街で絡まれた話
街は怖いところヌメ。という話
ふたりがランディスに着いたのは、夕方ころだった。門番の男がベルの顔見知りだったお蔭で、珍しい外国人であるハストも特に引きとめられることはなかった。竜車は吊り下げ式の橋を渡って濠を越え、堅牢な城壁の門をくぐる。
街には一日の終わりの雰囲気があったが、まだ賑わいもあり、通りには商人たちの竜車がひしめき合って、埃っぽい道を人々が行き交っている。
ベルは道を何度か曲がって、一軒のこじんまりとした二階建ての民家の前で竜車を止めた。入口には酒を出す場所にぶら下げる枝が掛かっており、吊り下げ絵看板には、白地に緑の丘と青く輝く星の模様が描かれている。
「着いたぞハスト。ここがバートのやってる『星の丘』だ。おれはちょっくら荷物を届けてくるから、おまえは先にゆっくりしといてくれ」
ベルが言うと、ハストは荷台を降りながら言った。
「それなら、少し近くをぶらついてくるよ」
「そりゃ構わねぇが、迷子になるんじゃねぇぞ」
「大丈夫さ。そんなヘマしないよ」
ハストは冗談だと思って笑って答えたが、ベルは真面目に言った。
「いや、ここは道が入り組んでてわかりにくいからよ。行くならほら、そこを右に曲がって真直ぐ行くと、目抜き通りに出る。坂をちょいと上った所に冒険者ギルドがあって、その近辺には店も多い。だが、たちの悪い冒険者もいるから用心してな!」
ハストは頷いて言った。
「わかった、行ってみる! また後でな」
「おう」
そうしてハストは一旦ベルと別れ、窮屈な荷台でこわばった身体を伸ばしながら、歩き始めた。
少し行くと、道の角に木造の立派な四階建ての建物があり、そこが冒険者ギルドだった。正面にでかでかと開拓者の斧の絵が描かれた絵看板が出ており、一階の部分が竜車の乗り入れ口になっているのを見れば、それはハストにもすぐにわかった。ちょうど依頼から帰って来た冒険者たちが多くいる時間帯で、表には竜車や個人乗りの羽毛竜の列が出来ている。
ギルドの道向かいには、二階か三階建てくらいの建物が通りに沿ってぎっしり建ち並んでおり、その多くは、旅人向けの宿らしかった。店先では、大きな荷物を羽毛竜に積んだ団体が立ち話をしていたり、派手な格好をした冒険者たちが、長椅子で談笑している姿があった。
宿屋街と交差する通りには武器屋が多く、剣や槍の専門店など、種々の武器を取り揃えた店が連なっている。冒険者が好みそうな、派手な色や形をした武器の数々が目を引いた。道端には護符を売る猫獣人の露店があったり、暗がりには、如何わしい魔道具を売る怪しい商人が佇んでいたりと、少々危険な気配もある。
そうして歩いていると、前方から見ず知らずの三人組の男たちが、明らかにこちらへ向かってやって来るのがわかった。どうにもその雰囲気が野盗と似ていたので、ハストは少し嫌な予感がした。男たちは目の前に立ち塞がり、じろじろと不愉快な視線で、ハストの頭のてっぺんから爪先まで観察する。
ハストは眉をひそめ、迷惑そうに尋ねた。
「なんか用か?」
すると、なかで一番大柄の汚らしい蓬髪の男が、ハストを見下ろしながら横柄な態度で言った。
「炭みてぇな色のアタマしやがって、この辺じゃ見ねぇツラだがどこから来た? 奇妙なナリしてやがるんで、気になっちまってよぉ」
三人組の見た目は初心の冒険者と言ったところで、大柄の男が武器としては珍しい大棍棒を背負っているが、他ふたりは短刀、あとはよくある黒猪の黒灰色の革鎧に、脛当てに短靴と、あまり見栄えのしない装備をしている。まともに仕事をしていないのか、防具の傷もそのままに、酒の臭いをぷんぷんさせていた。
「風の国だよ。どうせ知らないだろ? あっち行けよ。おれは忙しいんだ」
真面目に答える必要もなかったが、ハストは性分のために正直に言った。すると、大柄の男は唾をとばしながら言った。
「ほ~う、かぜのくにだぁ!? この『火落としのゲラード』さまに、良くそんなホラが吹けたもんだぜ。おまえ、さては乞食だな? てきとうな作り話して、金をせびるってやつだ。残念ながら小遣いはやらねぇぞ!」
