エピローグ④
引き出しに、大事にしまわれた携帯電話を取り出す。それは、桑井から借りたまま返し忘れたものだった。
転寝をする晟也が、それには残されていた。
彩夢はラジオに耳を傾ける。
オープニングの曲が流れ、鹿磯のあいさつで番組が始まる。
薄暗い病室に人影を見つけた時、彩夢は息を飲んだ。
気力を失くし、自分がどうやって息をしているのかさえ分からなくなっていたのに……。
毎日のように花が飾られ、カーテン越し、心配げに見上げる難波がいた。
いつごろからだっただろう。
陽だまりに揺れるひなげしに、フッと涙がこぼれる。
二人はずっと昔から知り合いで、恋人同士だった。本当は別れたくなかった。
彩夢は難波の話を聞くたび、元気になって行った。
難波と出会って二年である。
心の整理をつけたはずなのに……。
「さて次は、コードネームサイレントさんからです。今晩は。今晩は。今、すごく気になっている女性がいます。その女性は自分より年上で、とてもきれいな人です。彼女のことが頭から離れず、勉強が手につきません。そんなご経験、二人にはありますか。ってことですが、エスさん、ありますか」
やたら静雄が、ラジオを聴いてくれ。と言ってきたのか、理由が分かった彩夢はフッと笑みを零す。
「ない」
即決で答える晟也に、鹿磯の軽快な喋りが続く。
「断言しましたけど、本当はあるんじゃないの」
「ないものはない」
喋り方が、昔のままである。
「ていうことですが、俺はあるな。寝ても覚めても、その子のことが頭から離れなくって、このままじゃダメだぁ。と思い、自転車飛ばしてその子に、告白しに行きましたよ」
「あああれか。例の蕎麦屋事件だろ」
「嫌ですねこの男は。人の淡い初恋を、いつもそうやってばかにしますけど、そういうエスさんだって、相当モテたでしょ」
「俺のことはいいから。自分の話を続けろよ」
「そうやって、恍けるところが怪しい。今でも忘れられなくて、待っている女性が、ごろごろいそうですね」
「それ以上言ったら、本気で怒るぞ」
核心に迫る二人の会話に、彩夢は身を乗り出す。
「分かった分かった。エスさん、本当にこの手の話、嫌うよな。大事な相方を怒らせたくないので、話はここまで。まあれですよ。酸いも甘いもあるのが、恋ってことで、この曲をどうぞ」
ラジオから懐かしい曲が流れ、彩夢は深い息を漏らす。
自動ドアが開き、中へ入ってくる晟也に向かって、彩夢はまっすぐ歩いて行く。
「あなたは」
「お久しぶりです」
鹿磯の肩越しに見て来る晟也だけを、彩夢は見詰めていた。
「今日は、挨拶に参りましたの」
顔を顰める晟也に、彩夢は微笑む。
「挨拶って?」
「その内、お分かりになりますわ」
首を傾げる鹿磯をよそに、彩夢は晟也から目を外さないまま続ける。
「どういうおつもりか存じ上げませんが、わたくしのこと、あまり見くびらない方がよろしくってよ」
自分の顔を見ても、顔色一つ変えない晟也が、憎らしく思う彩夢だった。
晟也とすれ違う時、ほのかな期待をしたことに、彩夢は肩を落とす。
彩夢は物陰に身を隠し、そっと中の様子を伺う。
歩いて行く二人の後姿に、静雄が言った言葉が思い出される。
もし本当にそうだとしたら……。
考えたくもないことに、彩夢は頭を振る。
「彩夢様」
急に話しかけられ、彩夢は飛び上がってしまっていた。
「梶山、脅かさないでちょうだい。心臓が止まるかと思ったじゃない」
「それは、大変申し訳ございませんでした。しかし彩夢様、急がれませんと」
冷静に話す梶山に、彩夢は自ずと、険しい顔になってしまっていた。
「そんなこと、あなたに言われなくても、分かっていてよ」
憎まれ口を叩く彩夢に、梶山の口元がほんのわずかに緩む。
このひと月、彩夢はこの日のために頑張って来たのである。




