エピローグ①
最終章です。ここまでの足取り。
政略結婚を迫られ、一度はあきらめた晟也への思いだったが、祥希の束縛に耐えきれなくなり、何もかも嫌になってしまった川を見つめる綾夢を、奇しくも偶然通りかかった晟也が、救う。これを運命だと信じた綾夢は、自分の気持ちに正直に生きようと決める。しかし、冷ややかに笑う祥希が、それを許さなかった。
すべてを祥希に委ねた綾夢だったが、自分の心に嘘がつけず、一切食事を受け付けなくなる。だんだんみすぼらしい姿に堪えかねた祥希は、違法の薬を栄養剤と偽り、投与させてしまう。薬の力で乞うように甘えてくる彩夢に、完璧主義の祥希にとって、屈辱でしかなかった。だんだん暴力を振うことが増え、怯えた目で見られるたび、すべては晟也のせいにし、憎しみを募らせていく。そして、晟也を陥れようと狂言をでっちあげるのだった。上手くいったと思われたその計画も、椎野木の裏切りにあい、晴れて自由の身になった彩夢は、晟也へ思いを馳せる。幸せの絶頂だったある日、晟也が忽然と姿を消してしまうのだった。ボロボロになってしまった彩夢は、自分を取り戻すため、叔父である芳谷の元へ身を寄せる。そこで知り合った難波の優しさに触れ、支えられ、看護師として生きることを決めるのだった。
そして、雨がそぼ降る夜、彩夢は難波からプロポーズを受ける。しかし……。
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ロールスロイスなど見たことがない、静雄である。
興奮冷めやらない静雄は、梶山の手によって開かれたドアを前に、躊躇してしまう。
「わし必要ある?」
「ありますわ。静雄さんがいらっしゃらなければ番組のことが分かりませんわ。それに」
チラッと梶山を見た彩夢が耳打ちをする。
「わたくし、この人のことあまり好きではなくってよ」
静雄の顔が、みるみる赤くなっていく。
「だったら何で頼る。って今、思いましたわね」
大きく頷く静雄を見て、彩夢は大げさにため息を吐く。
「常套手段ですわ」
いつもと感じが違う彩夢に、静雄は目を見開く。
「常套って、時々彩夢さんがよう分からんようになる」
何を言われても、心が浮きだってしまう彩夢だった。
丁重な言葉で交渉する梶山の傍らで、ここへ来れた。というだけで満足しきっている静雄に、彩夢は苦笑いをする。
「彩夢さん見て見て、これ何時も聞いちょるホールドアップのポスターじゃ」
思いがけず、交渉は難航してしまっていた。
西園寺が一線から外れてしまって、だいぶ経つ。しかし、ここ何年かで盛り返してきているのも確かである。
落胆の色を隠せずにいた彩夢だったが、自動ドアが開き、目を瞠る。
談笑しながら二人の男が、入って来ていた。
「なぁ彩夢さん。エスさんって顔出し、NGなんじゃのぉ」
振り返った静雄は、緊張した顔をする彩夢に小首を傾げる。
「彩夢さん、どうかした?」
「あの声」
彩夢が見詰める先を、静雄も自ずと見る。
大柄の二人が、躰をくっつけるように、こちらへ向かって歩いてきていた。
驚きの眼で、さっきまで眺めていたポスターとその二人を見比べる静雄を置いて、彩夢は駆け寄って行く。
唐突に駆け寄ってくる二人に、サングラスを掛けている男を、もう一人の男が庇うように背を向ける。
寸前のところで足を止めた彩夢は、口を手で覆う。
「あの、あのすいません。もしかしてホールドアップの鹿磯さんですか? 俺、ずっとファンで聞いています」
興奮しきった静雄はそんな彩夢に構わず、夢中で二人に話しかけはじめていた。
「それはどうも」