「おれが物乞いなわけないだろ。見た目ならおまえらの方がずっと貧乏そうだ。冒険者が、そんな装備で大丈夫か?」
ハストがこのように言い返すと、ゲラードの後ろにいた仲間がキレて大声を出した。
「んだてめぇ、おれたちに喧嘩売ってんのか!? ホラ吹き野郎め、その髪が本物か確かめてやる!」
男が無遠慮に頭に手を伸ばしてきたので、ハストはその手を払いのけて言った。
「やめろ! いきなり失礼だぞ」
すると男は、払われた手を抱えて蹲り、大袈裟に痛がるふりを始めた。
「ああっ痛ってぇ! 痛ってぇなぁ! 折れちまったかもしんねぇ」
そして、それが合図だったかのように、ゲラードとその仲間たちが騒ぎ始める。
「大丈夫か!? おいてめぇ、仲間になんてことしやがる!」
「やってくれたなクソガキ! 悪戯じゃ済まされねぇぞ!」
男たちの見事なまでの当たり屋仕種に、ハストは呆れを通り越して逆に感心してしまった。
「ひっどい猿芝居だ。恥ずかし気もなく、よくそんなことが出来るよな」
「いきなり殴りかかっておいて、なんだその舐めた態度は!」
「あー、完全に絡まれちまったよ」
ハストが不味いと思ったときには、すでに遅かった。騒ぎに興味を持った野次馬たちが、周囲にぞろぞろ集まってきていた。冒険者ギルドの近くなだけあって、血の気の多い暇人が多いのだ。
「おっ、喧嘩か?」
「なんだあの黒い頭、病気じゃないだろうな?」
「喧嘩だ喧嘩だ! 早くやっちまえ!」
野次馬たちはそんなことを言いながら、面白い見世物でも始まったと思って、喧嘩を煽りたてる。ゲラードが言った。
「よくもおれたち『火炎の車輪』に人前で恥かかせてくれたな。このままで済むと思うなよ、ガキ。おれの仲間に怪我させてくれた慰謝料は、高くつくぜ!」
「火の車? 金が無さそうな名前だな」
ハストが言うと、ついに痺れを切らしたゲラードたちは、それぞれの得物に手をかける。人目も構わずハストに武器を向け、大声で喚いた。
「頭にきたぜ! てめぇみてぇな糞ガキは、おれたちが直々に教育してやるよ!」
「強気の態度が裏目に出たな。泣きながら謝っても、もう遅いぜ!」
「ヒャハッ、有り金全部置いて命乞いでもしやがれぇ!」
ハストは溜息をついて、ひとりごとのように呟いた。
「手加減は苦手だってのに……」
早速、ゲラードが躊躇なく大棍棒を掲げ、ハスト目掛けて力任せに振り下ろした。ハストは小鹿のように後ろへ飛んで、その一撃を難なく躱す。大棍棒はぶぅんと空を切り地面を打つと、石畳が爆ぜて欠片が飛沫のごとく散った。思ったよりも強い一撃に、ハストは少しだけ感心した。だが、ゲラードの腰巾着ふたりはまるでお話にならなかった。短剣で攻撃するための間合いも知らないのか、とんでもないへっぴり腰で、切っ先が届かない場所で悪戯に剣を振り回している。そしてその足下は、妙にふらついていた。
ハストは頭が痛くなる事実に気付いて、ゲラードたちに向かって叫んだ。
「この酔っぱらいども! それ以上武器を振り回すな!」
「るっせぇ死ね!」
ゲラードは怒鳴って、大棍棒をめちゃくちゃに振り回した。棍棒が地面を打つ度に石畳が粉砕され、見物人たちが悲鳴を上げる。
「ったく、仕方ないなぁ」
ハストは唱えた。
――奴らの骨を砕け、破壊の風!――
瞬間、ハストの周囲に強力な風の渦が巻き起こる。まるで街中のすべての風がここに集まって来たみたいだった。ゲラードたちは体勢を崩してひっくり返ったまま、物凄い勢いの上昇気流にはるか上空へ吹き飛ばされていく。
「あぁっ!?」
三人が驚きと困惑の入り混じった声を出したとき、すでに彼らの身体は四階建ての屋根より高い場所にあった。そしてもっと上空まで舞い上がったところで、風は急にぴたりと止み、男たちは天空に放り出された。
「わあああああああああっ」
