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■5-2.個人戦の部が終わり、団体戦の部となった。

垂れネームの中に凶器を収めることはオススメしません。何故なら重さでずり落ちてしまうから。しかしナイフの一本で本当に人間ひとりを殺せるのだろうか。殺傷力に不足しているような気がする。少なくとも誰かを護ることは勿論、過去ないし未来を変えることは絶対にできないような気がします。大人になれば刃物以上に、容易に他人を害する方法が手にできる。でも皆しないだけ。割に合わないもの。

 個人戦の部が終わり、団体戦の部となった。戦績は、優哉がベスト八、遥斗がベスト四となった。女子の方は興味もないため分からない。


 調子の良い優哉と遥斗の活躍もあり、俺達は団体戦でも勝ち進むことができた。

 先鋒の遥斗は、機敏な足捌きと柔軟な責めを生かし、ほとんどが二本勝ちである。

 中堅の俺は、負けないことを意識した堅実な試合運びをするのが仕事であった。

 大将の優哉は、格上と当たることこそ多いが、構えを崩さず、相手の出鼻を捉える基本通りの剣道で勝ち星を積み重ねている。

 次の試合に勝てばベスト四が確定する。

 俺達は試合場から観客席へ戻る。次の試合まであまり時間に余裕はない。水分補給を済ませ、すぐ試合場に戻るつもりであった。


「行こうぜ。時貞」

「ああ」


 面と小手を右脇に抱え、竹刀を左手に持つ。

 試合場に向かおうとして。


 制服姿の二人の男女とすれ違った。

 黒を基調としたブレザーに光沢ある赤色のネクタイ、目を惹く胸元の校章。

 私立らしい意匠に凝ったものであり――どこかで見たような制服であった。


 ――待て。俺はあの制服を知っている。あの高校は、まさか――。


 学校名に思い至ると同時に、全身から力が抜けた。

 激しい動悸で立っていられなくなった。

 その場に膝を突けば、前を歩く遥斗と優哉が振り返る。


「時貞君? どうした、大丈夫かい」

「……ああ。すまん、ちょっとつまずいただけだ。手を貸してくれ」

「つまずいたって――おい、酷い汗じゃないか。本当にどうしたんだい?」

「持病の発作みたいなものだよ」

「持病?」


 遥斗の手を握り立ち上がる。膝が笑い、まともに立つこともできなかった。


「俺のことはいいから先に行っててくれ。すぐに治まるから。俺もすぐ向かうから」

「けどよ」

「いいから、頼む」


 すぐ後ろに、誰かが立つ気配がした。

 振り返りはしないが、きっと制服の二人がすぐ後ろに立っているのだろう。

 まだ何か言い募ろうとした優哉であったが、何かを察した遥斗に促され、二人は先に試合場へ向かってくれた。


 ――すまん、遥斗。空気の読める男は嫌いじゃないぜ――。


 意を決して振り返れば。


 ■■■■高校に在籍していた時の親友達。

 東蓮次郎と桐生紫が立っていた。

 互いに向き合ったまま、何も喋らずにいた。当然である。向こうはどうか知らないが、俺は何の用事もないのだ。むしろ、忘れたい過去をほじくりかえされるのだから、迷惑でしかない。


「久しぶりだね、貞くん」


 最初に口を開いたのは紫さんであった。


「……どうして、ここに? この大会、お前らは出ないだろ」

「あなたに会いに来たのよ。試合、見てたわ。変わらずに強くて――なんだか安心しちゃった」

「安心?」

「ええ。あなたが変わってなくて――距離は離れちゃったけど、貞くんは貞くんなんだって」


 紫さんは笑った――ように思う。

 心的外傷を直視することに耐えられなかった俺の大脳は、彼女の顔を黒い靄で覆ってしまったのだ。声色でしか察することができない。


「せっかく来てくれたのに悪いけど、もう試合なんだ。失礼するよ」

「待てよ」


 歩き出そうとしたところ、蓮次郎に腕を掴まれる。

 彼の姿も黒い影に蝕まれ、どんな表情をしているのか分からない。

 おまけに機能を放棄した三半規管が笑い出し、浮遊感を伴った眩暈に呑まれてしまう。


「放せよ」

「逃げんなよ。話があるんだよ」

「聞こえなかったのか。試合があんだよ」

「お願い。試合が終わった後でもいいの。あなたに話したいことがあるの」


 紫さんが目の前に回り込む。


「俺からも頼む。こんなところまで来たんだ。少しでいいから話を聞いてくれ」


「人の腕を掴んで言うことかよ。――どけッ」


 強引に蓮次郎の拘束を振り払う。


「話があるって、そんなのお前らの都合だろ。俺が話したいって頼んだか? そんなの」


 俺に押し付けんなよ。

 そう言おうとした時。


「お兄ちゃん? もう行かなきゃまずいんじゃ――」


 俺の声が聞こえたのだろう。観客席から飛鳥が顔をのぞかせる。

 蓮次郎と紫さんを見た途端、その表情が能面のようになる。


「あ、飛鳥さん。久しぶりね」

「……兄さん。どうして、この人たちがここにいるの?」


 飛鳥は紫さんを無視してこちらに寄る。


「さあな。俺にも分からない」

「ふうん」


 興味が無さそうに飛鳥。


「お久しぶりです。蓮次郎さんに紫さん。兄に何の用でしょうか。用事がないなら帰ってください」


 飛鳥が本気で怒った姿は初めて見るかもしれない。

 二人は返答に困ったように黙っている。


「聞こえませんでしたか。私も兄も、あなた方と話すことなんて何もありません。はっきり言って、私たちはあなた方の顔を見ているだけで不愉快です。お願いですから帰ってください」