相手に害がないことを知り、向き直った鹿磯は笑みを見せたものの、その足を止めようとはしなかった。サングラスを掛けた男に関しては、依然とその手を、肩に置かれていた。
「ちいと待ちんせー。彩夢さん、何をしょーる。早うこっちへおいでよ。この人たちに会いとうて来たんじゃろ。もう仕方ねえなぁ」
立ち尽くす彩夢の持つバッグを、静雄は引っ張り寄せる。
「すいません。僕ら急ぐので」
そう言って鹿磯は、肩に置かれた手へ合図を送る。
「お待ちになって、あなた、わたくしとどこかでお会いしたことがございませんでしょうか」
やっとの思いで聞く彩夢に、鹿磯はさわやかな笑顔を見せる。
「残念ですが、あなたのようなきれいな方とは、一度もお会いしたことがございません」
「あなたに、お聞きしておりませんわ。わたくし、隣りにいらっしゃる方へお聞いておりますの」
今度はサングラスを掛けた男の方が、行くように、鹿磯の肩へ合図を送る。
「なぜ、お答えしてくださらないの?」
「ちいと待ちんせー」
素通りしようとする二人に、静雄が立ち塞ぐ。
「東京人てのは、そねーにひやいのかよ。この人、あんたに会いとうて、好きでもない人に頼んでまで、会いに来たんじゃぞ。少しくらい、話をしてくれたってええじゃないか。あんた、エスさんなんじゃろ? それくらい教えてくれたってええじゃないか」
ムキになって言う静雄に、サングラスを掛けた男の口元がわずかに緩む。
「何がおかしい」
今にも噛みつきそうな静雄を、苦笑いで鹿磯が手で払う。
「わざわざ訪ねて来てくれて、有難いんだけど、そういうの一切、断っているんだ俺たち。特にこいつに関しては。ファンならそこんとこ、汲んでください」
確かにポスターも顔を隠されていたが、彩夢のことを思うと、静雄はここで引き下がるわけにはいかなかった。
「そうかもしれんけど。せめて、彩夢さんの質問に答えてくれたってええんじゃねえか」
「忍、行こう」
「申し訳ないですが」
「じゃけぇ待てって」
鹿磯に頭を下げられてもなお、引き下がろうとする静雄を止めたのは、梶山だった。
「お忙しい方々を、これ以上お引止めしては」
「彩夢さんが」
一言も発しない彩夢を気遣い、顔見た静雄は言葉を失う。
その眼には、涙がいっぱいになっていた。
二人の姿が、エレベーターホールへ消えて行き、静雄は首を傾げながら梶山を見る。
「彩夢様、お車へ」
「結構よ。静雄君電車に乗りましょ」
よろめきながら踵を返す彩夢を横目に、静雄は梶山にそっと聞く。
「彩夢さんとエスさんって、何かあるの?」
「何かと申されますと」
「ようわからんけど、エスさんの顔色が、少し変わっとったようじゃけぇ。そう言う関係じゃったんじゃろうか、思うてさ」
「さぁどうでしょう。私は存じあげませんが」
平然と言う梶山に、静雄は眉根を寄せる。
「静雄君、置いて行きますわよ」
「彩夢さん、待って。置いて行かんでくれ」
きびきび歩く彩夢を追いかけ、静雄が走って行くのを見届け、梶山は踵を返す。
ミーティングルームに通された梶山は、深々と腰を折る。
「比嘉様。こちらに、おいででございましたか」
「お久しぶりです。五十嵐さんも、お元気そうで」
梶山が首を竦める。
「彼女、俺のこと分からないようだったけど、あっちの方は良くなってんですか?」
「少しずつではありますが、快方に向かわれているようでございます」
「それは良かった。一緒にいた彼は?」
「今、彩夢様がお世話になっておられる方の、ご子息でございます」
サングラスを外し、フッと柔らかい笑みを浮かべる晟也を見て、梶山は愕然としてしまっていた。
「声の感じだと、だいぶ若そうだったけど。彼が付いていれば、もう安心だ」
「比嘉様、もしやもう」
晟也は、肩を竦めて見せる。




