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■7-1.瞳を抉られるような激痛で我に返る。

 瞳を抉られるような激痛で我に返る。

 俺は地面にうずくまり、頭を抱えて震えていた。


 長い夢を見ていた気分であった。

 ここはA組の教室じゃない。海を見下ろせる公園である。


 顔を上げれば、立花さんがいた。カメラを手にしたまま狼狽(うろた)えている。その様子から察するに、彼女がシャッターを切ってからそう時間は経っていないようである。むしろ、ほんの一瞬の白昼夢だったのかもしれない。


 ――すまない、紫さん。俺は、君との約束を今の今まで忘れていた。否、忘れていたどころの話じゃない。わざわざ会いに来てくれた紫さんを俺は突き放してしまった。過去と決別することが、俺自身のためであり、紫さんのためにもなると信じていた。だが、それは間違っていたのかもしれない。俺は、紫さんを傷つけただけの大馬鹿野郎だった――。


「畜生。どうして今になって――」


 刺された右頬が痛み出す。眼窩底骨折の後遺症である目眩(めまい)が再発して、世界から平衡感覚と遠近感が喪失する。夕陽は緑色に輝いて、空は紫色に染まっていた。伸びたり縮んだりと忙しない遊具達は、俺を指さしながら野太い声で笑っている――。


 この光景は何だ。

 俺はとうとう幻覚を見るほどに狂ってしまったのか?


 ――違う。俺はもう治った。眼窩にはシリコンプレートを入れた。顔だって十二針は縫った。視力回復の訓練だって毎日している。精神病院からは退院した。俺はもう正常なのだ!


 己を奮い立たせようとするが、どうしても立ち上がれなかった。

 もう駄目だと思った。

 もう、生きるべきではないと思った。


「頼むよ。誰か、助けてくれ」


 口にすれば崩れるのは早かった。

 激しい自己嫌悪で、涙が溢れて止まらなかった。


 耳を塞いで、両目をきつく閉じる。夜まで待てば、きっと幻も闇に溶けて消えてくれるはずだ。だから、今は耐えるしかない。再びうずくまり、全身を硬直させた時――。


 背に、誰かの手が乗せられた。

 温かい手の平は、俺の背中をゆっくりと撫でつける。


「大丈夫? ねえってば」


 ああ、忘れていた。俺は、立花さんにここまで連れてこられたのだ。そして、青春らしい会話をして、カメラを向けられて、フラッシュを浴びて――。


「どこか痛いの? 救急車を呼んだ方がいい?」

「……必要ないよ。これは発作みたいなものだから。放っておけば、すぐに治る」


 目を閉じたまま答える。今、公園は笑う遊具達の集会場となっているのだ。もし、彼女までグロテスクな化け物になっていたら、今度こそ俺は発狂してしまうだろう。


「俺のことはいいから、君はもう帰れ」

「え? そんなことできるわけないでしょ」


 強い口調で彼女は言うと、俺の背を更に強くさする。


「家まで送るよ。ほら、立てる? ゆっくりでいいから、まずは顔を上げてくれないかな」


 立花さんは俺の上体を起こしにかかる。観念して目を開ければ、世界は変わらずに不気味な配色をしていたが、彼女の姿はいつも通りであった。


「立花さん。ごめん、迷惑を掛けてしまった。本当にごめん」

「迷惑だなんて思ってないよ。さあ、行こう?」


 差し伸べられた手を取り、何とか立ち上がる。


「具合が悪いなら家に帰って休んだ方が良いかなと思っていたけど――落ち着くまで、ここで待ってた方がいい?」

「いや、帰ろう。これ以上遅くなったら、悪いだろ。それに、俺はもう大丈夫だよ」

「そんな顔をして大丈夫なわけないでしょ。きみの家はどのへんにあるの? 送るよ」

「俺のことは放っておいてくれ」

「ひとりで歩けないでしょ。目の焦点だって合ってないよ」

「命に関わることじゃない。嫌なことを思い出しただけなんだ。だから家に帰るくらい」

「お願い。強がらないで」


 立花さんは俺の目を見詰めて、きっぱりと答えた。その毅然とした態度は紫さんとよく似ていて――なぜか反論できなかった。


「今日は、いっしょに帰ろ。ね?」


 立花さんは困り顔を浮かべながら、両手で俺の手を包むように握った。


 手を引かれるまま、奇怪な世界を必死に歩いていた。立花さんから、あれこれと話を振られた気もするが、ろくな返事も返せなかったように思う。全身が脂汗に濡れて、夕暮れの風がただただ冷たかったことだけは覚えている。


