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第八章 委ねられた自尊心⑥

 ソファーへ腰を落ち着かせた神戸は、まっすぐ晟也を見据えて来ていた。

 その顔には、穏やかな笑みが貼り付けられてはいる。晟也もしかり、睨み返す。

 こういう目をする人間は、嫌いではない。それなりに戦ってきた者が、見せる目だ。

 晟也は、静かに秘書がコーヒーを置く手元へ目線を映す。

 それとは別に、居心地の悪さから、晟也は結論を急いだ。

 「あいつはどこに」

 何食わぬ顔をして、カップを口へ運ぶ神戸の目が細められる。

 「比嘉さん。と仰りましたかな? 物事には順序というものがある。焦りは禁物です。このコーヒーは、じっくり焙煎されていて、味わいが深くておいしいですよ。一口飲めば分かります。さぁどうぞ、冷めないうちに」

 そんな能書きを、聞きにここへ来たんじゃない。

 そんな晟也の心を読んだのであろう、神戸はカップを置き、足を組む。

 「私は常々、良いものには手間暇がかかるものだと、考えております。その法則に、すべてが当てはまるとも」

 企業戦士と言う名の故、この手の駆け引きは、お手のものなのだろう。

 何を聞いても、のらりくらり話をはぐらかされるのは、目に見えていた。晟也は口元を緩める。ここで、持久戦へ持ち込むのは、利口のすることではない。と判断した晟也は、話を早々に切り上げ、腰を浮かす。

 だがそれも、すべて神戸の手の内だった。 


 慰謝料など、受け取る気などない。そう言っても、聞き耳を持たず、手ぶらで帰ろうとする晟也に、弁護士が書類を強引に持たせた。これが最善で最小の痛手で終わる。と言うことらしいが、そんなのは、晟也には関係なかった。振り払った手が、弁護士の眼鏡をずらさせる。したりとした顔をされ、晟也の怒りが込み上げる。その度に、弁護士が目を輝かせた。ことごとく逆手に取られ、気が付くと、書類を握りしめ、高層ビルを後にしていた。


 アスファルトから熱気が、上がって来ていた。

 夏はとっくに終わっているはずなのに、平日の昼間と言うのに、なんだこの人の多さは。今の晟也にとって、すべてが忌々しく思えた。

 大股で駅までやって来た晟也は、缶コーヒーでのどを潤す。

 何時間もじっくり焙煎されたものより、水にこだわっていれたものより、余程おいしい。そう心で悪態をついた晟也は、息を吐き出す。

 汗で、シャツが濡れていた。笑える話である。

 これじゃ、自分が彩夢に、気があるみたいじゃないか。

 晟也は、しっかり握っている封筒へ、目をやる。

 確かに、そう思われても仕方がないか。

 神戸がとった行動は、あながち間違っていなかったのだ。

 晟也は吹き出す汗を手で払い、桑井へ電話を掛ける。

 駅構内は平日の昼間にも拘らず、意外と混み合っていた。

 伝えれば、すべて終わりだ。

 桑井は待たせることなく、電話に出た。 

 「どうでしたか、会えましたか?」

 開口一番に聞かれ、晟也はフッと口元を緩ます。

 「会えませんでしたが、元気のようです。今日も婚約者と、どこぞのパーティへ、出掛けているらしいです」

 帰り際、雑談に紛れて、神戸が口を滑らせ、手に入れた情報だった。

 「そうですか。それなら良かった。比嘉君、変なことを頼んで、悪かったね」

 「いいえ。じゃあ、俺帰ります」

 「ああ。そうしてくれ。気を付けて。ありがとう。じゃあ」

 なんだか妙な気分だった。

 「わたくしも、こんな暮らしをしていたなら、少しは違っていたかしら?」

 ふと、あの夜、彩夢が口走った言葉が、頭を過る。

 どこまで、迷惑なやつなんだよ。

 晟也は握ったままの電話で、検索を始める。

 行って、何をしていいのかもわからないまま、晟也は階段を駆け上り、反対ホームへと向かう。

 これを、そうだ。これを、突きかえせばいい。と思いつつも、自分ごときが、関わってはいけない相手。と、もう一人の自分が囁く。

 晟也の目の前でドアが閉まっても、それは続いていた。


 


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