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第九章  追憶の果て⑦

 「あんたはここの席じゃないしょ?」

 このまま帰ってしまうのが惜しくなった彩夢は、待たせていた車を帰すと、その足で岡部がいる管理室へと入って行く。

 「いいえ。間違いなくここがわたくしの席ですわ。社長なんて、わたくしの器ではありませんわ。しかし一つ、岡部さんには謝らなければならないことがございまして」

 急に改まられ、岡部の顔が若干ひきつる。

 「わたくしとしては今まで通り、平の平社員で働くつもりでおりましたが、それではどうやら社長の面目が立たないようなので、こちらの責任者という運びになってしまいました」

 「てことは、彩夢があたしの上司になるってこと?」

 歎息をついた彩夢が首を横に振るのを見て、岡部はがっくりと項垂れる。

 「クビってことか。参ったな」

 岡部の呟きなどまるで耳に入っていない様子の彩夢は、部屋を見て歩き始めていた。

 「で、あたしゃいつまでここに居られるの?」

 「え? 何か仰って?」

 振り返った彩夢がやたら嬉しそうな顔をしているのに、岡部がムッとする。

 「だから、あたしは何時までだって、聞いているの?」

 「そうですわね、なるべく早い方が良いと存じ上げますが、色々な面を考慮して一日付での着任てことで、如何でしょう」

 彩夢との会話がかみ合わないことに、岡部の機嫌がますます悪くなる。

 「あんたの話しじゃなくってさ」

 「ですから、岡部さんには営業部長を、一日付でお願いしようかと」

 平然とした顔で言う彩夢に、岡部が口をあんぐりとあける。

 「断ったりいたしませんよね?」

 岡部の反応を見て、不安になった彩夢が小首を傾げ訊く。

 言葉の意味を理解すのに、岡部は少し時間がかかってしまっていた。

 「もしかして、役職名にご不満でもありまして? えっとそうしましたら、営業統括部長取締役っていうのはいかがです。少々舌を噛みそうになりますけど」

 やたら早口で捲し立てる彩夢に、岡部は吹き出してしまう。

 「彩夢あんた、しばらく会わんうちに、感じが変わったね」

 その言葉を聞いて、目を見開く彩夢を見て、岡部がゲラゲラと笑い始める。

 「悪い意味じゃなくって。あたしは全然そっちの方が好き。なんだかよく分からんけどさ、ここ辞めなくて済むなら、あたしは何でもOKだよ」

 「では、お受け下さるのですね」

 「その営業何ちゃらは、勘弁してくれ。そんなの引き受けたらますます行き遅れちゃうじゃない」

 「心配はいりませんわ。福利厚生はきちんとさせるつもりですし、必要なら託児所も設けても良いと考えておりますの」

 「どんどん話が大きくなっているけど、この規模で、その待遇は必要ないっしょ。て言うかさその前に相手がおらんあたしに、それを言う?」

 「何を仰っておりますの? わたくしここを日本、いいえ世界屈指の物流センターにするつもりですわ」

 「おっ。その意気その意気」

 木庭がやって来ていたことにまるで気が付いていなかった二人は、一斉に振り返る。

 のほほんとした顔で、木庭がピースサインをして見せる。

 ここでは彩夢同様、なじみ深い木庭のままでありたい考えだった。

 「木庭ちゃん、久々の登場じゃない」

 そこでやっと先走ってしまったことに気が付いた彩夢は、ハッとして、冗談を言い合う二人を見る。

 二人は、てっきり付き合っているものとばかり思っていた彩夢だった。しかし、木庭が紹介してくれたのは、源次郎に呼び出された料亭の女将、萌花もかだった。

 嬉しそうに話をする岡部が知るのは、時間の問題である。それを思うと、彩夢の胸が痛んだ。

 バカ話をしばらくして木庭は帰って行き、時計を見上げた彩夢も、嬉しそうに手を振り管理しrつを後にする。

 風の冷たかった。もうすっかり冬である。彩夢は被っていた帽子を耳にしっかり被せると、遠目で晟也を探す。

 その姿はすぐに見つかった。

 素っ気なく行かれてしまう、そう思った矢先、思いがけない言葉に、彩夢は目を瞠る。

 「帰るぞ」

 足を止めることなく門扉へ向かう晟也のシャツを、彩夢は思わず掴むと、駐輪場が気にかかった。

 「自転車は?」

 「ない」

 その言葉が本当か知らないが、彩夢に弾みがつく。

 「ねぇダーリン」

 このままあの部屋へ行っても良いか、聞きたかった。もしかしたら、ほんのりと期待が頭をよぎる。だが、現実はそう甘くないことを、彩夢とて知っている。

 「彩夢様、お乗りください」

 こうなるだろうと、心のどこかで思っていた彩夢ではあるが、矢張り現実を見せつけられると、些か気分が悪い。

 「わたくしはダーリンと帰るから、結構よ」

 「それは困ります。わたくしめが叱られます」

 梶山に言い返され、彩夢はムッとする。

 「あなたって人はいつもそう。どうしてわたくしの命令を、悉く無視なさるの?」

 「そう言われましても、大奥様の命令ですので」

 苦笑いで、梶山は助けを求め、晟也を見る。

 「良いから乗れよ」

 「でも」

 それ以上は、問答無用だった。

 晟也に力ずくで車へ押し込まれ、すかさずドアが閉められる。

 その守備の良さに、彩夢は運転席の梶山を睨む。

 「梶山、一つ聞かせて頂戴。あなたはいったい誰の味方なの?」

 憎しみを込めた彩夢の言葉に、梶山は半瞬ほど遅れて答える。

 「彩夢様、わたくしめは誰の味方でも、敵でもありません。己が信じた道を貫き通すのみでございます」

 「まぁカメレオンみたいなお方ね。わたくし、あなたのそういうところ、好きになれなくってよ」

 「お嬢様、お言葉ですが、そんなハッキリ仰らないでくださいませ。この梶山とて、傷つきます」

 数秒後、二人は吹き出してしまっていた。

 焦る必要はないのだ。時間はたっぷりあるのだから。

 

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