「立花さん。見送りはここまででいいよ」


 見覚えのあるアパートまで辿り着いた。握られた手を振り解こうとするが、彼女は手を放してくれなかった。


「今、おうちに家族はいるの?」

「いないよ。俺に家族なんて、もういないよ」

「どういうこと? もしかして一人暮らしなの?」


 立花さんは「きみには妹さんがいたと思うけど」怪訝そうに俺を見る。


「……間違えた。妹が帰ってきてると思う」

「飛鳥ちゃんだっけ。この前大会に来てた子だよね。ドアの前までついていくよ。何号室?」

「……二○一号室」


 立花さんは俺の手を引いて階段を上がっていく。インターホンを押せば、すぐに飛鳥がドアを開けてくれた。夕食の支度の最中だったのか、エプロンを着用していて、すぐそこの台所からは焼き魚の匂いがする。

 飛鳥は俺と立花さんを交互に見て――何かを察したのか、険しい表情になる。


「ちょっとどうしたの。ううん、何があったの?」

「ちょっと、色々とあってな」

「色々って――」

「お前には関係ないことだよ」


 飛鳥は本気で俺を心配しているのだろうが、その態度を信用することができなかった。


 ――口だけの謝罪なんて要らない! ごめんと思ってるなら今すぐ消えてよ――。


 あの台詞(せりふ)は今でも忘れられない。もしかしたら、今でも飛鳥は俺に消えてほしいと思っているのかもしれない。そう思われても仕方がないのは事実だが――そう考えると、今まで積み重ねた俺達の関係は滑稽であり、一周回って愉快ですらあった。


「立花さん。兄さんに何をしたんですか」

「え、何って」

「とぼけないでください。あなたが何かしたから兄さんがこんなになったんでしょ!」


 飛鳥は立花さんに食って掛かるが、間に入って制止する。


「よせ。彼女は関係ない。久々にどぎついフラッシュバックが来ただけだから」

「フラッシュバックって――そんなの、きっかけがなきゃならないでしょ。どうせその人に何かされたんでしょ? それなら庇う必要なんてない。早く入って休んでよ」

「うるせえよ。俺が勝手に苦しんでるだけだっつうの」

「でも」

「黙れって言ってんだよ!」


 気が付けば、飛鳥に射殺すような視線を向けていた。


「お前が俺の心配をするって何の冗談だよ。馬鹿も休み休み言え」

「冗談って――私たちは家族だよ。心配するのは当然だよ」

「――家族? 俺とお前が?」


 必死に訴える飛鳥を見て、笑いを抑えることができなかった。


「お前、今でも俺に死んでほしいって思ってんだろ? そんな奴に心配される筋合いなんざねえよ。俺は忘れねえぞ。お前が俺に死ねって言ったのをな!」

「あ――」


 飛鳥の目が驚愕に見開かれ――膝から崩れ落ちる。首を吊った俺を発見した時と同じ表情をして――嗚呼なるほど。フラッシュバックに呑まれた奴はこんな間抜けな顔になるんだな。きっと、さっきの俺もこんな白痴のような顔をしていたのだろう――と、どこまでも冷え切った感情でそんなことを考えていた。


「ごめんなさい。私、もっと良い子になるから、兄さんのために頑張るから――」


 飛鳥は俺の両腕に縋りつくが、その懇願を見ても、おさまりがつかなかった。むしろ、加害者が被害者を装う姑息な演技にしか見えず――余計に腹が立った。


 家族家族って何だよ馬鹿らしい。そもそも俺達は血の繋がりすらない赤の他人だ。先に死ねって言ったのはお前だろ。だったら今すぐそこの包丁を腹に刺して今度こそ死んでやろうか――。


 俺と飛鳥の関係を完全に壊してしまう決定的な言葉が喉元まで出かかっていた。だが、寸前のところで思い留まることができた。


 飛鳥に憐憫を抱いたからではない。

 背後から、きつく抱き締められたからである。

 身体に回された腕は温かく、その人道的な温度は、凄まじい速度で俺の精神を修復していく。


「時貞くん。駄目だよそんなこと言っちゃ。お願いだから落ち着いて」


 すぐ後ろで立花さんの声がする。


 俺は一体何をしていた? 