当たり前のように落下して、ゲラードたちは叫び声を上げる。驚愕した見物人たちは息を呑み、思わず目を逸らした。そして、三人分のグシャっという鈍い音がすると、誰もが顔を歪ませた。ゲラードたちは骨が折れてその場で気絶してしまい、ハストは地面で伸びてるやつらに、吐き捨てるように言ってやった。
「命は取らないでおいてやる、少しは反省しろ!」
そのとき、騒ぎを聞きつけた冒険者ギルドの職員たちが駆けてきた。
「こらぁ!! ギルドの面前で何事だ、ふっざけんじゃねぇぞぉ!」
誰かが喧嘩を知らせに行ったのだろう。ここで捕まれば、決して良いことにはならない。ハストは逡巡し、踵を返して逃げ出した。
「どいてくれ!」
ハストはそう叫ぶと、野次馬の人だかりを割って、道をまっすぐ駆け抜ける。ゲラードたちの顛末を見ていた人々は怖がって、ハストを避けるように道をあけた。しかしハストには、どこへ逃げる当てもなかった。
「逃げるな止まれぇぇ! 怪しいやつ!」
すぐに後ろの方から怒声が近づいてきた。困っていたそのとき、一人の見知らぬ少年が、ハストに手招きしながら叫んだ。
「きみ! こっちだ、早く!」
ハストが声の方を見ると、少年は、
「早く!」
とさらに叫んだ。迷っている暇はない。ハストは少年の方へ向かった。
謎の少年はハストを先導して、逃げ道を案内してくれた。大通りから人目の届かぬ細い脇道に入っていき、狭くて複雑な路地裏をするすると迷うことなく進む。それからふたりは、どこかの家の裏庭の、鳥小屋の陰で身を潜めていた。そうしていると、しぶとい追手たちも、悪態をつきながら次々と来た道を戻っていく。
人の気配がしなくなると、謎の少年はちょこっと顔を路地に覗かせ、誰もいないことを確かめてから、言った。
「よし、もう安心だね」
ハストはホッと息をついた。
「どうなることかと思ったぜ」
ハストを助けてくれたのは、ひょろりと背の高い痩せた少年だった。アッシュラント人らしい赤い色の髪はくせ毛で、寝起きのようにぼさぼさだ。見てくれはとても貧しく、着ているものは襤褸だった。朗らかな優しい顔立ちをしているが、あちこち怪我をしていて、おでこにはできたばかりの大きな痣がある。少年は笑って言った。
「へへ、あそこで捕まってたら大変だったね」
「ありがとう。助かったよ」
ハストが礼を言うと、少年は手を差し出して自己紹介した。
「はじめまして。おいらはユハス、ここで牧童してるんだ」
握手をして、ハストも名乗る。
「よろしく、ユハス。おれはハスト、今日来たばかりの旅人だ」
「やっぱりハストって、冒険者なの?」
「違うよ。ただの流れ者さ」
ハストが答えると、ユハスは驚いて言った。
「本当!? あの『火炎の車輪』を簡単にやっつけてたんで、てっきり凄腕冒険者かと思った! さっきのは凄かったよ。おいらにゃハストが何をしたのか、全然わかんなかったけどさ」
「あれ……見てたんだな。酷い絡まれ方をしたんで、魔法で懲らしめたんだ。『火炎の車輪』って、あいつら有名人なのか?」
あの三人組が名を轟かせるような手練れにはとても思えず、ハストは尋ねた。
「あいつらは博打狂いで有名なんだよ。いつも金に困ってて、大人しそうな旅人に言いがかりをつけては、金品を脅し取るので知られてる。素行が悪すぎて、冒険者ギルドからは締め出されたって噂だけど、恰好つけなのか、冒険者集団みたいに名乗ってるんだ。大きな武器のゲラードだけは、強者として有名だった事もあるんだけどね」
「なるほどなぁ」
ハストは頷いた。要するに、ただの悪名である。するとユハスは、頭を掻きながらおずおずと言い出した。
「……それでさ、きみを助けたのには少し訳もあんだよね。おいら今ちょっと、どころかかな~り困ったことになっててね、できれば話を聞いてほしいんだけど――」
そこでハストは、ユハスの言葉を遮るように言った。
「待った! その前におれも、おまえに聞きたいことがあるんだ!」
「えっ? おいらに?」
ユハスがきょとんとした顔で聞くと、ハストは頷いて言った。
「『星の丘』って店、ここからどう行くかわかるか?」
すっかり迷子になってしまったハストだった。