 自分でも思った以上に熱中してしまい、約束なんて完全に忘れていたのは事実だが。


「……怒ってない?」


 おずおずと立花さんが尋ねる。そこで、ようやく俺と彼女の視線が交差する。


「怒ってないけど、もしかして怒っているように見える?」

「うん、ちょっとだけ」

「まじか。そりゃ、本当に悪かった」


 当然、立花さんに怒りを感じてなどいない。己のポンコツ具合に心底うんざりしていただけなのだが――俺の景気の悪い仏頂面は小動物のような彼女を萎縮させてしまったようである。


「別に、立花さんがどうとかじゃなくて、ちょっと部活でね」


 停滞しかけた空気を払拭するように大袈裟に肩を竦め、今度は自然に笑ってみせる。そこに、少しばかりの哀れみを込めることも忘れない。


「部活って、何があったの?」

「ほら、剣道部男子って人数少ないでしょ。だから、俺も本気でやらないといけないなあって色々考えていたんだ」


 だから、さっきみたいなインテリヤクザみたいな顔になっちまった――と自虐っぽく、それでいて卑屈にならないように言えば「面白いたとえだね」と立花さんも笑ってくれた。


「言い出したのは俺だし、笑ってくれたのは嬉しいんだけどさ。ちょっとは否定してよ。俺そういうのじゃないから」

「分かってるって。きみがいいひとなのは知ってるよ」

「お、さすが立花さん。蘇我馬子(そがのうまこ)さんとは言うことが違うね」

「え、そがさん?」


 小首を傾げた立花さん。ややあってから「ああ久我ちゃんのことか」と頷いた。


「悪い、口が滑った。というか立花さん、蘇我蝦夷(そがのえみし)さんと面識あったんだ」

「蝦夷さんって。意味は分かるけど、ちゃんと名前で呼んであげなよ」

「そうする。今度からは蘇我入鹿(そがのいるか)さんって呼ぶよ」

「華子ちゃんが聞いたら怒るよ、たぶん」


 確かに。蘇我さんの沸点は低そうだ。その癖、一度臍を曲げると周囲を巻き込んで面倒くさい怒り方をしそうである。多分、俺と彼女の相性はどこまでも合わないだろう。


「怒られたら大化の改新をするしかねえな」

「ちょっと聞いてってば。あと、今は乙巳(いつし)の変って言うみたいだよ」

「え? そうなの」

「うん。日本史でやってたし。というか、そういう話じゃないから」


 立花さんは会話の軌道修正をはかる。薄く整えられた眉毛は逆ハの字になり、唇をわずかに尖らせている。俺が勢いのまま一方的に滑り倒しただけのような気もするが、それでも多少は空気も和らいだはずだ。切り出すにはいい頃合いだろう。


「悪かったよ。それで、なんの話だっけか」


 優哉曰く、俺に言いたいことがあるとか何とか。


「ええとね。時貞くんに伝えたいことがあって」

「伝えたいこと?」


 俺の質問に、立花さんは頷いた。


「私、まだきみにちゃんとお礼言ってなかったから。改めて言うよ。あのとき、私と弟を助けてくれてありがとう。本当に助かりました」


 そう言うなり、立花さんは足元に置いた学生鞄からラッピングされた小さな袋を取り出す。

 そして「これはそのときのお礼です」と両手で差し出した。赤色のリボンで結ばれ、桜の花弁をあしらった包みは、いかにも女の子らしい上品なものである。


「ごめん。いつの話しだっけか。誰かと勘違いしてないかな」


 頼りない記憶を辿ってみるが、立花さんの言葉に心当たりはない。彼女のプレゼントを貰うべき人間が他にいるかもしれないなら、そうやすやすと手を伸ばすことはできない。一目で真心の込められたものと分かるのだからなおさらである。


「きみが覚えていないって言ってたの、照れ隠しとかじゃなくて本当だったんだ」

「悪いけど本当に分からない」


 自分が積み重ねた悪行は嫌でも忘れられないが、偶然の産物であろう善行に覚える価値などない。少なくとも、他人に売った恩を指折り数えて悦に浸れる程、呑気な頭をしていないのだ。


「私からのお礼なんていらないってわけじゃないよね?」


 立花さんは寂しそうに問う。


「違うよ。ただ、本来貰えるはずだった奴が、俺のせいで貰えなかったとしたら嫌だろ」

「人違いかもしれないってこと?」

「ああ」

「でも、それはないと思う。だって私、ぜったいきみの顔を見間違えないと思う。きみだってそう思うでしょ」


 俺の右頬――刃物の傷跡を見て、立花さんは言った。

 そして丁寧過ぎるほど丁寧な口調で説明を始めた。

 一昨日、弟を連れて通りの小さなゲームセンターに寄ったこと。前から欲しかったクレーンゲーム機の景品を弟に取ってもらったこと。そのあと怖い人に絡まれてしまったこと。そのとき、顔と首に傷のある男子が庇ってくれたこと。警察を呼んだ、と言って怖い人を追い払ってくれた少女がいたこと――。