 なぜ飛鳥は泣いている?

 なぜ立花さんに抱きつかれている? 


「――飛鳥。ごめん、本当に、ごめん」

「兄さん。どこにも、行かないで――」


 飛鳥を抱き締め、背中を撫でてやる。

 しばらくそのままでいれば、飛鳥はうなだれて何も言わなくなってしまった。


「……飛鳥ちゃん、大丈夫なの?」


 遠慮がちに立花さんが聞いた。俺と彼女の距離はいつの間にか離れていた。


「たまに、こうなることがあるんだよ。俺も妹も、ちょっと普通じゃないからさ」


 まあ大丈夫だと思う、と俺が答えれば、立花さんは所在なさげにうつむいてしまう。

 玄関から、台所の照明に誘われた一匹の蛾が入ってきた。そこで、ドアを開放したままであること、立花さんを立たせていたことに思い至る。


「立花さん。さっきは帰ろうと言ったけど――うちに寄ってくれ。温かいお茶でも出すから」


 世話を掛けた女子に対して、ひとりで帰ってくれと言えるほど恩知らずではない。


「いいよ。私のことなんか気にしなくても。きみも飛鳥ちゃんも、私がいたら休めないでしょ」

「それは駄目だ。お茶なんかで恩返しにもならないだろうけど、もう少し一緒にいさせてくれ」

「でも、いいの? 飛鳥ちゃんの迷惑にならないかな」

「いいから。ほら、虫も入ってくるから上がってくれ」


 飛鳥を抱え上げて部屋に入れば、「お邪魔します」と立花さんもついてくる。

 立花さんに、食堂兼居間の椅子に座るよう伝えたのち、飛鳥を自室のベッドに寝かせる。エプロンを脱がせ、薄い毛布をかけてやれば、飛鳥は目を覚ましたようだった。


「……兄さん。ごめんなさい」

「お前は何も悪くない。俺が馬鹿だった。今日はもう眠っとけ」

「うん。ごはん、つくってあるからちゃんと食べてね」


 飛鳥に礼を述べ、すぐ茶の準備にかかる。使う水は少ないためすぐに沸いた。茶の入った湯飲みをテーブルに置けば、椅子にちょこんと座った立花さんは「どうもありがとう」と小さく頭を下げた。俺も彼女の対面に座る。


「淹れてから聞くのもなんだけど緑茶で良かったかな。インスタントコーヒーならあるけど」

「そんなに気を遣わなくても大丈夫だよ」


 立花さんは湯飲みを両手で持つと「ちょっと熱そうだね」と湯気へ視線を落とす。


「なんだか」


 少々の沈黙のあと、呟くように立花さんは言った。


「今日は、いろんなことがあったね」

「そうだな。本当に色々とありすぎたな。迷惑を掛けてごめん」

「もう、そればっかり。飛鳥ちゃんの様子はどう?」

「落ち着いてるよ。明日になれば、もとに戻ってるはずさ」

「それなら、時貞くんの方は?」

「平気だよ。もう、治まった」

「本当?」

「本当だよ」

「――あのさ」


 湯飲みを眺めたまま、どこか言いあぐねるように立花さんは口を開く。


「きみの具合が悪くなったのって、私のせい?」

「いや、そんなことは」

「正直に言ってよ。フラッシュバックって飛鳥ちゃん言ってたよね。何かがきっかけになって、嫌なことを思い出しちゃうんだよね。カメラのフラッシュが原因だったんでしょ?」

「それは確かにそうだけど、でも、それは君のせいじゃない」

「ごめんなさい。私のせいで、きみに嫌な思いをさせて」

「謝らないでくれよ。確かに忘れたい過去だけど――仕方ないだろ」


 茶をほんの少し飲めば、胃が二三度収縮する。ストレス性の胃炎である。


「忘れたいことって、きみが前にいた学校のことだよね。できたら、聞かせてくれないかな」


 控えめに立花さんが尋ねる。公園でも聞かれたことである。その時は、彼女と距離を取るために返答を拒んだ。無論、今でも好き好んで語ろうとも思わないが――もう、手遅れだろう。


