第八章 委ねられた自尊心⑧
自分がこんなにも往生際が悪い女だと、彩夢は思いもしなかった。
誇り臭い店内に明かりが灯され、祥希が冷ややかな笑みを浮かべる。
どうしても晟也のことが、頭から離れないのである。身の程知らず。と罵られても、親不孝と泣かれても、自分の心にだけは嘘をつきたくない。その思いが頭を擡げて、彩夢を行動へ移させていた。
結納の席で床へ頭をすりつけ、この結婚だけは辞めさせて欲しい。と請うたのだ。
当然、源次郎は激怒し、そんな彩夢を罵り、退座してしまったのだった。頭を上げられないままの彩夢に、優しい言葉を掛けたのは、紛れもなく祥希だった。
恥をかかされたと罵声を上げる母親を宥め、話にならんと言う父親に、自分の魅力が掛けていたせいだ。と言い放つ祥希に肩を抱かれ、連れてこられたのがここである。
最後に、ゆっくり話がしたい。ということだった。ビジネスパートナーとして、これからも円滑な関係でいたい。そう言う祥希の言葉を信じ、彩夢は心から有難いと思った。だから誘いにも応じた。それが間違いだった。と思い知ったのは、運転する祥希の指を見た瞬間だった。
ハンドルを指で小刻みに叩く仕草は、イラついている証拠である。
「祥希さん」
震える思いで話し掛ける彩夢に、祥希は優しく微笑む。
古びた看板が見え、降りましょう。と祥希に言われ、彩夢は足を竦ませる。
所々痛みが進んだ店内を見て、彩夢は思わず祥希の顔を見る。
「さぁ」
無表情の祥希が背中を押す。
ドアが小さな音を立て、閉まる。
愕然とする彩夢に、祥希はどこまでも優しく微笑んで見せる。
「僕はね、今まで欲しいものを手に入れてきた。それはこれからも変わらない。ここがつぶれてしまったのは、無能な部下のせいでね、残念なことに、僕の人生には決まって邪魔者が入るようだ」
舌打ちをした祥希が指を鳴らすと、大柄な男に抱えられた椎野木が連れられてやって来ていた。
「椎野木」
「昨夜、僕の事務所にコソ泥が入りましてね」
傷を負った椎野木が、力なく床へ転がされる。
絶句する彩夢に、目を細めた祥希が顔を近づけてくる。
「どうやら僕は、彩夢さん、あなたを誤解していたようだ。もっと賢く身を弁えている人かと思っていたが、ここまで教育が行き届いていなかったとは」
祥希に顎をしゃくり上げられ、彩夢は凍り付く。
「あなたにはこんなものより」
祥希が力づくで引き千切った真珠のネックレスが、音を立て床へ散らばる。
彩夢の首から血が滲み出る。
「彩夢、ごめんよ。僕を嫌いにならないで」
徐にその血を、祥希が舐めはじめると同時に、押さえつけられていた椎野木が叫ぶ。
「止せ」
そんな椎野木に、容赦ない制裁が下され、うめき声を上げる。
「ああ、僕の大事な店を汚しちゃって、許せないな」
血を流し倒れている椎野木の顔を、祥希が指でしゃくりあげる。
「祥希さん、手荒な真似はお止しになって。わたくしがすべて悪うございました。もう我儘は申し上げません」
「ああやっぱり思ったとおり、彩夢は優しいね。こんな下々のために、自分が悪いことを、あっさり認めちゃうんだもんな。ね君、君はその優しさに、どう報いる気? 僕も鬼じゃない。彩夢が大事にしているものは、僕も大事にしなければ。じゃあ君はどうするべきかって、話になるわけだ」
祥希が愉快でたまらない顔で、彩夢を見る。
「ご主人様には、服従してもらうことにしよう。君は番犬。そして彩夢」
目を見開く彩夢に、祥希はチョーカーを身につかせ微笑む。
「彩夢、あなたにも覚えさせなくてはね」
後味悪く、椎野木のもとを去ってから四日ほど過ぎていた。
「せいちゃん、今日何が食べたい?」
やたら最近、凛子が晟也の世話を焼きたがって、部屋に入り浸っていた。
「お前、予備校は?」
「行っているよ。肉が良い? それとも外食する? あたし臨時収入があったんだ」
得意げに言う凛子を、晟也は苦笑いで見る。
「良いからもう帰れ」
「どうしてよ。最近のせいちゃん、変だよ」
口を尖らせて怒る凛子の背中を押しながら、部屋から追い出そうとしていた時だった。
鳴り出した携帯に気を取られた晟也の好きを狙って、凛子が部屋へ逆戻りする。
晟也が顔を顰めたのは、それだけが理由ではない。
くぐもった声の椎野木の声が、嫌な予感を過らせた。
交換するつもりはなかったが、近況を伝えたいからと言われ、渋々電話番号を教えてあった。
「不味いことになった」
唐突に聞こえてきたその言葉が、晟也を緊張させる。
椎野木の話によると、あのコテージには彩夢は居るどころか、付けられているのを知っての行動だったらしい。一向に姿を現さないことを不審に思った椎野木は、思い切って訪問を試みたのだが、もの家の殻だった。そこから決死で探し回って、祥希が頻繁に出はいりしている場所を突き止めた。と言うのだ。そこは、祥希が大学へ通っている頃、知人たちと始めたカジノバーだった。すぐに不正が摘発され、実情、一年も満たない営業だったらしい。
目を見開く晟也の様子を見て、凛子が不安気に顔を覗き込む。
手を貸して欲しい。と椎野木が話を結ぶ頃には、晟也は靴をつっかけドアノブを握っていた。
「せいちゃん、何かあったの? どこへ行くの?」
凛子の声が、晟也を追いかけるが、それより早く駆け出していた。
椎野木が祥希を見張っているうちに、店を探って欲しい。と言うのだが……。
電車を乗り継ぐ晟也自身、何が自分を突き動かすのか分からずにいた。
ちょっと方向性が……。




