ついに呼び出しをくらう
城市の通りを、火炎熊を載せた竜車が、人々の注目を浴びながら進んで行く。火炎熊討伐の話は燎原の火のごとく広がり、物見高い街人たちは、一目見ようと詰め掛けた。火炎熊は解体して積まれていたものの、その異様な大きさと迫力に人々は圧倒されていた。
ハストとユハスは今回の騒動について詳しい説明を求められ、城へ行くことになった。現場に来ていた騎士は先に馬に乗って、こんな群衆に捕まる前にさっさと行ってしまったのだが、二人は兵士たちに連れられて、竜車と一緒に人混みのなかを歩くことになった。
「見世物じゃないってのに」
ハストが、周囲の視線に居心地の悪さを感じて不満を漏らすと、ユハスが言った。
「こんな大物が狩られたとあっちゃ、こうもなるさ。しかも、獲物を持ってきたのが冒険者集団でも騎士団でもなくて、おいらたちだなんて」
「おやかたさまにも呼び出されるわけだ」
ハストはそう言って、溜息をついた。ユハスは徐々に近づく城を見上げると
「こんな身分のやつが行って、ひどい目に遭わないといいんだけど……」
と、ひとりごとを洩らした。
城へ続く北の門は、領都のなかで最も物々しい造りをしており、それ自体がまるでひとつの塔のようだった。城壁には迫持ちで支えられた物見櫓が並び、そこから見張りの兵士たちが通りを見下ろしている。一行は門をくぐって坂道を上り、さらに第二第三と門を通過して行った。
最後の門を通ったところで二人は竜車と別れた。そこには、先に馬で戻っていたあの騎士が、従者とともに待ち構えており、彼らの案内で主塔へ向かう。大階段を上がっていくと、そこは大広間になっていた。
「レンナントさま、火炎熊を見つけた二人を連れて参りました」
と、部屋に入るなり騎士が言った。すでに拝謁の用意が整えられており、なかには騎士服に身を包んだ従士たちが大勢集っていた。彼らは壁沿いに用意された長椅子に座って、ハストたちの方を見ながら、何事かを話し合っている。そして部屋の奥にただ一人、精巧な彫刻の施された腰かけつきの椅子に座る男がいた。彼も同じように騎士服を着ていたが、上から南方産の上等な青い絹地で作られた品のよい袖なしマントを羽織っており、その風格からして、この領都の権力者であることが容易にわかった。男は燃えるようなまっ赤な髪を後ろになでつけ、鋭い目の精悍な顔立ちをしており、いかにも厳しそうな雰囲気を纏っていた。
「ありがとう、エルレシス。おまえも座るといい」
と、男が声をかけると、ざわめきがぴたりとやんだ。エルレシスと呼ばれた騎士は、二人をもっと奥に行くように促してから、自分も他の騎士たちと並んで席についた。騎士たちの殆どは、黒髪のハストを探るような目で観察していたが、身分の低いユハスに対して嫌悪の目を向ける者もいた。
「もっと楽にしてくれて構わない」
男は、黙ったままの二人に向かって言った。
「まずは、はるばる風の国から来たという異国の魔法使いに、ご挨拶申し上げよう。わたしはハルツラード辺境伯のレンナントだ。わが領都ランディスへようこそ。貴殿に、ヴェスレ女神の炎の加護がありますように」
ハストは物怖じせずに、答えた。
「はじめまして、レンナント候。おれの名前はハストと言います」
すると、ハストの言葉が違和感なく聞こえたので、レンナントは少し驚いた。
「ほう、アッシュラントの言葉が堪能だな。報告によれば、ここへはサルン村の薬師と共に来たそうだが、何か目的はあるのだろうか?」
「特別な目的はありません。これからも旅を続けるのに、必要なものを買い揃えようと立ち寄っただけです」
ハストが答えると、レンナントは頷いて言った。
「そうか。悪く思わないで欲しいのだが、貴殿を客人として迎え入れて良いものかどうか、我々にはまだ判断がつかない。貴殿を取り巻く問題を解決せねば、多くの者が納得しないからだ」
それから、尋ねた。
「ここへ招かれた理由は、お分かり頂けてるかな?」
「おれが火炎熊を狩ったことについて、聞きたいことがあるんでしょう?」
