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□白昼夢 約束①

 俺が蓮次郎と紫さんと出会ったのは、高校に入学したばかりの四月一日だった。

 入学式を終えて教室に戻り、ホームルームでクラスメイトがひとりひとり自己紹介をしていく中でも、この二人だけは名前も顔も一致させて覚えることができた。それはきっと、彼らの容姿が優れており、堂々と喋る姿に憧憬(どうけい)を抱いたからなのかもしれない。


 ――東蓮次郎(あずまれんじろう)です。出身は■■中学で、部活動は剣道をやっていました。成績は県大会でベスト四でした。趣味は身体を鍛えることで毎日筋トレをしています。好きなプロテインの味はバニラ味です。こう見えて口下手というか内気というか、自分から話し掛けるのが苦手なので、仲良くしていただけると嬉しいです。よろしくお願いします――。


 ――初めまして、桐生紫(きりゆうゆかり)と申します。出身は県外の中学校なので、言っても分からないと思います。趣味は軽音楽と読書です。どちらかといえばひとりでいる方が好きです。あ、部活は剣道をしていました――。


 その二人が剣道経験者だったことも驚きだった。

 彼らの他に剣道部だった奴はいなかった。


 入学式から一週間が経ち、クラスメイトとも打ち解けた頃のこと。

 昼休みに担任から職員室に呼び出された。職員室に入ると、担任だけでなく蓮次郎もいた。


「時貞。君も呼び出されたのか」


 顔立ちの整った好青年は軽く手を挙げる。


「ああ。何もしてないはずなんだけどな」


 授業態度は真面目だし、課題や提出物も欠かしたことはない。首を捻る俺に「別に悪いことじゃないから心配しなくていいよ」と若い女性教諭――緒方(おがた)先生が笑う。


「この前提出してもらった部活動の入部届のことなんだけどね。二人とも剣道部って書いてくれたんだけど――残念ながらは剣道部は廃部になってるんだよ」

「廃部?」


 蓮次郎の口から、彼には似合わない間抜けな声が漏れた。


「うん。確か部員不足が理由だったはず。だから、折角出してくれたのに悪いけど、他の部活に入部してほしいんだよね。あ、でも提出は急がなくて良いよ。今月中に提出してくれれば、あとは私の方から顧問の先生に話を通しておくからね」

「いや、急にそんなこと言われても」


 流石に困る。俺には剣道以外の取り柄などないのだから。


「君達の気持ちも分かるけど――ごめんね。この学園の規則として、一年生のうちは必ず部活動に所属しなくちゃならないんだ」


 そういう訳だから二人ともよろしくね、と先生はにこりと笑った。教師であるのに俺達生徒と何も変わらない笑顔に反論を封じられ、素直に職員室を後にする他なかった。


 蓮次郎と共に、教室までの道を並んで歩く。廊下は、購買や学食に向かう生徒ばかりで少々混雑している。まだ利用したことはなかったが、どちらも充実したものらしく、流石は私立といった評判である。


 職員室を出てから、蓮次郎は腕を組んで黙ったままであった。


「どうしたんだよ」

「さっき先生に言われたことを考えてた。君はどこに入部するか決めたのか」

「まだ何も。どこか適当に見学してから決めるよ。正直、剣道部がダメなら帰宅部が良かったんだけど、なんだか無理みたいだしな」

「時貞。君は高校でも剣道を続けるべきだ。全国プレーヤーがここで辞めちゃもったいない」

「え? 俺のこと知ってたのか」

「中学時代、最後の大会でお前に負けたからな。中学剣道でお前を知らない奴はモグリだよ」

「そりゃ買い被りだよ。俺が強いんじゃなくて、俺の学校が強いってだけだから。実際、全国に行ったのだって個人じゃなくて団体だし、俺より強いやつはゴロゴロいるから」


 無論、部活動でそれなりの成績を収めたのだ。進学にあたって、複数の高校から勧誘を受けたが全て辞退した。遊びならともかく、本気で剣道を続ける熱意は失せてしまったのだ。


「俺のことはいいんだよ。蓮次郎はどこに入る?」


 蓮次郎は前を向いたまま答えない。


「おい。無視しないでくれよ」

「俺、高校でも剣道をやるよ。君と一緒にさ」

「いや、剣道部はもう存在しないんだろ。何を言ってるんだ」

「無いなら作ればいいだけさ。校則上は可能なんだよ」


 蓮次郎は制服の胸ポケットから生徒手帳を取り出し、パラパラと捲る。


「聞いてくれ。抜粋になるが――新規部活の設立には、入部希望者三名と顧問となる教諭が一人いればいい。その上で、職員会議で承認を得ることができれば、晴れて正式な部活として認められるんだ。もっとも、最初の一年は同好会止まりで、部活動への格上げには実績が必要なんだが――まあ、それは俺達でなんとかすればいい」

「へえ。随分と詳しいじゃないか」

「校則はあらかた把握しているんだ。それで、どうだ。剣道同好会に入ってくれないか」


 俺が返事をする前に、蓮次郎は右手を差し出した。まだ設立が決まってもないのに気が早い奴である。だが、その強引さには好感が持てた。握り返せば、無骨な手の平の感触がした。


