不運な牧童は頼みたい
そのうちいいこともあるヌメ
「『星の丘』って店、ここからどう行くかわかるか?」
ハストが尋ねると、
「わかるよ。案内しようか?」
と言って、ユハスは快く店までの道案内を引き受けた。そして歩きだすとまたすぐに、浮かない顔をしてハストに尋ねた。
「あ、あの……歩きながらでいいから、聞いてくれるかい?」
「いいよ。何か困ったことになってるんだって?」
ハストが答えると、ユハスは少しだけ表情を明るくした。
「ありがとう。おいらさ、牧童って言ったでしょ? 毎朝、みんなの草色羊を預かって、放牧地まで連れていってんだけどさ」
ユハスは言った。
「今日はひどい目にあってね、預かった草色羊をまるっと全部なくしちゃったんだ。それでもうどうしようもなくて、おいらの命も、お終いかもしんないんだよ……」
「何があったんだ?」
ハストが尋ねると、ユハスは前方に停まっていた羽毛竜二頭だての竜車を指さして、言った。
「あそこにでっかい竜車があるだろ? あれの二倍か、三倍はあったかな? そんな化け物じみた大きさの巨大火炎熊に、放牧地で襲われたんだ!」
「火炎熊?」
ハストが首を傾げて言うと、ユハスは驚いた。
「まさか知らないの!? アッシュラントの森で一番怖い魔物なのに!?」
「どっかで聞いたことがあったような……そいつはどんな魔物なんだ?」
「思い出しただけで、さむけがするよ」
ユハスはそう言って、続けた。
「おいらも実際に見たのは初めてだったけど、あれは、この世でもっとも獰猛な生き物だと思う。見た目は犬と似ていたけど、図体は山のように巨大で、全身まっ黒い毛に覆われてるんだ。耳は丸くて、目は真っ赤。手足はオークの巨木みたいに太くて、恐ろしい金色の爪が生えてる。あとはよくわからなかったよ。ゆっくり観察してる余裕もなかったしね……奴は、森との境にあった柵を一踏みでぺしゃんこにして、入って来たんだ。地響きみたいな唸り声をあげて、すぐに草色羊に目をつけた。すべて喰らい尽くす勢いでさ、手近なやつから次々と襲っていったよ。馬鹿でかい口で、ほとんど丸呑みにするんだ。それか、爪で真っ二つに引き裂いたり。しかも一歩で七エレくらいも進むんで、家畜どもの足じゃとても逃げきれないのさ」
ユハスはそのときの光景を思い出し、身震いした。
「でも、おまえは逃げて来れたんだ」
ハストが言うと、ユハスは悲しみに顔を歪ませて言った。
「犬に助けられたんだ。バッシュって牧羊犬がいてね、あいつが吠えかかって、火炎熊を引き付けてくれた。その間に全力で走り続けて、気づいたら、街の門の前に立ってたんだ」
「その犬は、やられちまったのか?」
ハストが聞くと、ユハスはがっくりと肩を落として言った。
「わからないけど、無事でいるとは思えないよ。みんな、やつの腹んなかさ」
「だけど逃げてこれたなら、どうしておまえの命がお終いって事になるんだ? 事情を話して、魔獣を討伐して貰えばいいじゃないか。まさかランディスでは、そんな被害も牧童が弁償するのか?」
ハストが当然の質問をしたとき、ユハスは足を止めた。そして、ぽつりと言った。
「だれも……信じちゃくれなかったんだ」
「えっ?」
「だれも、おいらの言う事なんか信じちゃくれなかったんだ!」
ぐすっと涙を溢しながらそう言って、ユハスは続けた。
「街に戻ってすぐに、商会の旦那に事情を説明したさ。でも、まったく信じちゃくれなかった! 旦那はおいらが家畜を盗んだって言って、さんざん棒で打ってきて言ったんだ。『その話が本当だって言うなら、魔物がいた証拠を持ってこい! さもなきゃ、なくしたものを全額弁償するんだな! 出来なけりゃ、おまえはつぶして豚どもの餌だ!』ってさ」
あまりに酷い話に、ハストは言葉を失った。黙っていると、ユハスはさらに続けた。
「冒険者ギルドにも行ったけど、無駄だった。だって、おいらにゃ金がない。金がなけりゃ、話を聞いてもらう事もできないんだ。この街に、おいらが頼れる人なんていなかったんだよ」
「ユハス……」
ハストは同情した。痣だらけの身体や身なりを見ても、この人のいい少年が、酷い扱いを受けているのは明らかだった。どうしたら助けてやれるか考えて、ハストは言った。
「おれが退治しようか? その、火炎熊」
「へっ?」
