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□白昼夢 学園祭まであと三日

失敗作。

お時間のあるときに、どうぞ。

 人気の絶えた廊下から夕陽に染められた空が見える。


 校庭からは野球部の掛け声と金属バットが白球を捉える快音が響く。それに負けじと、やや離れた音楽室からは吹奏楽部の演奏が聞こえる。発表会を間近に控えた熱意ある吹鳴(すいめい)である。

 金管楽器の音色に追い立てられるように廊下を歩く。リノリウムの床を反射する陽光が妙に眩しい。耳に入る青春らしい音楽も校舎らしい風景も鮮明であったが、意識だけが(もや)がかったように明瞭としない。


 どうやら夢を見ているらしい。


 冴えのない頭ではあったが、己が夢の中にいることだけは分かった。見覚えのある校内を、足が勝手に動くのを不思議とも思わない夢であった。

 一年A組の前で足が止まった。ドアを開け教室に入る。

 学園祭の準備のため、机と椅子は全て後方に追いやられていた。空けられたスペースには作りかけの展示品が広げられ、周囲には色とりどりの水性マーカーに、円形や星形に切り取られたボール紙が散らばっている。

 いずれは明確な形に至るであろう展示物の向こう、教室の窓際に女子生徒が立っていた。

 こちらに背を向けた女子――桐生紫(きりゆうゆかり)はゆっくりと振り返る。


(さだ)くん、遅かったじゃない。何かあったの?」


 そう言い、紫さんは小首を傾げてみせる。肩までの髪が(だいだい)の斜陽を受け、彼女の姿はとても()えて見えた。その光景は夢である癖に現実かと見紛うほどに綺麗で、一瞬見惚れてしまう。


「どうしたの?」

「いや、何でもないよ。ちょっと先生に呼び出されていたんだ」

「呼び出されるようなこと、したの?」

「まさか。ただの雑用だよ」

「そっか。緒方(おがた)先生、あなたのこと気に入ってるものね。お疲れ様」


 紫さんの(ねぎら)いに「どうも」と答え、教室を見回す。


 黒板の右隅には、『学園祭まであと三日』と装飾された丸文字が踊っている。よく見れば、その脇には控え目に『皆で絶対成功させようね!』とも書き加えられている。

 わずかに開けられた窓から風が吹き込み、教壇に乗せられた誰かの参考書がぱらぱらと音を立てて(めく)れる。

 教室には俺と紫さんの二人だけであった。


「紫さんだけ? みんなはいないんだ」

「他の人は帰ったか部活よ。私ひとりだけでやるのも嫌だから、あなたを待っていたのよ」

「みんな薄情だなあ。少しくらい手伝ってくれてもいいのに」

「部活がある人はこの時期大会が近いんだから無理よ。私たちで進めましょう」

「そうだね。ええと、もうひとりはどこに行ったんだ? ほら、あいつ」


 流石(さすが)、夢の中である。

 同好会の仲間であり、最も仲の良い友達の名前が出てこない。


(あずま)君のこと?」


 紫さんが補足する。

 そうだ。東蓮次郎(あずまれんじろう)


 整った顔立ちに明晰な頭脳、人望にも(あつ)いクラスの人気者。

 そして、俺が裏切ってしまった親友。

 名前すら思い出せないのに親友とは少々滑稽なのかもしれないが。


「そうそう。蓮次郎は?」

「東君なら書類の提出よ」

「書類?」


 何か出すものあったかな、と聞けば、居残りの申請書よ、と紫さんは答える。


「さっきまで、余所よそのクラスの女の子たちが来ていて、東君に一緒に行こうって、とても賑やかだったのよ」

「なるほど。それで蓮次郎は拉致(らち)されたのか」

「拉致って。他に言い方があるでしょ」

「それじゃ強制連行だ」

「同じ意味じゃないの。せめて校内デートと言ってあげたら」


 呆れたように紫さんは苦笑する。

 蓮次郎の様子は簡単に想像がついた。彼の取り巻きである女子達は、彼と紫さんを引き離そうと強引に職員室まで誘ったのだろう。きっと彼は、最初は渋ったものの、彼女達が機嫌を損ねる前に折れてやったに違いない。