「どうかな。ここまで言えば、さすがに分かってくれるよね」

「完全に思い出した。初めてこの町に来た時だ」

「思い出すのが遅いよ。でも、よかった。私、あのときびっくりしてお礼も言えなかったから、ちょっと後悔してたんだよね。なんて失礼なことしちゃったんだろうって」


 立花さんはばつの悪そうな顔をする。


「考え過ぎだよ。別に、感謝されたくてしたことじゃないから」


 見て見ぬ振りはできないと首を突っ込んだはいいものの、場を掻き回しただけに過ぎない。飛鳥の機転がなければ喧嘩に発展して、結局は警察沙汰になっていたことだろう。


「いいから、これ受け取ってよ」

「本当にいいの? 俺なんかにもったいなくない?」


 謙虚を装って距離を置こうとする俺に、立花さんは「いいから」と静かに間合いを詰める。


「私がありがとうって思ってるの。これはその証だよ。どうしてもいらないなら諦めるけど、受け取ってくれないのは――ずるいよ」

「ずるい?」


 これ以上引き下がればこちらが悪人である。


「それじゃあ、貰っていいかな」


 躊躇(ちゆうちよ)を振り切って差し出された包装に手を伸ばす。彼女にさとられないように周囲を見るが近辺に人の気配はない。罰ゲームや度胸試しといった性質の悪い冗談ではなさそうである。


「えへへ。やっとで受け取ってくれた」


 俺の警戒を余所に、立花さんは安堵したように笑う。


「忘れててごめん。あと、ありがとう。ところで、これは何が入ってるの?」

「クッキー焼いてみたんだ。量も少ないし、口に合わなかったらごめんねだけど――あ、もちろん味見はしたから、たぶん、きっと、大丈夫だと思うよ。作ってから聞くのもなんだけど、時貞くん甘いもの平気だった?」

「大丈夫。むしろ好きだから嬉しいよ。そうだな、大切に飾らせてもらうよ」

「いや、そこは食べてよ。妹さんにも、よろしくね」

「え、妹?」

「あれ、違った? あのとき、警察を呼んだって言ってくれた女の子、きみの妹じゃないの? もしかして彼女さんだった?」

「いや、それはない」


 即座に否定する俺に「反応速いね」と立花さんは苦笑いする。


「あいつには伝えておくけど、よく妹だって分かったね」

「え?」


 今度は立花さんが首を傾げる番だった。


「そんなの見て分かるものじゃないかなあ。確かに最初は彼女さんかなとも思ったけど、何というか、雰囲気が自然っていうのかな。一緒にいるのが当然、みたいな感じだったからね」

「なるほど。そういうものなのか」


 飛鳥も似たようなことを言っていた気がする。きっと俺には見えもしないし、いくら考えても分からないことなのだろうが。


 渡り廊下の窓から空を見れば、日が暮れ始めていた。

 間もなく太陽は沈み、空は冷たい紅色に染まるのだろう。

 少々の世間話を交わしてから帰ろうとした時「ちょっと待って」と呼び止められる。


「実は時貞くんに頼みごとがあるんだけど、聞いてくれる?」

「まあ、俺にできることなら」

「あ、別に大したことじゃないんだよ。それに、きみが嫌じゃなかったらでいいんだけど」


 どこか言いあぐねるような様子の立花さん。

 癖なのか、指先で、お下げの先端を弄っている。


「あのね」


 少々の間を置いたのち、意を決したように立花さんは口を開いて。


「私と、友達になってくれませんか」


 と言い放った。

 緊張からなのか、彼女の頬は桜色をしていた。

 それとは対照的に、全身から血の気が引いて行くのを自覚する。


 いつかも、こんなことがあった気がする。


 ――ねえ、貞くん。あなたさえ良ければ、私と友達になりましょう?

 ――時貞。俺たちは親友だ。これからも頼むぜ!


 そう言って笑うかつての仲間達に、俺は何と答えたんだったか。


「えっと、だめだったかな」


 立花さんの声で、埋没しかけた意識が蘇る。

 過去なんて振り返るな。

 俺にはもう友達なんてひとりもいない。

 今は目の前の彼女のことだ。


「駄目なわけないだろ。悪い、嬉しすぎて固まっていた。高校生活で初めての友達だからさ」

「え、嘘でしょ? 時貞くん、優しいから人気者かと思ってた」

「そうだったら良かったんだけどな」

「ちょっと意外かも」

「こんな嬉しいことは生まれて初めてだ」

「おおげさだよ。でも、喜んでくれるなら私も嬉しいな」


 立花さんは笑う。

 俺も、おそらく笑っているはずだ。


「まあ、あれだ。こんな俺でよければ、よろしくな」


 俺の白々しい発言を信じてくれたのか、彼女は「よろしくね時貞くん」とはにかんだ。

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