第九章 追憶の果て⑥
束縛するものは何もない。彩夢は気が付くと駆け出してしまっていた。もう二度とここへは戻ってこれないと思っていた。そして、会うことが許されない。と思いつつも、この気持ちにふたが出来ないのだ。
門をくぐると、その姿はすぐに見つかった。
荷物を確認するためフォークから降りる晟也の背中へ、彩夢は衝動のまま抱き付く。
「あっぶねーな。何しやがる」
よろけながら振り返る晟也の顔が、眩しかった。
「ただいま。ダーリン。大好き」
この日をどれほど待ち望んでいただろう。どうして、被告席に居る晟也のことが、こんなにも気になったのか、鬼頭に話を聞かされ納得したものの、ここへ来るまでは、それも半信半疑だった。しかし、今はっきり分かった気がする。
……わたくしは、この人が好き。
「彩夢」
「保科さん、ただいま」
彩夢の声を聞きつけた保科たちが、作業の手を止め倉庫から飛び出してきていた。
「あんたね、此間の借りきっちり返させてもらうからね」
口ではこんなことを言っているが、その顔は笑みが溢れている。
「岡部さんだ。そんな怖いこと、おっしゃらないで」
彩夢は嬉しくて、嬉しくて仕方がなかった。
「て言うかお前、離れろよ」
首に回した手を必死で解こうとしている晟也が、心から愛おしい彩夢である。
「嫌ですわ。わたくし決めましたの。あなたから絶対にもう離れなくってよ」
「どの口が言っている? 離れろ」
「晟也、諦めろ」
ニヤつく柏木に、晟也は顔を顰める。
「そうそう。その子、普通じゃないし」
素気なく岡部に言われ、何もかもが変わっていない。そう思えて彩夢は嬉しかった。
「そうですわ。人間、あきらめが肝心ですわ」
「諦めるんかい」
村上に突っ込みに、彩夢は顔を赤らめる。
「言葉の綾ですわ」
「もう面倒だから、結婚してやったらどうですかね」
「所長まで、止して下さいよ。この女に関わると、ろくなことがないんですって」
「晟也、良いじゃんか。俺がもう二十も若けりゃよー、お前なんざ、ぶん殴って奪ったんだけど、しゃーねー、譲るわ」
収拾がつかない状況に、晟也は舌打ちをする。それさえ、彩夢にとっては至福に思えてしまうのである。
「ねぇダーリン」
「誰がダーリンだ。離れろ。仕事の邪魔」
「分かりましたわ。ではこう致しましょう」
ハンドルを取る晟也の腕の中へと、彩夢は無理やり潜り込む。
「さぁわたくしにお構いなく、出発なさって」
「おまえな」
呆れられても、嫌われても良い。彩夢はそれでもそばに居たい。その気持ちにもう嘘はつきたくなかった。
晟也はそれ以上何も言わなかった。
フォークがゆっくり動き始め、彩夢は半信半疑の賭けに勝ったんだ。とそう思ったのもつかの間。
「方向が、間違っておりますわ」
大きく回り矛先を変えられ、不安が胸を締め付けて行く。
あれだけのことをしてしまったのだ。本当なら合す顔がない。しかし、それよりも会いたい気持ちの方が勝っていた。気分がすぐれないと、部屋から一歩も出れない日も、未だに少なくない。実際今日だって、ここへたどり着くまで緊張で、心が沈んでしまっていたのだ。許されないのは、当然のことである。
急に体が軽くなった彩夢は、足をばたつかせる。
「嫌っ。降ろして」
晟也は彩夢を肩に担ぎ、そのまま事務所の中へと入って行く。
ソファーに降ろされた彩夢は、プイと顔を横に向ける。
「ったく」
泣きそうになるのを、彩夢は必死で堪えていた。
「困ったお嬢さんだなもう。病み上がりなんだから、少しは躰のこと考えろって言うの」
驚きのまま顔を上げる彩夢に、晟也は自分が被っていたニット帽を深く被せる。
微かに残る記憶と、晟也の背中が重なって行く。
彩夢は口を押える。その眼には大粒の涙があふれ出ていた。