「すまないが、それはできない」


 絞り出すように蓮次郎が答える。


「どうしても時貞に話したいことがあるんだ。勝手を言っているのは分かっているつもりだ」


 頼む時貞、と蓮次郎は頭を下げる。


 その姿を見て――思わず笑ってしまった。


 ああ、これはもうダメだ。俺の中で変なスイッチが入ってしまったようだ。

 こいつらは一体どれだけ俺を追い詰めれば気が済むのだろうか。


 ――いや、それは違う。


 俺が被害者面をする訳にはいかない。こいつらが俺を糾弾するのは当然の権利なのだ。そして俺には、ただそれを受け止める義務がある。これが罰なら喜んで受けようじゃないか。傷つくのは俺ひとりで十分だ。


 ――これも違う。


 俺が傷つく? 何を馬鹿な。今更泣き言を吐くほど俺は(もろ)くない。連中の話を聞いて、それでおしまいである。あとは「互いに忘れましょう」だとか「別々の人生を歩みましょう」だとか、適当な言葉で繕ってしまえばそれでいい。何にせよ不都合なんてない。何ひとつない。


「分かった分かった。愚痴でも文句でも恨み言でも何だって聞いてやる。――あ、何なら殺してくれたって構わないぜ? ナイフで胸を一突きすれば、流石の俺でも死ねるだろ。意趣返しにはちょうど良いんじゃないか。――お、こんなところに都合の良いモノがあるぜ?」


 防具の垂れネーム――所属と名前が刺繍された巾着袋――に手を突っ込み、刃渡り十センチ弱の折り畳み式ナイフを取り出す。そしてゆっくりと持ち手に収められた刃を展開し、刃をぎっちりと握り締めた上で、蓮次郎に向けて柄を突き出す。


 あの事件以降、常日頃から人をひとり刺し殺すだけに堪えうる頑強な凶器を携行するようにしている。無論、自ら進んで加害者になりたいわけでも、銃刀法違反で補導されたいわけでもない。だが、大切な誰かが襲われた時――もっとも、今の俺には飛鳥しかいないのだが――状況によっては、その誰かを護るための武力が必要になるのは確かである。少なくとも、俺は過去の経験からそう学んだ。俺があの時ナイフの一本でも持っていれば違う結末になっていたかもしれない。極論、脅威には脅威をもって対応するしかない。殺される前に殺すしかないのだ。


「ほら、早く。黙って見てないで何とか言ってくれや。――ん? あ、そうか。防具があるから胸は突けないのか。悪い悪い。それなら首だな。うん、それがいい。頸動脈をバッサリといってくれ」


 縊痕を隠すために首に巻いた肌色のテーピングを剥がし、床に放り捨てる。

 紫さんは醜い傷痕を、蓮次郎はナイフを見つめたまま動けずにいる。

 二人とも、顔面蒼白であった。


「兄さん。やめて」

「やめてって――飛鳥、そりゃないぜ。こいつらは復讐しに来たんだ。退院したばかりだってのに、こんなクソ田舎の武道館まで来てくれたんだ。それだけ俺を恨んでるってことだろ? だったらここいらで殺されてやらなきゃ、かわいそうじゃないか。俺がこいつらの青春を滅茶苦茶にブチ壊したんだ。だったら、その報いを受けなきゃならない。――という訳だ。蓮次郎。紫さんでもいいけど――早く俺を殺してくれよ。ほら、早く。なあ、頼むよ」

「やめて! もう、やめてよ――」


 飛鳥の絶叫で我に返った。

 見れば、飛鳥は目に涙を湛えていた。

 その瞳を見て、熱が急速に冷めていくのを感じた。


 何が、傷つくのは俺一人だ。

 大切な妹を傷つけてしまったじゃないか――。


「どうして私たちを虐めるんですか。私や兄のことがそんなに嫌いですか!」

「ち、違う! 俺たちはそんなつもりじゃ」


 狼狽える蓮次郎。


「同じですよ! 親友のくせに、兄さんのこと庇いもしてくれなかったじゃないですか! 兄さんが紫さんの見舞いに行ったときだって、追い返したって聞いてますけど!」


 その事実を知らなかったのだろうか。

 紫さんが蓮次郎に驚いたような目を向ける。


「紫さんもですよ。私たちが事件のことを忘れられると思っていたときに邪魔をして――」

「待って。違うの。私たちは、貞くんに謝ろうと」

「謝る? 何を謝るって言うんです? 気を遣ってくれるなら、もう二度と私たちの前に姿をみせないでください!」


 周囲がざわついてきた。

 遠巻きに野次馬が集まってくる。

 これ以上はまずい――。


「飛鳥。やめろ、もう良いんだ」

「駄目だよ。絶対に駄目。ここで言わないと、この人たちは分かってくれない。言い足りない。許せないよ!」

「飛鳥!」

「せっかく兄さんが笑ってくれたのに。元気になってくれたのに。全部忘れられると思ったのに――。帰って。帰ってよ! もう私たちを虐めないでよ!」


 目を見開いたまま、飛鳥は震える足で立っている。

 凶器を垂れの中に収め、蓮次郎と紫さんに向き直る。


「……そういう訳だ。俺も飛鳥も、お前らの顔はもう見たくない。たとえ、お前らに話したいことがあったとしてもだ。もう、忘れさせてくれ。それがお互いのためだろ」

「そんなのって酷いわ。もう、私たちは戻れないの?」


 縋るように紫さんは問うが。


「頼む。何も言わずに帰ってくれ」


 その場に座り、床に手と額を付けた、

 飛鳥を守るためなら土下座だって辞さない。俺の安い自尊心など天秤にかけるまでもない。

 通路の床は冷たく、自分の体が冷え切っていることに気が付いた。

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