番外編 暮れる①
晟也目線です。
気まぐれにお付き合いしてやろうじゃないか、と思っていただける方がいましたら読んでやってください。
それは風の強い日だった。
いつもより早めに出勤した俺は、見慣れない光景に一瞬足を止める。
桑井所長と話していた女が、髪を抑え、振り返る。俺は慌てて目を反らし、その横を通り過ぎた。
もうその時から、始まっていたのかもしれない。
一生関わることもない部類の人間であるその女は、悉く俺に関わろうとして来ていた。ただただウザいだけの存在……だったはずなのに……。
名前すら覚える気のないその女を、意識し始めてしまったのは、おそらくあの日からだろう。
悪い時には悪いことが重なる。というのは、どうやら生きている上の定番らしい。
季節はずれの風邪が大流行して、閑散とした人数で月末の仕事をすべて終わらせる必要があった。桑井所長も自ら伝票を片手に、作業に入っていた。誰もが必死だった。しかし、それを妨げるように、倉庫内に声が響き渡る。
大人しく事務仕事をこなしているはずだった女の姿がない。というのだ。
首を傾げ応対す桑井所長の声を聴きながら、何気なく見た瞬間、俺は考えるより先に躰が動いていた。
忙しさにかまけて、取り敢えず積み上げられた荷物が、俺の上に崩れ落ちて来るのを、必死で耐える。
恐怖のあまり、声も出せない女の顔が間近にあった。
誰も口にはしなかったが、それでなくても何時に仕事が終わるのか、分からない状態の中の、事故である。いっぺんで空気が悪くなったのは、確かだった。介護するように言われた坂東が、露骨に嫌がるのも致し方ない。そのことは女自身も承知したのだろう。気丈に振る舞い、一人で歩き出すが、満足に立っていられないくせして、清楚に着飾っている服だって泥だらけだし、足だってびっこを引いているじゃないか。桑井所長が苦笑いで、助けようと一歩踏み出す前に、俺の躰が勝手に動く。
早く片付けたい。ただそれだけだ。
女を肩に担ぎ、俺はそこで自分も重大な怪我をしてしまったことを知る。
右側の感覚がおかしかった。
女を事務所のソファーに落ち着かせ、俺は救急箱を手渡し、そのまま出て行くつもりだった。だが、女は当然のように、足を差し出してくるのだ。それがあまりに自然で、俺はつい笑いそうになってしまっていた。
手当なんてもんではない。腫れた足に、湿布を貼っただけである。
頭上で何かを耳にした気がした俺は、目を上げる。
目を潤ませながら、女は口をつんと尖らせそっぽを向く。
何てかわいげのない女だ。
呆れてものが言えないまま、俺は事務所を出て行こうとしていた。
俺は思い切り、後ろへ引き戻される。
一瞬何が起きたか、理解が出来ずにいる俺に、女のヒステリックな声が耳を劈く。
ズボンが破れ、そこから血が滲んでいるのをどうやら見つけたらしく、大騒ぎしている女を、俺は睨む。
謙虚なのか、ずうずうしいのか、その日から女の快進撃が始まった気がする。
そのすべてが、俺をイラつかせていることも知らずにだ。
疫病神でしかない、この女にどうして俺は、振り回されてしまっているのだろう。
「せいちゃんをこんな目に合わせた奴、八つ裂きにしてやる」
親父さんとの話を立ち聞きした凛子が息巻く。
「少し先延ばしになっただけだ」
そう言って宥めたものの、誰よりも俺自身が堪えていた。
願わくば関わりたくない相手である。
しかし、女は来る日も来る日も、俺の目の前に現れ、どんなに冷たくしても笑みを作り、弁当を差し出してくるのだ。
「男性にしては、食が細すぎですわ」
こいつが女でなければ、俺は何度もそう思った。
「あんた、バカなのか? 俺が嫌がっているのが、分からない?」
「まぁはしたない。あんたではなく、わたくしの名前は、五十嵐彩夢。と申しますわ。理解できて。五十嵐彩夢、五十嵐彩夢。よろしくって」
選挙でもあるまいし、何度も自分の名前を連呼する彩夢に、俺はいつの間にか、調子を狂わされてしまっていた。
何て奴だ。
もはや怒鳴る気力すらない。俺の中で、彩夢という存在は、天然記念物に値するようになっていった。
そんなある日、俺は肩を落とし歩く、彩夢に遭遇する。
いつでもバカみたいに明るい彩夢なのに、その日は背中に影を背負って歩いていた。理由は、すぐに想像がついた。
俺は気付くと、彩夢が大切そうに抱えていた荷物を奪っていた。
何て顔をしているんだ。今にも泣きそうな顔をして、唇を噛み、彩夢がこちらを見てくる。
彩夢が来る少し前から、会社が閉鎖する噂が、流れていた。桑井所長は、根も葉もない噂。と言っていたが、仕事の量が減っているのは、身をもって感じていることだった。そこに本社からの研修派遣である。誰もが、内部視察に来た。と思っていた。岡部のあたりがどうしてもきつくなってしまうのは、それが理由だろう。
「あんたさ、頑張り過ぎ」
みんなのご機嫌を取るため、毎日何かしら作ってくる彩夢が、痛々しかった。ただそれだけである。
今朝、凛子と遭遇した時、渡された栄養ドリンクが目に入る。
自分からつい出てしまった言葉をもみ消したい一心で俺は彩夢にそれを渡し、その場を離れて行く。
何てことだ。
自転車を止め振り返ると、息を切らした彩夢が立っていた。
「ありがとう」
嬉しそうに笑って言う彩夢に、俺は目のやり場を困る。
何かすいません。一度完結したくせに。思いついてしまったので、無理やりこじ開けてしまいました。




