屑ども、現る
ハストが目を覚ますと、昨日の食事の後はすでに綺麗さっぱり片付けられていた。手伝いの少女が朝早くからてきぱきと、食器を片づけ机を拭いて、掃除に精を出している。ルーバートは厨房にいて、パンとバターといった簡単な朝食を用意してくれた。
ハストは身支度を整え、ユハスを揺さぶり起こしてやった。
「おはよう、ユハス」
ハストが声をかけると、ユハスは寝ぼけまなこで答えた。
「うーん……おはよう。なんか、頭がくらくらするぅ」
「ベルのやつに付き合うからだ」
ルーバートは呆れてそう言ったが、手伝いの少女に水を持って来てやるように合図した。
「あまり遅くならない方がいいと思って起こしたけど、大丈夫か?」
とハストが心配そうに尋ねると、ユハスは慌てて言った。
「だ、大丈夫! 気分はそんなに悪くないんだ」
「……無理すんなよ」
ユハスは、食べ物にはほとんど手をつけなかった。それは昨晩の酒のせいよりか、これからやろうとしている事の為だ。あの災難の場所に再び足を向けるのは、ユハスにとって大変勇気のいることだった。
「あ、あのさ――」
「なんだ?」
ユハスはあまりに緊張感のないハストを見て、魔獣の危なさが伝わらなかったのではないかと気に掛けたが、言いたい言葉は喉の奥から出てこなかった。
「えぇと……そろそろ、行こうか」
「ああ、そうしよう!」
ルーバートに放牧地に行くとだけ告げて、二人は店を出た。そこに行くには、東の門から街の外に出る必要がある。行く途中で、ハストはふと疑問に思ったことをユハスに尋ねた。
「そういやおまえ、火炎熊のこと、ベルさんたちに言わなかったけど、なんか理由でもあるのか?」
「大した理由ではないんだけどね」
とユハスは言った。
「すごく親切な人たちだったから、巻き込んでしまったら悪いなぁって思ったんだ。おいらの問題に関わって、ドナグレンに目をつけられたら大変だからね」
道の小石を蹴り飛ばし、ユハスは続けて言った。
「おいらの雇い主のドナグレンってのは、商会の長をやっててね、職人たちの組合ほとんどに顔が利くんだ。睨まれたら、この街で商売は出来なくなる。あいつは金の力でどんな悪事も隠せるし子分だって沢山いるから、何をされるかわかったもんじゃないよ」
「そういうことか」
ハストは言った。
「その点おれは旅人だし、気にせず自由に動けるな」
「ごめん。ハストだって、厄介な事になるかもしれない。もし、この事が原因で街にいられなくなったらと思うと……やっぱり、おいらには関わらない方が……いいのかも……」
ユハスの声は徐々に沈んでいった。しかしハストはそんなユハスの肩を叩いて言った。
「そんなの気にしなくていい。困っているときは、遠慮なく頼れよ」
ユハスは忌み職なので、こんなに親切な言葉をかけてもらうのは初めてのことだった。驚きに目を見開いて、ユハスは言った。
「あ、ありがとう! あ、あの、もしあいつが、ハストに嫌がらせしてきたら、おいらだって出来る限りのこと、するから」
「ああ、頼りにしてるぞ!」
そうして二人が城市の東門近くまで来たときだった。門前の広場に、太った男が数人の若者たちを侍らせているのが目に入った。男は一見すると裕福な商人のようで、フチなし帽を被り、上等な葡萄色の生地でできた外套を肩に掛けている。しかし着こなしがだらしない為か、不潔な印象があった。でっ張った腹をぼりぼり掻いたりと、態度もあまり品がいいとは言えない。取り巻きは青年が三人に少女が二人で、共通するのは、どいつもこいつも意地悪そうな顔つきをしていることだった。その集団はひとりの小さな男の子を小間使いにして、その子に自分たちの荷物をすべて持たせていた。
ユハスは集団をひと目見るなり、顔面蒼白になって叫んだ。
「うわあっ! な、なんでブラドレッドのやつがこんなところに!?」
「知り合いか?」
ハストが尋ねると、ユハスは心底嫌そうに、口の端を引きつらせて答えた。
「あそこにいる偉そうなやつ。ドナグレンの馬鹿息子で、ブラドレッドっていうんだ。酒浸りのろくでなしで、いつも悪い遊びばっかりしてる。こんな時間に外にいることなんて、滅多にないのに」
「面倒くさそうなやつだな。でも、あそこにいられたんじゃ避けては通れないぞ」