ハストが何でもないというふうに答えると、周囲がにわかにざわついた。ただし、それは感嘆の声ではなく、嘲笑や疑問の声だ。レンナントは目を細め、さらに尋ねた。
「狩った……か。そこの牧童と一緒に、外から巨大な火炎熊の舌を持ち帰り、門番に一人で討伐したと話したそうだな?」
「そうです」
「これが(※)オークくらいのものであれば、そこまで疑う必要も無かったのだが……今回は獲物が獲物なだけに、話を怪しむ声が多くてな。皆は、貴殿が火炎熊の死骸を偶然見つけただけだろうと考えているが、それについてはどう思う?」
(※=豚に似た顔を持つ小型の巨人種で、低知能の魔獣。汚い)
レンナントがそのように尋ねると、ハストは自分を胡散臭そうに見ている人々のことを眺めてから、言った。
「怪しまれるのも無理は無いと思います。一人で倒すような魔物ではないと聞きましたから。ですがおれは別に、自分が狩ったと無理に主張する気はありません」
意外な答えに、ユハスを含め誰もが当惑した。レンナントは眉をひそめ、
「というと?」
と、先を促す。
「おれの目的は、ここにいる牧童のユハスが、雇い主から不当な罰を受けないよう助けることです」
ハストは説明した。
「ユハスは昨日、放牧地で火炎熊に襲われて、預かった草色羊を全部やられてしまいました。何とか逃げ帰ってきて、すぐに雇い主に話をしたのに信じてもらえず、逆に盗んだ疑いをかけられて、その償いをさせられるところだったんです」
ユハスは何度も大きく頷き、ハストはさらに続けた。
「大事なのは、火炎熊が本当にいたことを証明して、ユハスの疑いを晴らすことです。だから、死骸を偶然見つけたと言われようと、おれは構いません」
ハストの考えに表情を変えなかったのは、レンナントくらいのものだった。みんな驚きと呆れの入り混じったような顔で、ハストを見た。なかには、思わず吹き出しそうになるのを我慢する者もいる。レンナントは、エルレシスにちらっと目線を送った。するとエルレシスは
「レンナントさま。職人たちが火炎熊の胃の中から、未消化の草色羊を山ほど見つけましたので、そこの牧童が家畜をやられたのは、間違いないと思います」
と答えた。レンナントは頷くと、穏やかに言った。
「そういう事なら、牧童の無実はわたしが保証してやろう。家畜は野外で魔獣による被害にあったのであって、盗まれたのではないと」
そして、さらにつけ加えた。
「アッシュラントの法では牧人が家畜を失ったさい、故意でもなくやむを得ない場合は、償いをしなくて良いことになっている。故に、弁償させられることもない」
それを聞くと、ユハスは崩れるように床に膝をつき、おでこに(床の)香草が貼りついてしまうほど深く頭を下げて、
「あ、あ、ありがとうございます!」
と、震える声で叫んだ。すると、レンナントは声を低めて言った。
「しかし、それでは別の問題が生じてしまうな」
「別の問題?」
ハストは訝しげに言った。
「貴殿の心がけは、実に立派だ。だが、それで話は終わらない」
レンナントは言った。
「なぜなら、討伐の話が真実であった場合、命をかけて人々を脅かす凶悪な魔獣に立ち向かってくれた貴殿には、それ相応の褒賞が与えられるからだ。火炎熊は領国内において平和を与えられていない魔獣であるから、獲物の所有権も貴殿にあることを考えると、希少価値の高い素材の利益だけで、完全な重さのレギン金貨1,000枚はくだらないだろう」
「きっ、キンカ1,000枚ィ!?」
とユハスはあまりの金額に、素っ頓狂な声を上げた。
「だが、もし嘘であった場合、栄誉はどこにもない。領内に落ちていた獲物の所有権は我々にあるし、財貨を求めるために虚言をしたと、二人とも罪を問われることになる」
レンナントがそう言うと、ハストは腕組みして唸った。
「うーん、面倒なことになったなぁ」
「うぅ……おいらのせいで……」
ユハスは、今にも泣きだしそうな顔で俯く。ハストはまっすぐレンナントの方を見ると、
「それなら、どうすれば話を信じていただけますか?」
と尋ねた。
「それは、疑っている者たちに尋ねてみるがいいだろう」
