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第一章 希望を胸に④

迷惑がられていることに、まったく気が付かずにいる彩夢の胸は、希望に満ち溢れていた。

 保科に彩夢を託した桑井は、一息つく。

 「所長、今の人、新しい人?」

 元主任だった柏木すら聞かされていない、本社からの研修員話である。

 すべて内密にで。と言う梶山の言葉が、桑井を言い淀まさせた。

 おぼつかない説明をする桑井だったが、首を傾げつつ柏木は執拗に追求してはこなかった。

 「お偉いさんの頼みじゃ仕方がねぇか」

 自分で淹れてきたお茶を口へ運ぶ柏木に、桑井は胸を撫で下ろす。

 長年の付き合いである。

 年上である柏木を使わなくてはならないと知った日のことを、ふと、桑井は思い出す。

 内示が出たその日、桑井は柏木とまともに目を合わせることが出来ずにいた。

 ずっと面倒を見てくれた大先輩を差し置いての出世。規模はそれほど大きくない会社だが、年功序列の文字が頭から離れなかった桑井を救ったのも、柏木の一言だった。

 「誰が上になろうが下になろうが、何も変わらんよ。そうだろ桑井所長。俺たちがやることは一緒だ。ただあんたに雑務が増えた。ただそれだけだ。俺のことは気にするな」

 肩を叩かれ言われた時、どれほど救われたか……。

 桑井が30歳の時の話である。


 あの時と同じように柏木は、桑井の肩を叩き先に事務所を出て行く。

 すでに集まり終えた従業員たちの好奇な目に晒され、桑井は気まずさに目を伏せる。

 この状況下で、人手を増やす。それがどんなに無謀なことか、ここにいる誰もが知っていることだ。責められても、言い逃れができない。

 桑井の下腹が差し込む。

 何も知らない彩夢は優越感に浸っていた。

 「わたくし本社から派遣されてまいりました五十嵐彩夢と申します。新たな挑戦に胸を躍らせている次第でございます。一年という短い期間ですが、皆様とこの回酢屋の発展のため、何かを成し遂げられたらと思う所存でございます。若輩者のわたくしではありますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」

 選挙さながらの演説を仕切った止めに、桑井の眉が下がる。

 その情けない顔が何を意味しているのかなどまるで考えない彩夢は、早く仕事がしたくてうずうずしてい堪らなかった。


 「五十嵐さんは、ここで働いて頂きます」

 管理室のプレートが貼られたアルミドアが開いた途端、部屋にいた女性が、驚いたように振り返る。

 「岡部さん急で悪いけど、五十嵐さんの面倒、お願いできるかな?」

 「え? ここ? ピッキングじゃなくって? あたしとムーさんと二人いれば充分だけど」

 訝る岡部に、桑井は苦笑いを浮かべつつ、言い返す。

 「村上さんには、検品へ回ってもらう」

 「検品? それは所長と私らで手分けをすれば」

 「五十嵐さんはここで、受注発注を担当してもらいます。仕事内容はここに居る、岡部さんが親切丁寧に教えてくれると思うから」

 親切丁寧の部分を強く強調させた桑井に、岡部が不服そうに口を尖らす。

 「それどういう意味よ所長」

 「よろしく頼んだぞ。くれぐれも失礼がないようにな」

 「失礼って」

 目の前でドアを閉められ、岡部は目を瞬かせ、彩夢を顧みる。


 岡部の反応は、桑井が想像した通りだった。

 一年と言わず、一日で音を上げてくれれば……。

 梶山は、彩夢の意思で辞めたい。と申し出られては、それは否めない。と付け足していたのである。

 所詮、お嬢様育ち。ガサツなと言っては岡部に失礼だが、あのきつさでやられれば、大抵のものが音を上げる。それで何人もの人が辞めていった実績もある。心苦しいが、こうすることが、お互いのためでもある。

 そんな思惑があるなどと、まったく疑わない彩夢だった。


 マルシチは桑井と岡部と営業員が社員で、他はすべてパートアルバイト従業員と嘱託員の構成になっている。

 「チっ。もう仕方がないな。じゃあ教えるからそこ座って」

 不機嫌を丸出しにして来る岡部だったに面を食らってしまったものの、源次郎に比べたらかわいいものである。

 目が合い、彩夢は極上の笑みで返す。

 「岡部様、改めましてわたくし五十嵐彩夢と申し上げます。よろしくお願いいたします」

 彩夢にとって完璧だと思われた挨拶だったが、岡部にはむず痒いものとしか思われていなかった。

 「あのさ五十嵐さんってやたら言葉遣いが良いけど、お嬢様学校の出身だとかなの?」

 面倒くさそうに岡部に聞かれ、彩夢は一瞬言い淀む。

 「お嬢様って」

 予想外の反応を示す彩夢に、岡部の機嫌はますます悪くなる。

 「何、その反応? 聞かれてはまずいわけ? 本社から来たからってお高く留まっているんじゃないわよ」

 「そのようなつもりは」

 「はいはい。一応言っとくけど、これでもあたしここの数少ない社員だからね」

 鼻の穴をふくらまして言う岡部に、彩夢はきょとんとしてしまう。

 「そうでしたのね」

 岡部が何を言わんとしているのか、まったくと言っていいほど理解できない彩夢である。

 「ちょいちょいムカつく言い方するね」

 「ムカつくって言われましても」

 まるで話にならない彩夢に、岡部は腹立ちまぎれに席を立つ。

 「あの?」

 「トイレ」

 一人取り残された彩夢は、何が起きたのか理解に苦しむ。


 そうこうしているうちに、受付窓口が叩かれ彩夢はドアを顧みる。

 岡部は一向に戻ってくる気配がなかった。

 「新入りさん?」

 「ええそうですの。よろしくお願いたします」

 差し出された伝票に目を落としたものの、どうしていいのか分からない彩夢である。

 愛想笑いで誤魔化せるのも、限度がある。

 「少しお待ちいただけますか。わたくし今日が初日ですの。何もまだ教わっておりませんので」

 「待つ待つ。幾らでも待つ。名前なんて言うの? 彼氏とかいる? 良かったら」

 携帯を取り出し話され、彩夢は曖昧な笑みで受け流すのが精いっぱいだった。泣きそうな思いで彩夢は

 ドアが開く気配にどれだけほっとさせられたか。

 「岡部様、この方が」

 喜び勇み振り返って言う彩夢は、目を見開く。

 「軽部さん、待っていたんだ。この前納品して貰ったやつだけど」

 「何か問題?」

 「ああ。ちょっと来て」

 無造作に入ってきた晟也に言われ、軽部から軽佻さが消える。

 どうしてこのタイミングで、晟也がここへやって来たのか定かではない。しかし救われたのは確かである。入れ違いに戻ってきた岡部の反応からしても、それは滅多にあることではないらしい。

 無言でドアの方を射妻xでも見ている彩夢を面白く思わない岡部の嫌味が始まる。

 「何? もう男漁り。比嘉はここで唯一若い男だからね」

 「そんなこと考えておりませんわ」

 「どうだか」

 「冗談にもほどがあってよ」

 ついムキになって否定する自分に気が付き、彩夢は目を伏せる。

 不愛想で粗野。今まで彩夢の周りに居なかった感じの、晟也がどうしてこれまで気になるのか、まるで分らない彩夢だった。

 





 


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