 紫さんとの約束を忘れていたことに気付いてしまった。あれだけ鮮明に思い出したのだ。もう二度と忘れることはできない。それに、心的外傷後ストレス障害で動けなくなった俺に立花さんは寄り添ってくれたのだ。嫌なことだから話したくありません、では筋が通らない。

 彼女の温度を思い出せ。あれ程尽くしてくれた彼女に報いるに必要なことは、距離を置くことではなく、真摯に向き合うことではないか。少なくとも、胸を張って彼女の友人と名乗るには、それくらい誠実でなくてはならない。


 考え込んだ俺を見て、「ごめん。やっぱり話したくないことだよね」と立花さんは言葉を濁してしまう。慌てて首を横に振り「話すよ。いや、君に聞いてほしい」と答える。


「説明する前に俺からも聞きたいんだけどさ。どうして、君は聞きたいと思うんだ。もちろん、ここまでしてもらったんだから、話すことは当然だと思ってる」

「正直、興味や好奇心がないと言ったら嘘になるよ。でも、一番はきみのことが気になるからだよ」

「……気になる?」

「前の学校で、何か大変なことがあったんだなと知って、何か力になりたいと思っていたんだ。どんなに嫌なことでも、誰かに話せば、きっと気持ちは楽になると思う。ひとりで抱え込むよりずっと良いと思う。だから――聞きたいんだ」


 そう言って、立花さんは湯飲みを口に運ぶ。


「分かった。できるだけ簡潔に話すよ。まあ、端的に言えば――俺と、クラスメイトの女子が、通り魔に襲われたんだ」

「通り魔?」

「去年の秋口、放課後に教室に残って、学祭の準備をしてたんだ。その時、ナイフを持った不審者が教室に入ってきて――俺もその女子も刺された。俺は顔を切られただけでまだマシだったけど、女子の方は腹を刺されて意識不明の重体だったよ。まあ、ちょっと前に退院して復学できたみたいだけどね。俺も入院したり鬱になったりで詳しく調べてないけど、新聞にも載ったし、全国ニュースにもなったはずだ。知らない? 二○■■年九月十二日、■■県■■■市で起きた■■■■高校通り魔事件」

「――ごめん。聞いたことがあるかもしれないけど、よく分からない」


 全国紙にも載せられ、新聞社や週刊誌の記者にも執拗に追い回され、全ての人間が俺のことを知っているものだと思っていたが――どうやらそれは俺の被害妄想だったらしい。

 案外、そんなものかもしれない。どれだけ煽情的に報道されようが、人間自分に関係ないことはすぐ忘れてしまうものなのだろう。


「もしかして、この前の大会で、君に会いに来た他校の生徒って」


 何かに気付いたように立花さんは言った。


「そうだよ。二人とも剣道同好会の仲間だった奴で、女子の方が事件の被害者だ。あの時、俺がもっとしっかりしていれば彼女だって刺されずに済んだんだ。だから、今でも後悔しているんだ。今更何を言っても遅いけどさ。とにかく、そんな事件があった訳だから、俺は前にいた街にはいられなくなって転校することになったんだ。ちょうど、親父も離婚するって言ってたから、タイミング的には良かったのが救いなのかもしれない」


 またお茶を少しだけ飲み込む。

 胃酸で爛れた喉が少しだけ痛む。


「一応、俺が話せるのはこれくらいだよ。暗い話をして悪かった」

「待って。分からないことがあるの」

「うん? 説明が下手だったかな」

「きみとその女子は被害者なんでしょ。それなのに、どうしてきみが悪く言われないといけないの? おかしいよ。華子ちゃんはきみのことを――その、女の子に乱暴しようとした人殺しって言うし、きみだってそれを否定しないし――もちろん、きみがそんなことをするなんて思ってないけど――」