「本当、東君は人気者ね」

「まあ、そうだね」


 無難な相槌を打ちながら手頃な椅子に腰掛ける。

 夕暮れの教室に(たたず)む少女。

 欠けたひとりの仲間。

 制作途上の展示品。

 郷愁的な雰囲気。


 また、この夢である。

 初めて見る光景ではない。

 半年前まで、俺が在籍していた高校である。


「なんだか私ね」


 紫さんが口を開く。彼女の影が微かに揺らぐ。


「あの子たちが(うらや)ましい」

「羨ましいって、何が?」


 紫さんは何か言いたげに俺を見つめたまま答えない。


「もしかして蓮次郎といることが?」


 だったら一緒に行けばよかったのに、と言えば、違うわよ、と紫さんは肩を落とす。


「そうじゃなくて恋愛に積極的なところ。私には、ちょっと、難しいから」


 紫さんは、はにかんでみせる。


「難しいって、紫さん好きな人いるんだ」

「何よ。そんなに意外そうにしなくたっていいじゃない。私にだって、すてきだな、と思う人くらいいるわよ。悪い?」


 俺にとってその言葉は衝撃であった。俺が紫さんを好いているからではない。彼女に好意を抱いているのは俺の親友――蓮次郎の方なのだから。


 少し前、蓮次郎から紫さんが好きだと打ち明けられ、以来色々と取り計らってはいるものの、クラスの中心人物である彼でさえも、彼女との関係を進展させられずにいるのだ。


「黙ってないで何か聞いてよ」


 難攻不落の美少女――紫さんは拗ねたように呟くと、壁面に設置されたオイルヒーターに寄り掛かる。


「聞いてほしそうな顔じゃなかったから」

「そんなことないのに。貞くん、そんなに私に興味ない?」

「そんなことないよ。ただ、ずけずけと詮索するのも失礼だと思ってさ」

「あなたまでそんなこと言うんだ。私は気にしないのに」

「俺が気にするんだよ。紳士だからね」

「紳士? なにそれ、冗談のつもり?」

「そこ笑うところじゃないから。というか、なに、気に障ること言ったかな」


 いつの間にか、紫さんの口調は俺を責めるものに変わっていた。


「いいえ、何も。それじゃあ聞くけど、あなたには好きな人いるの?」

「何が『それじゃあ』なのさ。意味が繋がってないよ」


 随分青春っぽいこと聞くんだね、と俺がはぐらかそうとすれば、話を逸らすのは卑怯よ、と紫さんは距離を詰めにかかる。彼女の頬が赤く見えるのは、きっと光の加減のせいだろう。


「早く答えて。東君たちが帰って来ちゃうでしょ」

「急かすなよ。というかそんな人いないよ」

「本当? 誰かと付き合ったりもしていないの?」

「本当だよ。それじゃあ俺も聞くけど、紫さんは誰が好きなのさ。俺の知っている人?」

「へえ。あなた、やっぱり私のこと気になるのね」


 質問されたことが嬉しかったのか、紫さんは悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべる。彼女と知り合ってからおよそ半年が経とうとしていたが、こんな愉快そうな表情を見るのは初めてであった。


 高嶺の花もこんな顔をするんだな。

 一度だけ跳ねた鼓動を無視して俺も笑みを作る。


「いや、あんまり。社交辞令だよ」

「あなたって本当、失礼ね」

「これは失敬。俺は正直者だからね」

「無礼者の間違いでしょ」


 紫さんは展示品になるであろう物体を見遣る。当初の予定では昨日にでも完成しているはずだったが、級友達は部活動やら予備校やらと多忙であるらしく、進捗は(かんば)しくない。

 もっとも作業自体はそれほど煩雑でもない。それに猶予はあと三日残っている。だからこそ皆熱心にもならないのだろうが、まあそれは構わない。


 そんなことよりも。

 俺達は何を作ろうとしていたのだろうか。


 目の前に拡げられた工作物をいくら眺めても思い出せない。認知症にでもなったが如く、記憶が根こそぎ欠落しているのである。


「紫さん。俺達、何をしていたんだっけ」

「何って製作でしょ。そろそろ東君たちも戻る頃だし、先に始めてしまいましょう」

「待って。そうじゃなくて、それ、何だっけ」

「え?」


 紫さんは怪訝そうな顔をする。


「なんだか記憶が曖昧でさ」

「――そう」


 紫さんは目を伏せた。そして。


「まだ、思い出せないのね」


 と(こぼ)した。

 その呟きの意味こそ分からなかったが、俺の無遠慮な問いが彼女を傷つけてしまったであろうことは理解できた。


「ごめん」

「別に、いいのよ。仕方がないことだもの」

「仕方がない?」


 俺の問いを黙殺して「これはね」と彼女は語り出す。


 今、彼女は確かに展示物の名をあげた。

 だが、その一瞬だけ俺の鼓膜は機能を放棄した。

 否、脳が音声の受理を拒んだのだ。世界が無音に支配され――。


「――って皆で決めたじゃない。そこまでは覚えてる?」


 ようやく聴力が回復する。吹奏楽部の演奏も野球部の声援も紫さんの綺麗な声も――全てが何事もなかったように戻ってきた。先刻までの静謐(せいひつ)が嘘だったかのように。


「ねえ、聞いてるの?」


 気が付けば、紫さんが目の前に立っていた。


「あ、いや」


 俺の態度から察したのだろう。

 紫さんは悲しそうな様子で二度頷いた。


「残念だけど、そろそろ時間ね」

「時間?」

「もうすぐ、この夢も終わり」


 紫さんは(きびす)を返し、水性マーカーの傍らに落ちていた長方形の紙を拾い上げる。紙片は手の平程度の大きさで、表面には光沢があった。俺の位置からでは何と書いてあるか確認することはできない。


「ねえ、貞くん。ひとつ約束してくれない?」


 背を向けたまま紫さんは問う。

 窓から吹き込む冷たい風が、俺と彼女の間を駆け抜ける。


「何があっても私のこと、忘れないで」


 夢と現の狭間。現実と虚妄の境界線上。


 これが私の復讐だから――と。


 振り向いた彼女は泣いていた。

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