第六章 付けられた烙印⑦
綾夢は見覚えがある天井に、ハッとして飛び起きる。
「綾夢様、お目覚めになれましたか」
椎野木がそう言いながら、湯気が上るカップを、綾夢の前へ置く。
「椎野木、わたくしは」
「お疲れになっていたのでしょう。パーティの途中で、ご気分が悪くなられてしまったようで、お迎えに上がるよう、十三丘様から連絡を頂戴いたしましたので、こちらへお連れ致しました」
「そう。そうだったのね」
戸惑う彩夢に、椎野木が申し訳なさそうな顔をしてみる。
「このような場所でお休みいただくのは心苦しかったのですが」
話を聞くまでもなかった。哲司の更迭が決まり、容体も分からない主のために、使用人たちを置いておくわけにもおかず、全員、暇を取らせたのは、数日前のことだった。この椎野木とて、例外ではない。
「ごめんなさい。わたくし、あなたにまた迷惑を掛けてしまったのね」
俯いて言う彩夢の目は涙ぐんでいた。
「飛んでもございません。この椎野木、まだ彩夢様のお役に立てるのかと、大変うれしゅうございました」
「そう言って頂けると、わたくしも救われますわ」
彩夢は両手で包み込むように、カップを口へ運ぶ。カカオのほろ苦さと甘さが口いっぱいに広がり、思わず笑顔に変えてしまう。椎野木が作ってくれるこのホットココアに、何度助けられただろう。
「おいしい」
涙声で言う彩夢に、椎野木は柔らかい笑みで、丁寧に頭を下げる。
「落ち着かれたようですね。では私はこれで失礼させていただきます」
込み上がってくる衝動を、彩夢は必死で堪える。
ドアが閉まり、彩夢は髪を解く。
おぼろげだった記憶が、鮮明さを増し、彩夢の脳裏を過る。
祥希と古い付き合いだ。という勅使河原の頬は、ほんのり紅潮していた。口にするのは、学生時代の武勇伝であり、本質だった。その口っぷりは、まるで今でも恋をしているようだった。祥希は、彩夢に身に着けさせるものすべてを用意していた。
彩夢は深い溜息とおもに、バスルームへと向かう。
全開にしたシャワーに当たり、声を殺し泣き崩れてしまう彩夢だった。
その翌日である。
哲司を見回っている彩夢の元へ、源次郎と祥希が揃って現れたのは。
和歌子は逃げ出すかのように席を外し、弱弱しい呼吸で生きながらえている息子を、源次郎は顔色一つ変えず見遣ると、すぐに本題に入った。
その姿に愕然とさせられるばかりでなく、彩夢は自分の耳を疑った。
花嫁修業のため、十三丘家に行けというのである。なぜ今、ここでしなければならないのか、彩夢には理解できなかった。
「父も母も、彩夢さんのような才色兼備のお嫁さんが来てくれるって、大喜びですよ。僕自身も、待ったかいがあるっていうものです」
薄く笑って言う祥希に、嫌悪を覚える。
「ですがわたくしはまだ」
「責任感がお強い彩夢様の云いたいことは分かります。それにまだお若い。心の準備も必要でしょう」
目を細め言う祥希を、彩夢はまともに見ることが出来ずにいた。
「僕はね、彩夢さんを愛する前に、一番の理解者でありたいと考えているのです。無理強いもする気など、毛頭ありません」
目を見開く彩夢に、祥希は口元を緩ます。
「僕は僕という人間を、彩夢さんにしっかり理解してもらいたい。そして自ら僕のそばに居たい、そう思って欲しい」
その申し出がどういうことなのか判然としない彩夢に、自信たっぷりの笑みを向けた祥希が、人差し指を立ててみせる。
「ひと月。彩夢さん、あなたを虜にさせて見せます。それからその先の話はすることにしましょう。それで良いですね、会長」
流石の源次郎も、この時ばかりは祥希に、気後れさせられてしまっていた。
「君がそこまで言うなら」
歯切れが悪い源次郎の言葉に、祥希が満面の目身を浮かべる。
「話は決まりだ。彩夢さん、これから末永く、よろしくお願いします」
祥希に手を差し出され、彩夢はその手をすぐに握り返すことが出来ずにいた。




