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第十章 消えない想い③

 ――空港のロビー。


 哲司の手術の日が決まり、彩夢が付き添うことが決まったのは、少し前の話である。

 最初は、晟也と離れたがらなかった彩夢だが、哲司に頼み込まれては、断り切れず、涙ながら承諾したのだった。


 離陸する飛行機を眺めながら、安堵の息が自ずと零れる。

 「行かれたのですね」

 その声に反応して、晟也が振り返る。

 「その節は」

 痩せこけてしまった頬が、その苦労を物語っていた。

 「お久しぶりです。急に呼び出したりして、申し訳ありません」

 「いいえそれは」

 謙虚に振る舞う椎野木に、晟也は近くのカフェへ促す。

 話しは、しばらく続けられ、先に立った晟也が、椎野木に頭を下げる。

 慌てて席を立った椎野木が、晟也に頻りに何か言っている様子が、ガラス越しに映し出されていたことなど、彩夢は知る由もなかった。


 「ダーリン」

 その声に、晟也はギクリと振り返る。

 彩夢が渡米して二週間。

 平和だった晟也は、抱き付かれ苦虫を噛み潰したような顔で、彩夢を見る。

 「浮気、していないでしょうね?」

 「浮気も何も、俺らはそういう関係じゃないだろ。離れろ」

 「また、そんなことを仰って。もうダーリンは、照れ屋さんなんだから」

 渡米するにはもう一つ、彩夢のカウセリングがあった。

 予約したものの、直前になって、姿を消してしまったことは、梶山から連絡を受けていた。

 難しい顔をする晟也に、全く気が付かない振りをして、彩夢は事務所の中へと入って行く。

 「おお彩夢ちゃん、お帰り遊ばれましたか」

 「青磁叔父様、ただいま」

 「わたくし、退学届、出してまいりましたわ。これで晴れて社会人になれますことよ。叔父様、見ていらっしゃっていてね。必ずここを大型の物流センターに、して見せますわ」

 意気揚々と事業計画を話し始める彩夢を、窓越しに認めた晟也は、やれやれと首を振る。

 梶山が言った通りである。

 「参った」

 そう呟き、晟也は空を仰ぎ見る。


 「彩夢様のことです。素直にお請けになったには、何か魂胆がおありなのかと、存じ上げます。その時は、今以上に、暖かくお迎え頂きたいかと、重ね重ねお願い申し上げます」

 迎えに来た日の、梶山が残していった言葉である。

 しかし、渡米はいいきっかけになったことは、間違いなかった。だいぶ顔色が良い。

 窓越しに晟也と目があった木庭が、目を細める。

 話は昼休みまで及び、チャイムを聞くと同時に、綾夢は事務所を飛び出す。

 「ダーリン、早く手を洗ってきて」

 フォークリフトから降りるなり、飛び付かれ、晟也は危うくバランスを崩しそうになりながら、彩夢を受け止める。

 「お腹、すきましたわね。今日も腕によりをかけて、お作りしてきましたのよ。あと、聞いて欲しいお話が、沢山あって、もう何から話しましょう。早く。花摘みも澄ましていらっしゃってね」

 そう言い残しお弁当を取りに行く綾夢を、晟也は眩しそうに見送る。

 決して、綾夢には見られてくない顔である。

 「へぇ比嘉でも、そんな顔をするんだ?」

 まずいところを保科に見られて、晟也は慌ててトイレへと入って行く。 


 厚手のコートを羽織り、寒い寒いと言っている割に、彩夢は好んでこのベンチで昼食を取りたがる。

 「早くこちらにいらっしゃって。時間差で眠くって仕方なくってよ」

 ポットから白い湯気を上げるお茶を注ぎながら言う彩夢に、晟也はポケットに手を突っ込みながら苦笑する。

 「だったら家へ帰れよ」

 「社長命令よ。ここにお座りになって」

 「ったく」

 渋々座る晟也に彩夢はすかさず、料理を差し出す。

 「はい。ダーリンアーン」

 「あのな」

 呆れながら言う晟也に、彩夢は目を潤ませる。

 「わたくし、眠い目を擦り頑張りましたのよ」

 「だから何だって言うんだよ」

 芝居掛かった彩夢の口調に、晟也はつい笑ってしまう。

 「何がおかしくって。もうわたくしがいないと冷蔵庫の中、悲惨なものでしたわ。本当にダーリンたら、わたくしがいないとダメダメちゃんですわね。でももう安心なさって。すべての用事を済まして参りましたから」

 「うっせぇ」


 枯葉が風に運ばれ、音を奏でるのを、晟也はじっと見つめる。


 余程、疲れたのだろう。散々はしゃぎ喋りとおした彩夢は、晟也の肩を借り、いつの間にか小さな寝息を立てはじめていた。

 「寝ちゃったんですね」

 様子を見に来た桑井に、晟也は困った顔をして見せる。

 彩夢がPSDTであることは、桑井と晟也以外、伏せてある。だが言わずと知れたことのようだ。事情を知っている保科たちは、薄々気が付いているようだった。

 「心行くまで、休ませてあげてください」

 そう言うと、手にしていたショールを彩夢に掛け、桑井は事務所へ戻って行く。


 晟也はそっと彩夢の髪を撫でる。

 「ったく」

 嫌になるくらい、彩夢の髪は甘い香りがしていた。

 晟也は空を仰ぐ。

 今日はやけに目に染みる青さである。

 

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