レンナントはそう言って、騎士の一人を呼んだ。
「ラーケス」
すると、立派な口髭を蓄えた年老いた騎士が答えた。
「レンナントさま……わしらの話し合いでは、別の魔獣を用意して、異国の魔法使い殿が討伐できるかやらせてみたい、という意見が多いようでしたな」
「魔獣を用意するとは? そんなもの、一体どのように調達する気だ」
と、レンナントが尋ねると
「ヴィークランの野蛮都市で使われている方法がございます」
と言って、ラーケスは笑った。
「魔獣にマンドラゴラの毒を食わせ、眠らせてから捕まえるのです。火炎熊とまではいかなくとも、オーク二体くらいであれば、見つかるでしょう」
「オーク二体か、冒険者に依頼を出しても良いが、あのような魔獣と試合をさせると言うのは、品性に欠く行為のように思える」
レンナントがそう言って嫌な顔をすると、ラーケスも困ったように答えた。
「確かに仰る通りですが、火炎熊のような気高い魔獣の代わりとなるものがいないのですから、それは仕方ない事と存じます。近頃はオークによる街道での被害も多いと聞き及んでおりますので、この機に冒険者どもを働かせてやるのも悪くはないかと……」
そこで、ハストが提案した。
「良い案がないようなら、ひとまず風の魔法を見てみませんか? 一目見れば、納得頂けるかもしれません」
レンナントは、ハストに向かって僅かに微笑んで答えた。
「確かに、皆にはまだ話してなかったが、死骸の状態を考えればその方法が一番だろうな。貴殿が風の魔法の力を、我々に明かしてくれるというのなら」
するとラーケスは片眉を上げ、髭を弄りながら言った。
「ふむ……候よ、わしらに何か隠していらっしゃいますな? 共犯者は、エルレシスか」
エルレシスは、しらっと視線を逸らす。レンナントが、苦笑いして答えた。
「すまない。悪いが、その通りだ。しかしまだ秘密を明かしてやるわけにはいかない。杞憂で終われば良いが、わたしの予感は結構当たるからな」
レンナントがそう答えた時だった。一人の兵士が大慌てで大広間に飛び込んでくるなり、大声で叫んだ。
「失礼します! お話中のところ申し訳ございませんが、少々ややこしいことになりました!」
みんな驚いて兵士の方を見たが、レンナントはそれを予測していたかのように、
「やれやれ、そろそろだと思っていたところだ」
と言って、一つ息を吐き出した。兵士は続けて叫んだ。
「アルパゴン商会の者たちが、火炎熊を倒したのは自分たちだと主張し、候にお目通り願いたいと申しております!」
その名を聞いた途端に、ユハスはびくりと身体を震わせた。部屋内が急に騒がしくなったので、レンナントは静かにするよう合図し、尋ねた。
「それで、誰が来ている?」
「会長のドナグレン氏と、討伐に関わったというブラドレッド氏、氏が雇ったという冒険者が十名に、目撃者の少年二名です」
兵士が答えると、ラーケスが呆れて言った。
「いやはや、伝説の風の魔法使いの次は火炎熊を倒す商人とは……レンナントさま、我々はからかわれているのですかな?」
続けて、ラーケスの隣にいた騎士が立ち上がり、怒りによって青筋を立てながら、進言した。
「連中の相手をする必要などありません! どうせ崇拝する欲の神から、虚言を口に放り込まれたに違いない。眠っている間にも、不正を働くようなやつらです!」
他の騎士たちもこの意見に賛同したが、レンナントは彼らを窘めて、こう言った。
「落ち着け。おまえたちの気持ちはわかる。だが、話も聞かずに追い返す訳にはいかないだろう。この二人と意見が食い違っているのだから、どんな言い訳を並べるのかやらせてみなくては」
ラーケスは哀れむように
「まったく、生まれの卑しい者というのは情けないものだ。空腹に負けて、貪欲のパンを我先に貪ろうとする。それが自らの喉をつまらせるなどとは、思いもせずにな」
と、溜息交じりにひとりごちた。レンナントは兵士に命じた。
「通してやれ」
「はっ!」
兵士が返事をして部屋から出て行くと、ユハスは両手を握り締め、消え入りそうな声で呟いた。
「ブラドレッドが……来る……」
進むヌメ