第十章 消えない想い⑤
念願かなって、晟也とデートをすることに……。
タクシーで行く。と晟也が言い出した時、想像もしていなかった景色が、目の前に広がっていた。
「きれい」
そこここ彼処に、雪が残る道を湖畔目がけ、前を歩いて行く彩夢に晟也は苦笑する。
「ねぇダーリン、あれを見て」
振り返ると、そんな彩夢が恥ずかしいのか、晟也はそっぽを向いてしまっていた。
「どちらを見ていらっしゃるの? もう」
いつもと変わらない晟也だが、またそれが嬉しくて、彩夢は声を弾ませる。
「早くいらっしゃって」
ゆっくり歩く晟也が待ちきれず、先へ先へと進み、彩夢は頻りにカメラのシャッターを切り続ける。
「ダーリン、あそこでお食事が出来るみたいですわ。行ってみましょう」
「少し落ち着けよ」
先を急ごうとする彩夢の腕を掴んだものの、晟也はすぐその手を放す。
「わたくしとしたことが嫌ですわ。つい嬉しくって」
ほんのり頬を染め俯いた彩夢は、首にふんわり温かいものを感じ、晟也を見る。
首にはストールが掛けられていた。
「病み上がりだ。暖かくしていろ」
晟也にぶっきらぼうに言われ、彩夢は微笑む。
「腹減ったな」
目を反らし言う晟也の袖口を、彩夢はそっと掴む。
恋が、こんなに楽しいものなんて、知らなかった、彩夢である。
好き。という気持ちがどんどん加速していき、彩夢は気が付くと、晟也の袖を引っ張っていた。
高いところは苦手。と言われても何のその。
渋る晟也と向かい合わせで座った彩夢は、窓から見える景色を満喫しきっていた。
楽しい時間というのは、あっという間である。
名残惜しくする彩夢を無視してタクシーへ乗る晟也に、鬼。とつい悪たれをついてしまうほど、このひと時を手放したくなかったのである。だから……。
彩夢は、晟也が何を考えているかなど、何一つ気にも留めずにいた。
次第にタクシーは彩夢の家に近づき、見慣れた風景が見え始めていた。
始終無口だった晟也が、思いがけないことを言い出したのは、そんな時である。
一瞬、何を言われたのか、彩夢はうまく聞き取れずにいた。
「今、何て仰ったの?」
まさかの思いで、彩夢は晟也の顔を食い入るように見詰める。
「だから、しばらく会えなくなる。電話もするな。しても無駄だ。電源は切るつもりだ」
「なぜですの?」
信じがたい言葉に、彩夢は首を振る。
「嫌ですわ」
「試合前は、いつもそうしている。凛子の親父さんと、山にこもって、集中力を高めるんだ」
「それでしたら、わたくしもささやかながら、サポートをいたしますわ。実はそのための勉強も少々、しておりますのよ」
「頼むから。俺がしたいようにさせてくれ」
疲れ切った表情で言う晟也に、彩夢はなおも首を横に振り続ける。
「そんなことを仰って、本当は凛子さんに、頼むおつもりなんでしょ。そんなの、絶対に許せなくてよ」
涙ながらの訴えに、晟也は嘆息をもらす。
「あいつは関係ない。あいつだって受験を間近に控えていて、それどころじゃないだろうし、それにお前、言っとくがな」
そこまで言いかけて、晟也は口を噤んでしまう。
「何ですの。はっきり仰ってください」
運転手が口論をしだす二人を、ミラー越しにチラチラ見ていた。
晟也は、深く息を吐き出す。
「もっと自分に、自信を持てよ」
晟也にまっすぐ見つめ返され、彩夢は唇を噛む。
「散々、迷惑をお掛けしてしまったわたくしですもの。少しでも、ダーリンのお役に立ちたくってよ」
これだけは、譲りたくない、彩夢である。
晟也は頭を掻き毟る。
「絶対ですわよ」
減量をする期間だけ。そう約束させられてしまい、外を眺める晟也の顔は複雑な心境を、物語っていた。
「ダーリン、わたくし、有りとあらゆる勝負の神様へ、お願いして歩きますわ」
「いらん。俺はそんな神頼みしなくても、自分の力で勝ち取って見せる」
「そうでしたわね。わたくしのダーリンは世界一。いいえ、宇宙一、強い男ですものね」
明るく振る舞ったものの、踵を返した晟也の背中へ、綾夢は思わず額を押し当ててしまっていた。
「少しの辛抱ですわね」
「バーカ」
「ダーリン。好き」
声を振るわす綾夢に、晟也は一度も振り返ることはなかった。