ユハスは、あまりの衝撃発言に一瞬固まってから、すぐに慌てて言った。
「はは、いきなり冗談はやめてよ。討伐なんて、冒険者を十組以上は雇わないとできないよ」
「なら、どうするつもりなんだ?」
「火炎熊のいた証拠を見つけるしかないよ……」
ユハスは言った。
「それさえあれば、商会のやつらはおいらに何も言えなくなるんだ。賠償金だって払わなくて済む。やつらが騒げば、すぐに騎士団か冒険者たちが討伐に動くはずさ」
少し回りくどい方法に感じて、ハストは言った。
「証拠って言ったって、簡単じゃないだろ?」
「そうだけど、放牧地に行けば何か見つかるはずさ。一人じゃ足がすくんでしまうけど、きみが一緒に着いて来てくれるなら、おいらも頑張れる」
「でも、何かって言ってもなぁ……」
「まぁ、それよりまずは店まで案内するよ」
ハストの歯切れの悪い言い方にユハスは不安を覚えたが、それを振り払うように先を促した。二人はまた歩き出し、程なくして『星の丘』の前に来る。ユハスが店を指さして言った。
「ほら、ここだよ」
それからすぐに、ユハスはハストの方に向き直ると、突然頭を下げて言った。
「ハストさん。手持ちが少なくて、十分な報酬をすぐには渡せないけれど、足りない分は後から払うって約束します。だからどうか、おいらを助けて下さい!」
「おいおい、そんなにしなくていいのに」
ハストはユハスの生真面目さに苦笑して言った。
「普通に、そのくらい付き合ってやるつもりだったよ。道案内のお礼にさ」
「そ、それじゃ割に合わなすぎるでしょ!?」
ハストがこんなに軽々しく引き受けるとは思ってもみなかったので、ユハスは面食らってしまった。
「大丈夫だ。おれにとっちゃ大したことじゃない」
「で、でも――」
何か言いかけたユハスの頬を、ハストは両手でむぎゅっと挟んでやった。
「むぎゅ!?」
目を点のようにしているユハスに、ハストはにっこり微笑んで言った。
「話は終わりだ! お蔭で店に戻ってこれたし、飯にしよう。おまえも一緒に食ってけよ!」
ハストが誘うと、ユハスは後ずさりした。
「いやいやいや! お、おいらにゃ外食する金なんて――」
逃げようとするユハスの腕を、ハストががしりと掴む。
「貧乏なのはわかってる。一人分くらい奢ってやるよ」
ハストはそう言うと、ぐいぐいとユハスを店内に引っ張っていった。
「そんなに頼ってしまったら罰が当たるって!」
「いいから。出会いをくれたゲラードにでも感謝しとこうぜ」
「いやなんでそうなるのっ!?」
店内は薄暗く、燭台の灯影がちらちらと揺れていた。肉の焼ける美味そうな匂いが、奥から流れて来る。店の裏庭が厨房になっているようで、給仕の少女が食べ物を運んでいた。中央の席では、三人組の若い無魔――魔法を持たない種族の人たちで、白髪に灰色の瞳を持つ――の吟遊詩人たちが妙なる調べを奏でていた。冒険者ギルドの乱痴気騒ぎはなく、それなりに金を持ってそうな職人たちの姿がちらほらあるだけだった。
ベルの姿を捜して店内を見回していると、奥の席から声がした。
「おい、ハスト! こっちだ、こっち」
ハストが行くと、ベルは長椅子に座るように促しながら言った。
「ったく、ずいぶん遅かったじゃねぇか。心配したぞ。そっちは誰だ?」
「ごめんベルさん、待たせたね。こっちはユハス。ここまで道案内してくれたんだ」
「んだよ、やっぱり迷子になってんじゃねぇか」
ベルは安ぶどう酒の入った木製の杯を傾けている。
「おれ、酒は飲めないよ」
ハストが言った。
「水がいいな。ユハスは?」
「え、ええっと、おいらも水で」
ユハスが恐縮しながら言うと、ベルがからかって言った。
「おう、坊主。酒は飲めるときに飲んでおけ! もう二度と飲めんかもしれんぞ!」
「に、二度と飲めない!?」
ユハスは、死を連想して青ざめた。
「おい、大丈夫か?」
ハストが心配してユハスの顔を覗き込む。ベルが怪訝な顔をして尋ねた。
「なんだこいつ? どうしちまったんだ?」
「不運すぎてさ、悪いことしか想像できなくなってんだよ」
ハストが答えた。するとそこへ、店の裏から男がひとりやって来る。
「よぉ、噂の風の魔法使いってのはおまえか? 先にベルから聞いてるぜ。今日はゆっくりしていきな」
男はそう言って、会釈した。