思った通りに、二人は連中と鉢合わせした。ユハスはハストの影に隠れてこそこそするも、見つからないわけもなかった。ブラドレッドは意地悪い笑みを浮かべ、さっそく突っかかってきた。
「よぉ、雛竜ちゃん。昨日は宿舎に戻らなかったじゃねぇか。てめぇのせいで、豚どもが腹をすかして鳴いてたぜぇ」
「ご、ごきげんよう、ブラドレッドさん。昨日は親切な友達が泊めてくれたんです」
ユハスが答えると、取り巻きの若者たちがくすくすと笑った。アッシュラントで「雛竜」という言葉には、継ぎだらけの襤褸を着ているという侮蔑の意味が込められている。若者たちは、返事をしたユハスを馬鹿にしているのだ。
「なに寝ぼけたこと言ってやがんだ。てめぇに友達なんかいねぇだろ。まさか人生最後だからって、乞食女のとこにでも行ってたんじゃねぇだろうな? 汚らわしいやつめ」
「そ、そんな事してません!」
「口ごたえすんじゃねぇ!」
「ひぃっ」
ユハスはブラドレッドが怖くて、言われもない話に反論すらできなかった。
「聞いてられないな」
堪え切れず、ハストが口を出す。
「下品な悪口はそのくらいにしろよ。大した用事もないんだろ?」
するとブラドレッドは、嫌らしい小さな目を釣り上げて、ハストを睨みつけ怒鳴った。
「あぁ!? なんだこの気色悪い髪色のやつは。誰の許可得ておれさまに口きいてんだ、鵞鳥がよぉ!」
ユハスが慌てて間に入る。
「待ってください、ブラドレッドさん! この人は旅の魔法使いなんです。異国から来たばかりで、あなたが凄い人だってことも知らないんですから」
「魔法使いだぁ? なんでそんなもんをおまえが連れてんだ。金もねぇくせに」
「だ、旦那さまに言われて……火炎熊の証拠を探しに行くためですよ。おいら一人じゃ無理だと思って」
ユハスがそう答えると、ブラドレッドは鼻を鳴らして言った。
「ふん、何が火炎熊だ。そんなもん、てめぇが草色羊を盗むためのホラだろうが。いつもいつも人様の家畜から隠れて毛を毟りとっていたくせに、それじゃ満足できなくなったんだろ、このペテン師が!」
ハストはブラドレッドを睨みつけ、言った。
「ユハスを侮辱するな! 嘘をついてる証拠なんてないだろ」
すると、ブラドレッドは青筋を立てて怒鳴った。
「けっ! 薄汚い賤民の分際で、おれさまに説教すんじゃねぇ! さてはてめぇが草色羊を盗み出す方法を、このがめつい牧童に入れ知恵したんだろ。短杖も持たねぇで何が魔法使いだ。間抜けめ!」
そう言ってハストに詰め寄り、脅かすように続けた。
「そのうるせぇ口は閉じておけ。そこの阿保ヅラと一緒に、豚の餌になりたくねぇならな!」
ユハスは何とか話題を逸らそうと試みて、ブラドレッドに恐る恐る尋ねた。
「あ、あのぅ……それでブラドレッドさん。それで、あなたさまはここで何をなさってるんでしょうか?」
そのとき、ブラドレッドは平手で思い切りユハスの頬をいきなり殴りつけた。ばしんっ、と大きな音がして、ユハスは衝撃で横ざまにふっとぶ。
「いたぁっ!?」
「ユハス!?」
ハストが驚いて叫んだ。ブラドレッドは怒りで顔を白黒させて、大声で怒鳴った。
「てめぇのせいで、おれは親父に命令されたんだよ!! てめぇが家畜を隠した場所を突き止めろってなぁ!!」
「ひぃぃぃぃぃ! そっ、それは、まことに申し訳ございませんーっ」
泣きながら謝りだすユハスを助け起こし、ハストは
「謝ってどうすんだ」
とぼやくのだった。
こうして二人は、ブラドレッドたちに尾行されることになった。彼らは火炎熊の話をまるで信じておらず、家畜は放牧地の隣の森にでも隠しているんだろうと考えているようだった。尾行の間は、ずっと後ろの方をちんたら歩きながら、酒を飲んだりパンをかじってみたり、前を歩く二人目掛けて石を投げつけたりしていた。
「ったく、変なのがついてきちまったなぁ」
ハストが悪態をつくと、ユハスがしょんぼりとして言った。
「ごめん」
「ユハスのせいじゃないだろ」
「おいらも、まさかついて来るとは思わなかった。あいつ、何か食べるときか夜遊びに行くときしか、動かないと思ってたのに」
ハストはちらっと後ろを振り返ってから、言った。
「不思議はないさ。さっきから、ずっと何か食ってるからな……」
一行は、長閑な田畑のなかを歩いて行く。その先には、豊かな草地とどこまでも広がる深い森が、夏のそよ風に揺られてざわめいていた。
わかりやすい悪。登場ヌメ