moonlight capriccio③
こんな夜は、こんな夜は。
(正義ってなんなんですか、三枝さん!)
頭の中で誰かの叫ぶ声がして、三枝は頭を振った。
(三枝、正義とは正しい事をすればいいと言う訳ではないのだ)
呆れたような上司の声。
(相馬さん、自分は警官の誇りを捨てた訳ではありません!)
部下の侮蔑の目があの頃の自分を貫く。
(大人になれ、三枝!)
同僚がうまくやれ、と肩を叩くのだ。一匹狼なんて今の時代に流行らないぜと。お前も見て見ぬふりができないと馬鹿を見るぞと。
(あんたらの正義は間違っている!三枝さん、俺は一人だってやってみせますよ!…あんたはクズだ、権力に屈した負け犬だ!)
あの夜も月が明るかった。
若い刑事が殉職したという記事が十年前に新聞の一面を飾った。
その一ヶ月後、中堅の刑事が一人辞職した。
そして一人の男がやくざになった。
関わりのない者が見ればたったそれだけの事が、一人の男の人生を変えたのだ。
「ルミ、俺はクズかな」
血に塗れたシャツをルミに手渡しながら聞いた。
「まあ、善人じゃないわね」
ルミが悪戯そうに頬を歪める。
「でもいいのよ。クズってウンコみたいなもんよ。絞りカスよ。だからね、元々いい男はみいんなクズなの。いい男じゃない奴はクズにもなりゃしないんだもの。だからアタシはあんたが好き。好きよ。愛してるわ。この世で一番あんたの事を愛しているのはアタシよ。体よりも、あんたの心が欲しい。でも…もしもね、ジュリア・○バーツみたいな女があんたの事好きになって、あんたもその人を好きになったらアタシは喜んでシャワーライス撒き散らしてあげるわ。だからそれまでの間でいいの、…嫌わないでね」
「嫌うもんか」
「ねえお願い。今日の口止め料に嘘でもいいから愛してるって言ってちょうだい。私、あんたの言葉が欲しいのよ」
「…愛してる、ルミ」
「嬉しい」
そして、涙が一筋ルミの瞳から零れ落ちる。
嘘でもうれ、しいの。ルミは泣いていた。
三枝は自分が幸福な男だと思った。
こんなにも誰かが愛してくれる男が地球上に何人いるのだろうか。ルミの愛はかりそめではない。
三枝のたった一言で嬉し泣きをする女、いや女ではない。だが確かに三枝には極上の女に見えた。思わずシャンプーの匂いが残るルミの頭を抱きしめた。
ルミが嗚咽を上げて泣く。
「アタシ、こんなにも人を愛した事なんかなかったの、あんた優しいからアタシ甘えてしまう」
「甘えればいいさ、俺も甘えてる。普通の女なら朝四時に叩き起こす男がいたら怒鳴ってるよ」
「そんなことないわ、優しくするに決まってる、アタシよりも上手くやるわ。減らず口なんか叩かないであんたを癒すの」
「並みの女は俺には似合わねえよ。俺よりも背が高くて胸がペチャンコで男前の女が俺には一番だ」
「体は反応しないくせに」
「慣れだよ、俺は男に関してはドーテイなんだ。どんなベテランだって最初はヘマをやらかす。そうだろう?」
「上手いこと言ってくれるう」
朝日がやってくる。
月の姿はやがて失せ、白々とした光は無慈悲にすべてを照らす赤白い光に掻き消される。
それでもまた夜はやってきて、月は闇に隠れた負け犬を無邪気に照らすだろう。
どんなに隠れたって無駄さ、と笑いながら月は優しくおどけるだろう。
結局のところ月なんて物は、太陽に負けた虫けらの味方だ。
月のライトは気まぐれに誰かを主人公にさせるのだ。
『おわり』