「店主のルーバートだ。よろしく」
「こちらこそよろしく、ルーバートさん。風の大陸から来た。旅人のハストだ」
ハストが挨拶した。
「で、そっちの坊主は?」
ルーバートが、ハストの隣でぐったりしているユハスに言った。
「ドナグレンって悪魔みたいな商人のとこから来ました。牧童のユハスです」
ユハスがハストに倣って自己紹介すると、
「ああ」
と、ルーバートは訳知り顔で頷いてから言った。
「知ってるぜ。あの、欲深で有名な区長さまだろ。糞のなかに埋もれた四分の一リぺスでも拾い上げるくらいのやつなんて、よく噂されてるな。おまえも酷い扱いを受けてるんじゃないか?」
「本日もさんざんぶたれてきました」
ぐすんと泣きながらユハスが答えると、ベルが言った。
「なんでぇ、それで元気がねぇのかよ。なんか思いつめた顔してっから、おれはてっきり恋の病かと思っちまったぜ」
「そんなご機嫌な悩みじゃないんだ。ぶどう酒で元気づけてやってよ」
ハストはそう言って、10リペス(※)をルーバートに手渡す。(※リペス=銅貨)
「どうも。それできみは?」
「おれは水で」
すると、ベルがしみじみと言った。
「まさか、酒を飲まない男がこの世にいるとはなぁ」
すかさず、ルーバートはベルに釘を刺す。
「おまえはほどほどにしとけよ? この店は、祝日以外は嘔吐厳禁だ」
「わーかってるって! そんなヘマしたことねぇじゃねぇか」
「したことあるから言ってんだ」
ベルはわははと笑って、酒のおかわりを催促していた。
はじめに出て来た料理は素朴で田舎風だった。酢キャベツのサラダ、豆のポタージュスープに、どこにでもあるような燕麦のパンを切り分けて食べる。だがメインには、猟師でもある店主の特製肉料理があり、ハストとユハスを驚かせた。それは鳩の蒸し焼きで、鳩は香味野菜の詰め物をして酸味果汁入りのスープで蒸し焼きにされており、その肉は簡単にほぐれてしまうほど柔らかい。
あらかた料理を出し終わるとルーバートは席に来て、一緒に飲み食いをはじめた。酒で良い気分になったベルが言った。
「なぁバート。おまえの言った通りだったぜ。『楯の森』でな、例の野盗とでくわした」
ルーバートは、興味深そうに聞いた。
「ほう。そいつぁ本当か? 一体どうやって切り抜けたよ。エドの姿は見えねぇが」
ベルはふんっと鼻を鳴らして言った。
「あぁんなもんの世話にはならんよ! 何が冒険者だ。桶屋のせがれに何ができる」
「相変わらず、頑なだなぁ。でもまさか、おまえさんがやっつけたとか言わないだろう?」
「やっつけたのはおれだよ」
ハストが答えると、ベルは得意気に言った。
「すごかったんだぜぇ! 茂みの中からならず者どもが五人も出て来てよぉ、もうおしまいってときに、ハストのやつが何かおれたちの知らんような、不思議な言葉で呪文を唱えてだな」
ベルは腕をぶんぶん振り回して、嵐の風を表現しながら続けた。
「ごうぅごうぅって、五月の嵐のな、何倍もすごい風をな、魔法でおこしちまうんだよ! やつら手も足もでねぇうちに吹き飛ばされちまってらぁ。あれにはおれたちの女神様(※)も、たいそう腰を抜かすだろうぜ!」
(※アッシュラントの火の神ヴェスレ)
腕を振るたびに酒が机に飛ぶので、ルーバートは眉間に皺をよせて言った。
「やめろやめろ勿体ねぇ! こぼれてるだろうが」
その間、ユハスはベルの話をすべて理解できたかのように、何度も頷きながら言った。
「ハストはさぁ、しゅごかったにゃぁ。おっかない冒険者くずれがさぁ、しゃんにんも空にふっ飛んでって……あんにゃふうに商会のやつらもぉ、やっつけてほしいよぉ~」
「酔いすぎだぞ、ユハス」
ハストが呆れて言うと、ルーバートも言った。
「やれやれ、二日酔いになっちまいそうだな」
ベルは
「まだまだガキんちょだ。修行が足りんよ」
と得意気に言って、またもや杯を空にする。ルーバートは肩をすくめてハストに言った。
「おいハスト、おまえのすごい魔法とやらで、こいつもどうにかしてくれ」
「無茶言うな!」
結局その日、ベルとユハスは飲み過ぎて、浜に打ち上げられた魚のように、ぐでんと机につっ伏してしまった。そんな二人を尻目に、ハストは長椅子で作った簡単な寝床で眠りにつく。
ランディスでのひと騒動の、幕開けだった。