「よろしくな。頑張っていこうぜ」

「ああ。もう一人と顧問の先生も、何とかして見付けよう」


 放課後、体育館の横にある挌技場へ足を運んだ。入口の看板には達筆な文字で『青峰館(せいほうかん)』と書かれ、この名前だけは立派な二階建ての建物は、一階は柔道場、二階は剣道場となっている。

 柔道場では既に柔道部が練習を始めているらしく、乱取りをする激しい音が聞こえる。

 玄関の下足箱に靴を収め、入口からすぐの階段を上る。

 剣道場へと続く鉄扉(てつぴ)を開ければ――。


 女子生徒が立っていた。

 制服姿のその女子はこちらに背を向けて、道場の大鏡へ竹刀を中段に構えていた。

 鏡に映る彼女は俺に一瞥をくれると、構えを解いて背を向ける。つまり、本物の彼女が振り向いた。 


「……誰?」


 女子生徒は怪訝そうに目を細める。


「突然ごめん。怪しい者じゃないからそんなに睨まないでほしいんだけど」

「ごめんなさい。それで、あなたは誰? 私に何か用?」


 気持ちのこもらない謝罪を口にしたのち、彼女はまたも尋ねる。


「誰って、一年A組の千葉時貞。用件は――剣道場がどんな場所か確認しに来たんだ」

「A組ってことは、あなたも特進科なのね」


 一年生はA組からG組までの学級で構成されている。A組は特別進学科、B組およびC組が進学科、D組からG組が普通科となっている。


「そうだけど――君の名前を聞いていいかな」


 彼女は俺の質問に答えず「奇遇ね」と言った。


「え?」

「私も特進科なのよ」

「ということは――もしかして先輩でした?」


 タメ口をきいてすみません、と詫びれば、違うわよ、と彼女は呆れたように言った。


「特進科が設立されたのは今年からでしょ。私、あなたと同じクラスよ。よろしくね。剣道部に入部希望だった千葉時貞くん」


 名も知らない女子は、何がそんなに気に入ったのか愉快そうに笑ってみせた。

 そこで初めて、彼女の顔立ちがモデルのように整っていることに気付く。

 少々の鋭さを感じさせる涼し気な瞳に通った鼻梁、化粧もしていないのに白い肌。愛らしい造形の顔に、肩口程度のショートカットがよく似合っていた。


 ――これが、紫さんとの出会いであり、初めて彼女の笑顔を見た瞬間であった――。


「え、何? 俺が剣道部に入ろうとしていたの、知ってたのか」

「ええ。だって私も昼休みに職員室にいたもの。そこで、あなたと東君が先生と話しているのが聞こえたのよ。残念ね、剣道部がなくて」

「そりゃ確かに残念だけど――俺のこと知ってたなら、なんでさっき聞いたのさ」

「だって思い出したのついさっきだもの。それで、どうするの。他の部活に入部するの?」

「いや、俺達は剣道をするよ」

「どういうこと? 剣道部は廃部なんでしょ」

「俺達は剣道同好会を作る」


 俺の台詞に、彼女の眼が少しだけ見開かれる。


「同好会、ね。少し興味が湧いたわ。その話、詳しく教えてくれない?」

「それは構わないけど――そうか。そういえば君も中学時代に剣道をやっていたんだっけ」

「ええ。じゃないと、こんなところで素振りなんてしないでしょ。実は、私も剣道部が廃部になって困っていたのよ」

「ならちょうど良い。俺達と一緒に同好会をやらないか」


 彼女はすぐには頷かなかった。

 俺の顔を探るように見たのち、満足そうに二度頷いて。


「桐生紫よ。よろしくね」


 と言った。



 顧問となってくれた緒方先生との遣り取りは割愛するが、控えめな若手の先生は、思いの外簡単に俺達の頼みを承諾してくれた。面子の全員が特進科で、かつ俺以外が利口そうに見えたからなのかは知らないが――とにかく驚くべきことに、わずか三日で剣道同好会設立の決裁が下りたのだった。


 同好会を結成してからは全てが順風満帆であった。

 会長は蓮次郎がやってくれたし、練習は週に三回、勉学に影響しない範疇に収められた。

 また二人とも好人物であったため、俺達はクラスでも一緒にいることが多くなった。その時間が増えるにつれ、俺達の関係がより強固になるような気がして、その感覚が誇らしかった。

 半年も経てば自他共に認める仲良しグループとなり、その頃には、俺と蓮次郎は互いを親友と認め合うようになり、紫さんはいつの間にか俺を「貞くん」と妙な渾名で呼ぶようになった。

 いつのことだったか、蓮次郎に「紫のことが好きだ」と打ち明けられ、以来二人を近付けようとしたが、俺の誘導が下手だったのか成果は得られなかった。また、軽音楽が趣味の紫さんからは、蓮次郎と共にギターとドラムを教わり、休日には三人でスタジオに繰り出すようにもなった。その程度には、俺達の仲は良かったのだ。


 あの頃は毎日が楽しかった。そしてその分、時間の経過に怯えていた。せめて記憶にだけは刻み付けていようと日記をつけるようになったのもこの頃だった。もっとも、転校が決まった日に、その日記帳は自宅の庭先で燃やしてしまったのだが――。


 三人だけの青春に浸ってるうちに、ついに俺達は学園祭の前日を迎えてしまった。

 陳腐な表現になるが――俺達は幸せであった。あの日が来るまでは。

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