「誰が言い出したかなんて分からないけど、なぜか俺が紫さんを――その女子を乱暴しようとして、抵抗されたから刺したという話になってるんだ」

「え? でも犯人は」

「犯人ならすぐ逮捕されたよ。やっぱり日本の警察は優秀なのかもしれないね。でも、退院していざ学校に行けば酷かったな。俺が紫さんを強姦しようとしたとか、抵抗されたからメッタ刺しにしたとか――陰で言われ放題だったよ。そりゃまあ、言ってる側だって本気じゃなくて、揶揄や嫌がらせのつもりだってのは分かってるけど――」


 改めて考える。なぜ、俺が加害者扱いされなければならなかったのかを。

 それは多分。


「俺が、ちょうどいい標的だったんだろうな」

「……どういうこと?」

「俺は皆によく思われていなかったんだよ。何というか――調子に乗ってたんだと思う。仲良しグループでいられるのが誇らしくて、舞い上がっていたんだ」

「ごめん、ちょっとよく分からないかも」

「恨みを買っていたと言えば言い過ぎだけど――剣道同好会の二人は凄い奴らだったんだよ。紫さんは控え目に言っても美人だったし、蓮次郎の奴だってファンクラブが勝手に結成されるくらいの美男子だったんだ。そんな二人と一緒にいたのが俺のような冴えない奴だったから、他の連中は納得しなかったんだよ。しかも、クラスのアイドルだった紫さんが意識不明の重体になったんだ。噂するなと言う方が無理だよ。少なくとも、紫さんはかわいそうな被害者になれたけど――俺は加害者にしかなれなかった」

「そんなのひどいよ。間違ってる」

「まあそうだろうね。確かに間違ってるさ。何度考えても馬鹿馬鹿しい話だよ」


 俺が肯定すれば「どうしてそんなに冷静でいられるの?」と立花さんは憤慨する。


「今更何を言っても遅いからね。残念だけど、起きてしまった出来事はどうやったって変えられない。確かに、俺と紫さんはあのクソ野郎に刺された運の悪い被害者だ。できることなら復讐したい。ナイフを何十回と突き立てて殺してやりたい。俺達の受けた苦しみを何倍にもして返してやりたい。悔しくて悲しくて、何度その光景を夢に見たか――」

「お願いだから、そんな顔しないで。怖いよ」

「――ごめん。話を戻すけど――俺が被害者なのは事実だけど、学校の連中にとっては、俺が紫さんを襲った犯人にしか見えなかったのも事実なんだ。実際、現場に駆けつけてくれた蓮次郎だって、俺を見た開口一番の台詞が『紫に何をしやがった』だったからな」


 本当に友情というのは(もろ)いものである。

 いや、親友という繋がりに幻想を抱いていた俺が馬鹿だったのだ。


「蓮次郎くんというのは」

「元親友だよ。紫さんと俺とそいつの三人で、剣道同好会に所属していたんだ。あいつは紫さんのことが好きだって言ってたから、もしかしたら今頃」


 あの二人は俺のことなんて忘れて付き合っているのかもしれない。美男美女の仲睦まじいカップルの誕生だ――。そう言って、皮肉交じりに笑おうとしたが――口が動かなかった。


 嫌だな、と思った。


「時貞くん?」

「――ああ、悪い。また、思い出してしまった」

「君にとって、その紫ちゃんって人は、とても大切なんだね」


 立花さんは、何とも形容し難い苦々しい表情を浮かべる。

 そして、「私思うんだけどね」と言葉を継いだ。


「あまりこんなことは言いたくないけど――きみの悪い噂を流したのって、その親友くんじゃないのかな?」

「……どうしてそう思うんだ?」

「だって――親友くんは紫ちゃんのことが好きだったんでしょ。でも、紫ちゃんはきっときみの方が好きだったと思う。だから、君を困らせようとしたんじゃないのかな」

「蓮次郎のことはともかく――紫さんが俺のことを? いや、それは」

「じゃなかったら、わざわざきみに会いに来ないと思うよ。まして」


 あんな悲しそうな顔をするわけがないよ――と立花さんは非難の視線を寄越す。

 彼女は、黙っている俺に追い打ちをかけるように口を開いて。


「きみは、紫ちゃんのことをどう思ってるの。会いたいと思わないの?」


 と聞いた。

 立花さんは、どこまでも真剣な眼差しで俺を見詰めている。

 部屋は妙な緊張で満たされていた。

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