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エピローグ③

 難波とはすれ違ったまま、こんな日を迎えてしまったことを彩夢は心苦しく思う。

 ぼんやりしてしまうことが増えてしまった彩夢を気遣い、芳谷の勧めで実家に戻ることになった彩夢だったが、決めた今でも、まだ迷ったままである。すぐに戻ってくる。と約束をする自信が持てず、知っているのは、極一部の人間だけだった。

 一人で行く。そう決めたのは、彩夢自身である。

 

 改札を抜けようとする彩夢は呼び止められ、目を瞠る。

 何も知らないはずの難波が、ジャージ姿で息を切らし、そこに立っていた。

 「間に合うた」

 突然の出来事に、彩夢は酷く動揺する。

 「征四郎さん……どうして……」

 「酷いな。わしに黙って行こうとするなんて」

 「征四郎さん、わたくし」

 瞳を揺らす彩夢に、難波はどこまでも明るく振る舞う。

 「久しぶりに家族に会うて、ホームシックになってしもうたじゃろ。ずっと帰っとらなんだんだ。ゆっくり、ご両親に甘えて来るとええ。いつでもええ。帰って来てくれるよね? その時はわし、迎えに行く。絶対に行く。じゃけぇわしの気持ちを持って行って欲しい」

 思い余った難波は、彩夢の左手を掴んでいた。

 たったそれだけのことであるのに、呼吸が出来なくなってしまった彩夢が、その場にうずくまる。その足元に、指輪が転げ落ちる。

 顔面蒼白で立ち尽くす難波に、何か言わなければ。と思う彩夢だったが、そのまま意識を失ってしまう。


 芳谷夫妻に迎えられた梶山が、深く腰を折る。

 「お待たせいたしました」

 「ご足労、ご苦労様です」

 「彩夢お嬢様のご様子は」

 「今は落ち着いております。おそらく、一過性のものでしょう」

 「今、お連れしても?」

 「本人の希望じゃ。どうぞよろしゅうお願いします」

 「ちいと待てや親父。わしゃ納得してねぇぞ。どうして今更、彩夢さんを自宅へ帰すんじゃよ。ぼんやりしちまうのなんて、今始まったことじゃねぇし。最近は、でーぶ落ち着いとったじゃねぇかよ。親父だって、このまま克服できるかもしれん。っ言うとったじゃねぇか。全部、難波のせいじゃろ? あいつせー近寄らせなけりゃあええだけの話じゃねぇの」

 ドアの前を立ち塞ぐ静雄に、芳谷は眉根を寄せる。

 「静雄」

 ドアから引き離そうとする優梨愛の手を、静雄は振り払う。

 「どうしてじゃ」

 「ええけぇ。彩夢さんが好きなら、笑うて送り出してあげられー。それが男っていうものよ」

 「そねーなの、わしは嫌じゃ」

 頑として動こうとしない静雄に、優梨愛は目頭を押さえる。

 「もうええ」

 芳谷が力づくで、静雄を退かそうとしたその時だった。

 静かにドアが開き、彩夢が中から荷物を持って出てくる。

 「彩夢お嬢様」

 「梶山、ご苦労様。参りましょう」

 「彩夢さん、嘘じゃろ。わしの、受験勉強に付き合うてくれるんじゃなかったのか。頼むけぇ行かんでくれ」

 「静雄君、酷い顔ね。男は身だしなみも大切よ。あなたは、良い男なんだから、髪をこうして、涙は似合わないでしょ。これで良し」

 静雄の髪を撫でつけ、涙を拭きとった彩夢は優しく微笑む。

 「院長先生、優梨愛さん、お世話になりました」

 「こっちのこたぁ、心配せんでええ。早う行きられー」

 「いつでも帰っていらっしゃい」

 「ありがとうございます」

 「お荷物を」

 「わしゃ嫌じゃ。彩夢さん、行かんでくれ。わし、彩夢さんのことが、好きじゃ。好きで好きで堪らんのじゃ」

 泣き叫ぶ静雄を、芳谷が必死で抑える。


 この決断が、正しいものなのか、彩夢も自信がなかった。


 急にブレーキを掛けられ、綾夢は両手で覆うっていたその顔を上げる。

 夕闇に紛れて、誰かが駆け寄って来ていた。

 どこでどう時間を過ごしていたのか、ジャージ姿のままの難波が、必死の形相でドアを叩く。

 「彩夢様」

 「梶山、少し時間を頂くわね」

 「しかし……」

 そう言った彩夢の顔は、凛としていた。

 疲れ切った顔をする難波に、彩夢は頭を下げる。そして、無言でしばらく歩き、どちらともなく足を止める。

 「彩夢さん、今日のこたぁ、わしが悪かった。この通りじゃ、許しんせー。けど、わしの気持ちも分かって欲しい。わしゃ彩夢さんのことを、愛しとるんじゃ。どこにもやりとうねえ。ずっとわしんねきに居て欲しい。ただそれだけなんじゃ」

 力なく言う難波に、彩夢は必死で涙を堪える。

 「征四郎さん、わたくしもずっとそう思っておりましたわ」

 「じゃったら」

 「本当にごめんなさい。わたくしには、その申し出を受ける資格は、ございませんわ」

 「何を言いよーる。わしには分からん。君も言うとったじゃねえか。わしだけが、君の心を開く鍵だって。なぜ、今になって背を向ける? 君を闇から救い出せるなぁ、このわしだけのはず。なぁ、もっぺんよう考えてくれ。君の作った弁当の味が、忘れらねえ。美味うって美味うって、箸が止まらなんだ。また、わしのために作ってくりょ。二人の楽しかった思い出じゃろ? まだまだある。わしはずっと君にべた惚れで、一緒に居られるだけでうれしかった。じゃけぇ君が回復するのを、ずっとそばで待つことが出来た。その気持ちは今でも変わらん。それだけじゃ足らんのか」

 「ごめんなさい」

 踵を返す彩夢に、必死で伸ばす難波の手を、梶山にひねり上げられてしまう。 

 「どうかご理解を」

 「彩夢さん、一つだけ聞かせんせー。もしかして、ずっとわしの嘘に、気が付いとったのじゃねえか」

 一瞬、足を止めた彩夢だったが、そこに言葉はなかった。

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